ウエツフミ(口語訳1~10)

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上津文 一の綴り

【天地が初めて生まれた時、高天原(たかまがはら)に現れた神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。
次に、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)。
次に、神御産巣日神(かみむすひのかみ)。】

高千穂書 によれば、

【天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。
次に、薦枕高木神(こもまくらたかぎのかみ)。
次に、神御魂御祖神(かみみたまみおやのかみ)。
次に、神漏岐神(かむろぎのかみ)、神漏美神(かむろみのかみ)。】

【次に、国がまだ若く、まるで浮いた脂のように柔らかく、水に映る月のように漂っていた時、
葦の芽が芽吹くように、ぽつりと生まれた神の御名は、】

【宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)。
次に、天之底立神(あめのそこたちのかみ)。
次に、国之底立神(くにのそこたちのかみ)。
また、天之常立神(あめのとこたちのかみ)。
次に、天之退立神(あめのそこのたちのかみ)。
次に、国之常立神(くにのとこたちのかみ)。
国之退立神(くにのそこのたちのかみ)。
次に、豊雲野神(とよくもののかみ)。
次に、豊国主神(とよくにぬしのかみ)。
豊香節野神(とよかぶしののかみ)。
浮経野神(うきふののかみ)。
葉木国野神(はぎくにののかみ)。】

次に、

【宇比地邇神(うひぢにのかみ)。
次に、その妹、須比智邇神(すひぢにのかみ)。
次に、角杙神(つのぐいのかみ)。
次に、その妹、活杙神(いくぐいのかみ)。
次に、意富斗能地神(おおとのぢのかみ)。
次に、その妹、大斗乃弁神(おおとのべのかみ)。
次に、淤母陀琉神(おもだるのかみ)。
次に、その妹、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)。】

次に、

【大戸道神(おおとみちのかみ)。
次に、その妹、大戸辺神(おおとべのかみ)。
次に、青橿城根神(あおかしきのねのかみ)。
吾忌橿城根神(あいかしきのねのかみ)。】

次に、

【天之鏡神(あめのかがみのかみ)。
天之萬神(あめのよろずのかみ)。
次に、沫那芸神(あわなぎのかみ)。
沫那美神(あわなみのかみ)。
次に、高天豊道明千国根子大霊神 伊邪那岐神(たかあまとよみちあきちくにねこおおみたまのかみ いざなぎのかみ)。
眞燿幻千国根子厳之神立神 伊邪那美神(まほろばちくにねこいつのかみたつのかみ いざなみのかみ)。】

ここで、天津神(あまつかみ)は、さまざまな神々の詔(みことのり)によって、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)の二柱の神に命じた。

「このまだ漂う国を、形作り固めなさい」と。

そして、天之沼矛(あめのぬぼこ)を授けて、この使命を託した。

そこで、二柱の神は天の浮橋(あめのうきはし)に立ち、その沼矛を下ろしてかき回したところ、塩がコロコロと渦を巻いて固まり、矛の先から滴り落ちた塩が積もって、一つの島となった。

この島を 「淤能碁呂島(おのごろじま)」 と呼ぶ。
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その島に天から降り立ち、天之御柱を立て、八尋殿を建てました。そして、その殿の中で、伊邪那岐の命が妹の伊邪那美の命に問いかけました。

「お前の身体はどのようにできているのか?」

すると、伊邪那美の命は答えました。

「私の身体はほぼできあがっていますが、まだ完全にできあがっていない部分が一カ所あります。」

すると、伊邪那岐の命はこう言いました。

「私の身体はすべてできあがっているが、余っている部分が一カ所ある。
だから、この私の余っている部分を、お前のまだできあがっていない部分に差し込み、
国土や人々、そしてさまざまな厳しいものや和らいだもの、八百万のものを生み出そうと思うのだが、どうだろうか?」

伊邪那美の命は、「それは良いことです」と答えました。

そこで、伊邪那岐の命は手を打ち鳴らして言いました。

「それでは、私とお前は、この天之御柱を回り、出会って契りを結ぼう。」

こう約束し、伊邪那岐の命は「お前は右から回れ、私は左から回ろう」と言いました。

そして、それぞれ約束通りに回って出会ったとき、
伊邪那美の命が先に「まあ、なんと美しい立派な男でしょう!」と声をかけました。
その後に、伊邪那岐の命が「まあ、なんと美しい立派な女でしょう!」と言いました。

互いにそう言い終えたあと、伊邪那岐の命は伊邪那美の命に言いました。

「女がおとこより先に声をかけるのはよくない。」

とは言ったものの、そのまま契りを交わしました。
しかし、その方法をよく知らずにいると、そこへ一羽の鶺鴒(せきれい)が飛んできて、
尾を上下に動かして交わりの仕方を示しました。
二柱の神はそれを見て学び、交わる方法を理解し、初めての子を産みました。

こうして生まれた御子は蛭子(ひるこ)でした。
しかし、この子は完全な姿で生まれず、泣くこともなかったため、葦の船に乗せて流してしまいました。

次に淡島を産みましたが、この子も御子として数えられませんでした。

そこで、二柱の神は話し合いました。

「今、私たちが産んだ子はうまくいかなかった。もう一度、天津神にお伺いを立てるべきだ。」

そう言って、二神はすぐに天へ昇り、天津神のもとで詔(みことのり)を請いました。

すると、天津神は詔(みことのり)によって太占(ふとまに)の占いを行い、こう告げました。

「女が先に声をかけたことが良くなかった。もう一度、地上に戻ってやり直しなさい。」

そこで、二神は再び地上に降り、
先ほどと同じように天之御柱の前で手を打ち鳴らし、今度こそ正しく巡り合いました。

今度は、伊邪那岐の命が先に
「まあ、なんと美しい立派な女でしょう!」と声をかけ、
その後に、伊邪那美の命が
「まあ、なんと美しい立派な男でしょう!」と言いました。

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このように言い終えて、二柱の神は契りを結びました。

そして、最初に淡道の穂之狭別の島を生みました。

次に、伊予の二名の島を生みました。
この島は一つの身体を持ちつつ、四つの面があり、それぞれに名前が付けられました。

伊予の国を「愛比売(えひめ)」と言う。
讃岐の国を「飯依比古(いいよりひこ)」と言う。
粟の国を「大宜都比売(おおげつひめ)」と言う。
土佐の国を「建依別(たけよりわけ)」と言う。
次に、隠岐の三つ子の島を生みました。
この島の名前は天之忍許呂別(あめのおしころわけ)と言いました。

次に、筑紫の島を生みました。この島も一つの身体を持ちながら、五つの面があり、それぞれに名前が付けられました。

筑紫の国を「白日別(しらひわけ)」と言う。
豊国を「豊日別(とよひわけ)」と言う。
肥の国を「速日別(はやひわけ)」と言う。
日向の国を「久士比泥別(くじひねわけ)」と言う。
熊曽の国を「建日別(たけひわけ)」と言う。
次に、伊伎の島を生みました。名前を「天之比登都柱(あめのひとつばしら)」と言いました。

次に、津島を生みました。名前を「天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)」と言いました。

次に、隠伎の三つ子の島を生みました。名前を「天之忍許呂別(あめのおしころわけ)」と言いました。

次に、佐渡の島を生みました。名前を「両児島(ふたごしま)」と言いました。

次に、大八洲豊道之原を生みました。この天津御虚空豊道之原の国も一つの身体を持ち、十五の面があり、それぞれに名前が付けられました。

大和の国を「秋津根別(あきつねわけ)」と言う。
津の国を「日下根別(くさかねわけ)」と言う。
淡海の国を「淡海根彦(あわうみねひこ)」と言う。
伊勢の国を「伊勢津媛(いせつひめ)」と言う。
遠淡海の国を「遠津海別(とおつうみわけ)」と言う。
无邪の国を「无邪津海別(むさしうみわけ)」と言う。
常陸の国を「常陸媛(ひたちひめ)」と言う。
科野の国を「狭依科彦(さよりしなひこ)」と言う。
野の国を「野道路媛(のちまたひめ)」と言う。
陸奥の国を「道路奥別(ちまたおくわけ)」と言う。
越の国を「越根別(こしねわけ)」と言う。
丹波の国を「丹波別(たにはわけ)」と言う。
出雲の国を「出雲別(いずもわけ)」と言う。
穴門の国を「穴門根別(あなとねわけ)」と言う。
吉備の国を「吉備津根別(きびつねわけ)」と言う。
そして、その後、吉備の小島を生みました。名前を「建日方別(たけひかたわけ)」と言いました。

次に、小豆島を生みました。名前を「大野手比売(おおのでひめ)」と言いました。

次に、大島を生みました。名前を「大多麻流別(おおたまるわけ)」と言いました。

次に、比女島を生みました。名前を「天之一箇柱(あめのひとつばしら)」と言いました。

次に、知訶の島を生みました。名前を「天之忍男(あめのおしお)」と言いました。

次に、両児の島を生みました。名前を「天之両屋(あめのふたや)」と言いました。

また、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、天津神のもとへ天に昇り、八十島を生み終えたことを詳しく申し上げました。

これを聞いた天津神たちは、皆で言葉を揃えてこう告げました。

「お前たちが生んだ八十島を本津国(ほんつくに)とし、さらに八百千万の島々を国々として広げよ」と。

そして、天の安之河原にある天津真砂を掴み取り、国土をさらに広げるようにと言い渡しました。

そこで、伊邪那岐の命と伊邪那美の命の二柱の大神は、陸奥の山に立たれ、天津大神から授かった「天之真砂(あめのまさご)」を取り出し、後ろ手に吹き蒔かれました。すると、八十の島々が生まれ、それを「蝦夷(えみし)」と名付けました。

次に、越の根別の山に立ち、左の御手(左手)で真砂を蒔かれました。すると、千の島々が生まれ、それを「悒婁(ゆうろう)」と名付けました。

さらに、丹波別の山に立ち、左の御手で真砂を蒔かれました。すると、大きな島が生まれ、それを「生津牟婁(いくつむろ)」と名付けました。

また、ある山に至り、右の指で真砂を弾かれると、小さな島が生まれ、それを「生津吹(いくつふき)」と名付けました。

さらに、左手と右手の両方で真砂を蒔かれると、多くの大きな島と小さな島が生まれました。これらを「かる」と名付けました。

その後、愛媛の山に立ち、右の御手で真砂を蒔かれると、三つの島が生まれ、それを「琉球(りゅうきゅう)」と名付けました。

さらに、続けて真砂を蒔かれると、二つの島が生まれ、それを「あも」と「あか」と名付けました。

遠津海別(とおつうみわけ)の山に立ち、右の御手で真砂を蒔かれると、八つの大きな島が生まれ、それを「こゆかる」「うかる」と名付けました。

こうして、それぞれの場所に大小さまざまな島々が生まれたのは、天之真砂の細かい塵や塩の泡が凝り固まってできたものであるとされました。
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ここで、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、八百万の国々や島々、すべての土地を生み終えた後、さらに神々をお生みになりました。

まず生まれた神の御名は 大事忍乎伎(おおことおしをき)の命、次に 大事忍乎美(おおことおしをみ)の命 であり、この二柱の神は天に住まい、「むつ魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 石土毘古(いわつちびこ)の命、次に 石土比売(いわつちひめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「けく魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 大戸日別(おおとひわけ)の命、次に 大戸日比売(おおとひひめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「いや魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 天之吹男(あめのふきお)の命、次に 天之吹女(あめのふきめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「うか魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 大屋毘古(おおやびこ)の命、次に 大屋比売(おおやひめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「さな魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 風木津別之忍男(かざきつわけのおしお)の命、次に 風木津別之忍女(かざきつわけのおしめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「みな魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 伊和都稚男(いわつわかお)の命、次に 伊和都稚女(いわつわかめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「ふく魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 天津豊田(あまつとよた)の命、次に 天津豊田媛(あまつとよたひめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「はや魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 大橿比古(おおかしひこ)の命、次に 大橿媛(おおかしひめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「なか魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 塩凝之男(しおこりお)の命、次に 塩凝之女(しおこりめ)の命 を生み、この二柱の神は天に住まい、「かむ魂星(たまほし)の神」と呼ばれました。

次に 海の神、大綿津見御祖(おおわたつみのみおや)の命、次に 妹・大綿媛(おおわたひめ)の命 を生みました。

次に 水の神、速秋津日子(はやあきつひこ)の命、次に 妹・速秋津比売(はやあきつひめ)の命 を生みました。

また、川や海に関係する神々をさらに生みました。

沫那芸(あわなぎ)の命、沫那美(あわなみ)の命
頬那芸(つらなぎ)の命、頬那美(つらなみ)の命
天之水分(あめのみくまり)の命、国之水分(くにのみくまり)の命
天之久比奢母智(あめのくひざもち)の命、国之久比奢母智(くにのくひざもち)の命

次に、八百万、無数の生きる人々(青人草)を生みました。

その後、伊邪那岐の命は伊邪那美の命に語りかけて言いました。

「我らが生んだ国々は、まるで霧が立ちこめ、芳しい香りが満ちているようだ」

そう言って、息を吹き払うと、新たに神々が生まれました。

天渡志国渡志十百座志那津産巣日(あまわたりくにわたりとももくらしなつむすび)の命
またの名を 志那戸辺(しなとべ)の命
あるいは 志那都比古(しなつひこ)の命、志那都比売(しなつひめ)の命

この二柱の神は天の西に座す神々で、「たせ星御祖の神(たせほしのおやのかみ)」と呼ばれました。

次に、山や野の神々を生みました。

久久能智(くくのち)の命、妹 鹿屋野比売(かやのひめ)の命
またの名を 野椎(のづち)の命

さらに、万物を司る神々を生みました。

その御名は 天之大土国之大土大御守山津見産巣日(あめのおおつちくにのおおつちおおみかみやまつみむすび)の命
またの名を 大山津見(おおやまつみ)の命、妹 大山媛(おおやまひめ)の命

この二柱の神は、天の道々に鎮座し、「高知星御祖の神(たかちほしのおやのかみ)」と呼ばれました。

この二柱の神(大山津見の命と大山媛の命)は、山や野に関係する神々をさらに生みました。

まず生まれた神々の御名は、天之狭土(あめのさづち)の命、国之狭土(くにのさづち)の命 であり、次に 天之狭霧(あめのさぎり)の命、国之狭霧(くにのさぎり)の命 を生みました。

次に 天之闇戸(あめのくらど)の命、国之闇戸(くにのくらど)の命 を生みました。

さらに 大戸惑子(おおとまどいこ)の命、大戸惑女(おおとまどいめ)の命 を生みました。

次に生まれた神の御名は、鳥之石楠船(とりのいわくすふね)の神 であり、またの名を 天之鳥船(あめのとりふね)の神 と言います。

次に 大宜都比売(おおげつひめ)の命 を生みました。

その後、御崎の神として 天津座高津座置清御魂瑞之火産巣日(あまつますたかつますおききよみたまみずのほむすび)の命 を生みました。

またの名を 火之夜芸速男(ほのやぎはやお)の命、火之玄毘古(ほのくろびこ)の命、または 火之迦具土(ほのかぐつち)の命 とも言います。

この火の神には妹神があり、火之夜芸速女(ほのやぎはやめ)の命、またの名を 火之玄媛(ほのくろひめ)の命 と言いました。

この二柱の神は、天の北方に座しており、「とむ星御祖の神(とむほしのおやのかみ)」と呼ばれました。

しかし、火之迦具土の命 を生んだことで、伊邪那美の命 は火傷を負い、病に伏してしまいました。

その際に、伊邪那美の命が嘔吐されたときに生まれた神の御名は、天御魂国御魂穿神常座金山産巣日(あめのみたまくにのみたまうがちかなしまむすび)の命 であり、またの名を 金山毘古(かなやまびこ)の命 であり、妹神として 金山毘売(かなやまびめ)の命 を生みました。

この二柱の神は、豊道之原(とよみちのはら)に鎮座し、「常星御祖の神(とこほしのおやのかみ)」と呼ばれました。

次に、伊邪那美の命 が排泄されたときに生まれた神の御名は、天津降萬正哉斎美生立波邇産巣日(あまつくだりよろずまさやいみおいたつはにむすび)の命 であり、またの名を 波邇夜須毘古(はにやすびこ)の命、または 波邇山比古(はにやまびこ)の命 でした。

妹神として 波邇夜須毘売(はにやすびめ)の命 を生みました。

この二柱の神は、天の東方に鎮座し、「よち星御祖の神(よちほしのおやのかみ)」と呼ばれました。

次に、伊邪那美の命 が小便をされたときに生まれた神の御名は、天清豊道辺神御魂柝彌都波産巣日(あめのきよとよみちのへかみみたまきねやつはむすび)の命 であり、またの名を 彌都波能男(みつはのお)の命、妹神として 彌都波能売(みつはのめ)の命 を生みました。

この二柱の神は、天の南方に鎮座し、「いみ星御祖の神(いみほしのおやのかみ)」と呼ばれました。

次に、伊邪那美の命 が最後に身を起こして立ち上がられたときに生まれた神の御名は、和久産巣日豊種津魂(わくむすびとよたねつたま)の命 であり、妹神として 和久産巣日豊種津媛(わくむすびとよたねつひめ)の命 を生みました。

この神は、またの名を 豊宇気毘売(とようけびめ)の命 といい、豊遠迦媛(とよおかひめ)の命、または 大宜都比売(おおげつひめ)の命、または 宇迦之御魂(うかのみたま)の命 とも呼ばれました。

この豊宇気毘売の命 は、火産霊(ほむすび)の命 の御子である 宇迦之御魂之男(うかのみたまのお)の命 と結婚し、次の神々を生みました。

その御名は、稲依日子(いなよりひこ)の命、次に 稲依日女(いなよりひめ)の命 を生みました。
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伊邪那美の命は、火の神を生んだことで、自らの陰部を焼かれ、体を傷めて苦しんでいた。そのとき、伊邪那岐の命に向かって言った。

「夜は七日、昼も七日、私を見ないでください。私はあなたの妻です」と。

しかし、七日七夜の期間も経たないうちに、伊邪那美の命が隠れてしまったことを不思議に思った伊邪那岐の命は、ついにその姿を見てしまった。すると、伊邪那美の命は火の神を生んだ影響で、陰部を焼かれて膨れ上がり、激しい熱と苦しみに悩んでいた。

ここで伊邪那美の命は、「私があなたに『私を見ないで』と言ったのに、あなたは私を見てしまった。あなたは私を侮ったのですね」と言い、「私はもう現世に留まらず、黄泉の国に行きます」と言い残し、黄泉津比良坂に向かった。

そこで、伊邪那美の命は思った。「私の夫である伊邪那岐の命は、現世のことを知っているが、私はこの世に残してはならない恐ろしい子を産んでしまった」と。

そして、彼女は現世に戻り、さらに子を生んだ。その神々の名前は、水放姫の神、丹生津姫の神、天之吉葛の神、国之吉葛の神、川那芸の神、川那美の神であった。

ここで、伊邪那岐の命は嘆きながら言った。

「愛しい我が妻よ!たった一人の子のために、あなたを失ってしまったのか!」と。

そして、彼は妻の枕元にうつ伏せ、または足元にうつ伏せて、泣き続けた。その涙から生まれた神の名は、泣沢之女の命であった。

ここで、伊邪那岐の命は怒り、佩刀していた十拳剣を抜き、その子である迦具土の命の首と体を三つに斬り捨てた。

このとき、剣についた血が流れ落ちて湯津石村となった。また、このときに使われた剣の名前は、天之尾羽張、またの名を伊都之尾羽張という。

その後、伊邪那岐の命は高天原に天昇し、天津大神に向かい、伊邪那美の命が神去りしてしまったこと、また迦具土の命を斬ったことを詳しく報告した。

天津大神はこれを聞いて、占いによって判断し、こう告げた。

「神が去ったことは事実である。それには仕方がない。しかし、清めをしなければならない。息を吹きかけ、穢れを祓いなさい。」

そして、祓いの呪詞を唱えた。

「おきく おきく くるこ くるこ ひれこ ひれこ」

そして、左手を振り、右手を振り、祓いの儀式を行った。

「迦具土は、剣の刃で清められ、手を使って修められなければならない」と、天津大神は告げた。
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それで、伊邪那岐の命は天から降りてきて、愛しい妹である伊邪那美の命に会いたいと思い、黄泉の国へと追いかけて行った。そして、黄泉の国の脇戸から出迎えに来た伊邪那美の命に向かって語りかけた。

「愛しい我が妻よ。私たち二人で作り上げた国はまだ完成していない。だから、一緒に現世に戻ろう」と。

すると、伊邪那美の命はこう答えた。

「なんと悔しいことか。あなたがもっと早く来てくれたならよかったのに。私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。それでも、愛しいあなたがここまで来てくれたことは嬉しい。でも、あなたがこの黄泉の国に入ってきたことを、ここにいる神々が怒るかもしれない。だから、どうかここで待っていてください。私はこのことを黄泉の神々と相談してきます。絶対に私を見ないでください。」

そう言うと、伊邪那美の命は黄泉の宮殿の中へと戻っていった。しかし、なかなか戻ってこなかったため、伊邪那岐の命は待ちくたびれてしまった。

そこで、左の髪に刺していた湯津爪櫛の一本を折り、その一部に火を灯して、宮殿の中を覗いてしまった。すると、そこには、腐敗した伊邪那美の体に無数の蛆が湧き、どろどろと崩れ落ちている姿があった。そして、彼女の体には恐ろしい雷の神々が宿っていた。

頭には大雷(おおいかずち)、胸には火雷(ほのいかずち)、左手には若雷(わかいかずち)、右手には土雷(つちいかずち)、左足には鳴雷(なるいかずち)、右足には伏雷(ふしいかずち)がいた。

この恐ろしい光景を見た伊邪那岐の命は恐ろしくなり、すぐに逃げ出そうと考えた。しかし、それだけでは足りず、天津神から教えられた清めの息吹を行った。

すると、伊邪那美の命は再び生きた姿となり、ゆっくりと体を起こした。伊邪那岐の命は彼女を深く愛しく思い、伊邪那美の命を肩に抱えて、ゆらゆらと歩みを進めた。

やがて、黄泉の国の醜い女たちが騒がしく伊邪那岐の命を追いかけてきた。そこで、伊邪那岐の命は左手に巻いていた黒い髪飾りを投げ捨て、伊邪那美の命も右手に巻いていたものを投げ捨てると、それが蒲の実となった。醜女たちはそれを拾って食べ、その隙に伊邪那岐の命は逃げ出した。しかし、醜女たちはなおも追いかけてきたので、伊邪那岐の命は左の髪に刺していた湯津爪櫛を引きちぎり、投げ捨てた。すると、それが筍になり、醜女たちはそれを食べる間に、伊邪那岐の命はさらに逃げた。

しかし、今度は伊邪那美の命が、自らの体に宿る八種の雷神を率い、さらに千五百もの醜い男たちを従えて追いかけてきた。そこで、伊邪那岐の命は腰に帯びていた十拳剣を抜き、後ろに振りかざしながら逃げたが、それでもなお追いかけてきた。

ついに黄泉比良坂の坂本に到達したとき、伊邪那岐の命は坂の上に立ち、振り返って言った。

「お前たちは、なんと醜く、汚らわしい者たちだ!ここから先へは決して来るな!」

そう言って唾を吐き、目を大きく見開いて睨みつけると、追いかけてきた者たちは皆、震え上がって身をすくませた。さらにもう一度、伊邪那岐の命が鋭く睨みつけると、彼らは声を嗄らし、倒れ伏してのたうち回った。

そして、坂本に落ちていた桃の実を三つ拾い、それを待ち構えて投げつけると、八種の雷神や醜い男たち、醜い女たちは恐れをなして逃げ去った。ここで、伊邪那岐の命は桃に向かってこう言った。

「汝よ、豊かな国土の中に生きる人々が困難に陥り、苦しむことがあれば、助けてやってくれ。」

そう言って、桃に「大加牟豆美(おおかむづみ)」という名を授けた。

最後に、黄泉の国の災いをもたらす者たちの長である黄泉津禍諸男(よもつまがもろお)の頭目が、五十六の雷神と数えきれないほどの醜い男たち、醜い女たちを率いて追ってきた。伊邪那岐の命は、すぐさま巨大な千引きの岩を引き寄せ、それを黄泉比良坂の入り口に置いて塞ぎ、黄泉の国との境を断ち切った。

そして、岩を挟んで向かい合ったまま、最後の別れの言葉を交わした。

黄泉津禍諸男の頭目は言った。

「この世の人間たちを、毎日千万人病に伏せさせ、千万人の命を奪い、国中に災いをもたらしてやろう。」

これを聞いた伊邪那岐の命は激怒し、こう言い返した。

「それならば、私は一日に百千万の薬を生み出し、百千万の幸福をもたらし、また千千万の産屋を建てよう!」

こうして、伊邪那岐の命は千引きの岩の前に「道反しの神」を立て、伊邪那美の命を岩の向こう側に封じ込めた。そして、自らは岩の上に立ち、黄泉の国の者たちに向かって怒りを込めて言葉を発し、十拳剣を左手に持ち、右手に神聖な玉を掲げて呪いの言葉を唱えた。

「帰るな!帰るな!
くうあちす、くうあちす、
やさぬよほ、やさぬよほ!
なに、なに、しゑ、しゑ、しゑや、しゑや、
はて、なにしゑ、なにしゑ、やはて!」

そう言って、大きく目を輝かせながら再び鋭く睨みつけると、黄泉の国の頭目やその配下の者たちは恐れをなし、青ざめ、踵を返して逃げ去った。そして、彼らは泣き叫びながら、逃げ惑った。

こうして、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、厳かな決別を果たした。伊邪那岐の命は、「怪しきことよ、騒がしきことよ!」と言いながら、震えるほどの怒りを示した。そして、最後に一言、「ここから先へは決して来るな!」と告げた。

このため、この二柱の神は「道敷きの大神(ちしきのおおかみ)」と呼ばれ、また「道反しの命(ちがえしのみこと)」は、黄泉比良坂の神、すなわち「黄泉戸の明津神(よもつひらさかのあけつかみ)」とされた。

そして、この黄泉比良坂は、現在の出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)であると伝えられている。
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ここで、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、再び戻り、迦具土の命を見つめた。すると、その血が滴り流れ、天の安の河原にまで走って、そこに五百の石が集まる「五百箇石村」となった。また、その流れ出た血が山や野に飛び散り、山の木々や草を赤く染めた。

ここに、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、畏れ敬い、剣の刃を祓い清め、手をもって儀式を行い、深く息を吐き、呪詞を唱えて禊(みそぎ)を行った。すると、迦具土の命は再び立ち上がり、生き返り、働くようになった。

そこで、伊邪那岐の命は、迦具土の命に向かってこう告げた。

「汝は天にあって、天の益人(えきびと)となり、神訓(かむのり)、道訓(みちのり)を行い、木の実を育て、万物を生み出す働きをなせ。そして、天から地を見守り、この現世の青人草(人々)の魂を守り、幸福をもたらすがよい。」

そうして、迦具土の命(またの名を天津座高津座置清御魂瑞之火産巣日(あまついますたかついますおききよみたまみずのほむすび))は、妹である夜芸速女(やぎはやめ)の命と結婚し、生まれた子の名は和久産巣日(わくむすび)の命であった。

次に生まれたのは、天之屋船(あまのやふね)の命、国之屋船(くにのやふね)の命であった。

さらに、迦具土の命の血が湯津石村(ゆついわむら)に流れ落ち、それによって生まれた神々は以下の通りである。

石拆(いわさく)の命
根拆(ねさく)の命
石筒之男(いわつつのお)の命
石筒之女(いわつつのめ)の命
甕速日(みかはやひ)の命
樋速日(ひはやひ)の命
さらに、これらの神々の中から、建御雷之男(たけみかづちのお)の命が生まれた。この神の別名は、建布都(たけふつ)の命、または豊布都(とよふつ)の命とされた。そして、その妹として建甕速日(たけみかはやひ)の命が生まれた。

また、迦具土の命の血が剣の柄に集まり、そこから滴り落ちたことで生まれた神々は以下の通りである。

闇淤加美(くらおかみ)の命
闇御津羽(くらみつは)の命
このとき、大山津見(おおやまつみ)の命と大山媛(おおやまひめ)の命は、迦具土の命が蘇ったことを喜び、その身体を撫でた。その結果、次の神々が生まれた。

頭(こうべ)に生まれた神:正鹿山津見(まさかやまつみ)の命
喉に生まれた神:淤縢山津見(おどやまつみ)の命
腹に生まれた神:奥山津見(おくやまつみ)の命
胸に生まれた神:闇山津見(くらやまつみ)の命
左手に生まれた神:志芸山津見(しぎやまつみ)の命
右手に生まれた神:羽山津見(はやまつみ)の命
左足に生まれた神:原山津見(はらやまつみ)の命
右足に生まれた神:戸山津見(とやまつみ)の命
このようにして、多くの神々が生まれた。

これにて、「上津文 一の綴り」完了。

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2,1
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ここで、伊邪那岐の命は伊邪那美の命に向かって言った。

「お前は、忌まわしく、醜く、汚れた国に行ってしまった。お前は黄泉の国の食べ物を口にしたために、清らかではなくなってしまった。だからこそ、自分の穢れを洗い流し、祓い清めるべきだ。」

こう告げると、伊邪那美の命は「かしこまりました」と答えた。

そこで、伊邪那岐の命は、粟の御門(現在の阿波地方あたり)に立ち、潮の流れを確かめた。しかし、潮の流れは非常に速かった。次に、速吸の門(現在の豊後水道あたり)に行き、潮の様子を見たが、そこも潮が渦巻き、とても速かった。

そこで、筑紫の日向(現在の宮崎県)にある橘の小門の阿波岐原にたどり着き、そこで禊(みそぎ)をして穢れを祓おうと決めた。そして、身に着けていたものを次々と投げ捨てた。

最初に投げ捨てた杖 から生まれた神は 衝立船戸(つきたつふなと)の命 。

次に投げ捨てた帯 から生まれた神は 道之長乳歯(みちのながちば)の命 。

次に投げ捨てた裳(もも) から生まれた神は 時置師(ときおかし)の命 。

次に投げ捨てた衣 から生まれた神は 和豆良比能宇斯(わずらひのうし)の命 と 和豆良比之兄自(わずらひのえじ)の命 。

次に投げ捨てた褌(ふんどし) から生まれた神は 道俣彦(みちまたひこ)の命 と 道俣媛(みちまたひめ)の命 。

次に投げ捨てた冠 から生まれた神は 飽咋之宇斯(あくいのうし)の命 と 飽咋之兄自(あくいのえじ)の命 。

次に投げ捨てた左手の手纏(たまき・腕輪) から生まれた神は

奥疎男(おくさかるお)の命
奥疎女(おくさかるめ)の命
奥津那芸佐毘古(おくつなぎさびこ)の命
奥津那芸佐比売(おくつなぎさひめ)の命
奥津甲斐弁羅(おくつかいべら)の命
奥津甲斐弁里(おくつかいべり)の命
次に投げ捨てた右手の手纏(腕輪) から生まれた神は

辺疎之男(へさかるお)の命
辺疎之女(へさかるめ)の命
辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の命
辺津那芸佐比売(へつなぎさひめ)の命
辺津甲斐弁羅之男(へつかいべらのお)の命
辺津甲斐弁里之女(へつかいべりのめ)の命
こうして、伊邪那岐の命は身につけていたものを投げ捨てることで、多くの神々を生みながら、穢れを祓っていった。

ここで、伊邪那岐の命は、禊(みそぎ)を行うために川の流れを確認した。

「上流の瀬(せせらぎ)は流れが速く、下流の瀬は流れが穏やかである。」

こう言って、初めて中流の瀬に潜って身を清めた。その時に生まれた神の名は 大禍津日(おおまがつひ)の命、その妹神は 奇禍日女(くしみかひめ)の命 であった。そして、この神々の子に 八十禍津比古(やそまがつひこ)の命 がいるとされる。

この神々は、伊邪那岐の命が 穢れた世界 に行ったことによる穢れから生まれた神であり、あらゆる災いや禍(まがごと)は、この神々の働きによって起こる。また、すべての悪事や反逆する者たちは、この神々の影響によるものである。

次に、「いざ」と声を上げて再び滌(そそ)ぎ清めると、新たに神々が生まれた。

速玉之男(はやたまのお)の命
速玉日女(はやたまひめ)の命
萬事解男(よろづことさかお)の命
萬事解之女(よろづことさかめ)の命
これらの神々は、すべての災いを取り除く働きを持つとされる。

その後、伊邪那岐の命が穢れを流しきり、水底から浮かび上がると、次の神々が生まれた。

神御魂別国津清美魂直毘産巣日(かむみたまわけくにつきよみたまなおびむすひ)の命
別名: 大直毘(おおなおび)の命
妹神: 神直毘(かんなおび)の命
これらの神は天に住み、「彦星御祖(ひこぼしのおや)」と呼ばれる。
さらに、生まれた神々。

伊豆能男(いずのお)の命
伊豆能売(いずのめ)の命
速佐須良比古(はやさすらひこ)の命
速佐須良比女(はやさすらひめ)の命
次に、滌ぎ清める行為の中で、それぞれの水位に応じて生まれた神々。

水の底で禊をした時に生まれた神

底津綿津見(そこつわたつみ)の命
水の中で禊をした時に生まれた神

中津綿津見(なかつわたつみ)の命
水の表面で禊をした時に生まれた神

上津綿津見(うわつわたつみ)の命
この 三柱の神々 は「大綿津見(おおわたつみ)の命」の子孫とされ、そこからさらに次の神々が生まれた。

宇都志日金柝(うつしひがねたく)の命

別名: 穂穂高見(ほほたかみ)の命
妹神: 高毘売(たかひめ)の命
この二神は 振魂(ふるたま)の命 とも呼ばれる。
多岐玉(たきたま)の命

さらに、上流の水底で穢れを祓ったときに生まれた神々。

天帯国帯潮津清美底土産巣霊(あめおびくにおびしおつきよみそこつちむすひ)の命
別名: 底筒之男(そこつつのお)の命
妹神: 底津比女(そこつひめ)の命
これらの神々は 底筒御祖(そこつつのおや)の神 とされる。
中流で穢れを祓った時に生まれた神々

天帯国帯潮津清美赤土産巣日(あめおびくにおびしおつきよみあかつちむすひ)の命
別名: 中筒之男(なかつつのお)の命
妹神: 赤巣比売(あかすひめ)の命
これらの神々は 赤筒御祖(あかつつのおや)の神 とされる。
下流の水面で穢れを祓った時に生まれた神々

天帯国帯潮津清美石土産巣日(あめおびくにおびしおつきよみいしつちむすひ)の命
別名: 上筒之男(うわつつのお)の命
妹神: 石巣比売(いしすひめ)の命
これらの神々は 石筒御祖(いしつつのおや)の神 とされる。
さらに、波の上で滌ぎ清めたときに生まれた神々。

伊吹戸主(いぶきどぬし)の命
伊吹戸毘売(いぶきどびめ)の命
さらに、波の上で立ち上がったときに生まれた神々。

厳之幸守眞心常辺速秋津産巣日(いづのさちもりまごころつねへはやあきつむすひ)の命
別名: 速秋津比古(はやあきつひこ)の命
妹神: 速秋津比売(はやあきつひめ)の命
これらの神々は 清筒御祖(きよつつのおや)の神 とされる。
さらに、この神々の子として次の神々が生まれた。

沫那芸(あわなぎ)の命
沫那美(あわなみ)の命
頬那芸(ほほなぎ)の命
頬那美(ほほなみ)の命
天之水分(あめのみくまり)の命
国之水分(くにのみくまり)の命
天之久比奢母智(あめのくひざもち)の命
国之久比奢母智(くにのくひざもち)の命
櫛八玉比古(くしやたまひこ)の命
櫛八玉比売(くしやたまひめ)の命
また、流れる水に沿って生まれた神々。

速余須良比古(はやよすらひこ)の命
速余須良比売(はやよすらひめ)の命
この二柱の神の子として次の神々が生まれた。

天熊之大人(あめのくまのおとな)の命
天熊之比売(あめのくまのひめ)の命
棚機比古(たなばたひこ)の命
棚機比女(たなばたひめ)の命
こうして、伊邪那岐の命が身を清める過程で、多くの神々が生まれた。
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2,2
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ここで、伊邪那岐の命と伊邪那美の命の二柱の大神は、禊(みそぎ)を終えて、共に波の穂(海の水面)に立たれた。

伊邪那美の命 はまず、 左の御手と右の御手 を使って 伊邪那岐の命の頬を洗った ところ、その瞬間に生まれた神の御名は、

撞賢木厳之大御魂天疎日御像媛の命(つきさかき いつの おおみたま あまさかる ひみかのひめのみこと)

またの名を 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
さらに、 大日靈貴の命(おおひるめのむちのみこと)
また、 豊照大日靈貴の命(とよてるおおひるめのむちのみこと) ともいう。

次に、伊邪那岐の命 は、 右の御手と左の御手 を使って 伊邪那美の命の頬を洗った ところ、生まれた神の御名は、

眞夜楫干厳之明津魂月弓之男の命(まよかじほ いつの あかつたま つきゆみのおのみこと)

またの名を 夜見照大御神(よみてるおおみかみ)
また、 月弓之男の命(つきゆみのおのみこと) ともいう。

次に、伊邪那岐の命と伊邪那美の命 は共に 波の穂(海の水面)に立ち、
御胸と御腹を洗った ところ、生まれた神の御名は、

天開国開天津日高建速須佐之男の命(あめひらき くにひらき あまつひだか たけはやすさのおのみこと)

またの名を 国照大御神(くにてるおおみかみ)
また、 神速須佐之男の命(かむはやすさのおのみこと)
さらに、 神須佐之男眞幸の命(かむすさのおまさきのみこと) ともいう。

この時、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、たいそう喜ばれてこう仰った。

「私たちは多くの子を生んできたが、最後に 三柱の貴い御子 を生むことができた。」

そして、天照大御神(あまてらすおおみかみ) を見て、こう仰った。

「生まれながらにして、その光は美しく輝き、天地の隅々まで照らしている。」

「我が子は多いが、これほど 比類なき美しい子 はいない。ゆえに この国にとどめることはできない。」

そう仰せになり、伊邪那岐の命は、自身が身につけていた御頸珠(みくびたま)の緒をゆらし、天照大御神に授けた。

そして、こう言った。

「汝(なんじ)の命は、 高天原を治め、豊道之原(とよみちのはら/豊かな国) を照らし、外の世界までも光で満たして、現し世の人々と万物を養え。」

この時、授けた御頸珠の名を「御倉板挙(みくらたな)」 といった。

次に、左と右の手に巻いた玉の緒を振り動かし、
夜見照大御神(月弓之男の命)に授けた うえで、こう言った。

「汝の命は、生まれながらにして その光が日の神に次ぐほど美しい。
ゆえに 夜の世界(夜の食国)を治めよ。」

さらに、御腹の玉の緒を振り動かし、建速須佐之男の命に授けた うえで、こう言った。

「汝の御躯は 大変美しい。
ゆえに 現世の食国(あめつち/地上の世界)を治めよ。
潮の八百重(海と川のすべての流れ)を支配せよ。」

そして、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、海の潮路を引き上がられた。
その時、新たに生まれた神々の御名は、

明魂之男(あかたまのお)の命
明魂之女(あかたまのめ)の命
躯居比古(からいおひこ)の命
躯居比女(からいおひめ)の命
これらの神々に向かい、伊邪那岐の命と伊邪那美の命はこう仰った。

「汝ら神々は、現し世の 青人草(あおひとくさ/人間) の命を支え、長く繁栄させよ。」
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2,3
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ここで、伊邪那岐の命と伊邪那美の命 は、天津座高津座置清美魂瑞之火産巣日の命(あまついます たかついます きよみたま みずのほむすびのみこと) と 妹・火之夜芸速女の命(ひのやぎはやめのみこと) に、こう告げた。

「汝ら神は、日の神(月の神)に仕え、高天原(たかまがはら)に昇り、
そこで生まれる御子たちを 星の神とし、二宮(天照大御神と月弓之男の命)に仕えさせよ。
そのために 身を清め、祓い清めるのだ。」

そこで、迦具土の命(かぐつちのみこと)と火之夜芸速女の命 は、
大宜津(おおぎつ)の阿波門(あわのと/鳴門)の海 で禊(みそぎ)を行い、清めたのち、生まれた御子の名は次の通り。

むつ魂星の神(むつたまぼしのかみ)
きさ魂星の神(きさたまぼしのかみ)
いや魂星の神(いやたまぼしのかみ)
うた魂星の神(うたたまぼしのかみ)
さな魂星の神(さなたまぼしのかみ)
みな魂星の神(みなたまぼしのかみ)
ふく魂星の神(ふくたまぼしのかみ)
はや魂星の神(はやたまぼしのかみ)
なか魂星の神(なかたまぼしのかみ)
かむ魂星の神(かむたまぼしのかみ)
しら魂星の神(しらたまぼしのかみ)
しつ魂星の神(しつたまぼしのかみ)
また、伊邪那岐の命と伊邪那美の命 は、天渡国渡十百座志那都産巣日の命(あまわたり くにわたり とおもくら しなつむすびのみこと) と 妹・志那都比売の命(しなつひめのみこと) に、こう告げた。

「汝ら神は、高天原(たかまがはら)の二宮(天照大御神・月弓之男の命)を斎き奉り(まつり)、禊(みそぎ)をして、星の神を生み、天に仕えさせよ。」

そこで、二柱の神 は、建依の隅(たけよりのすみ)の小門(こど) で禊を行い、生まれた御子の名は次の通り。

風星の神(かぜぼしのかみ)
風女星の神(かぜめぼしのかみ)
霞尾星の神(かすみおぼしのかみ)
気霧星の神(けむりぼしのかみ)
あかゆ星の神(あかゆぼしのかみ)
あかゐ星の神(あかいぼしのかみ)
露茅星の神(つゆちぼしのかみ)
芽霜星の神(めしもぼしのかみ)
斎雪星の神(いわいゆきぼしのかみ)
吹雪星の神(ふぶきぼしのかみ)
大雨星の神(おおあめぼしのかみ)
大降星の神(おおふりぼしのかみ)
また、伊邪那岐の命と伊邪那美の命 は、天疎豊道辺神御魂彌都波産巣日の命(あまさかる とよみちべの かみみたま やつはむすびのみこと) と 妹・彌都波能売の命(やつはのめのみこと) に、こう告げた。

「汝ら神は、天の二宮の大神を祀り、禊をして生まれる御子を高天原に仕えさせなさい。」

そこで、二柱の神 は、愛媛の矢野田(やのた)の小門 で禊を行い、生まれた御子の名は次の通り。

あれぬ星の神(あれぬぼしのかみ)
あれほ星の神(あれほぼしのかみ)
いどみ星の神(いどみぼしのかみ)
うるき星の神(うるきぼしのかみ)
とぢ星の神(とぢぼしのかみ)
うほヤ星の神(うほやぼしのかみ)
八百星の神(やおぼしのかみ)
うみ星の神(うみぼしのかみ)
とみ星の神(とみぼしのかみ)
彦星の神(ひこぼしのかみ)
また、伊邪那岐の命と伊邪那美の命 は、天津降萬正哉威美活立埴産巣日の命(あまくだり まさやたけ いみいくたつ はにむすびのみこと) と 妹・埴安比売の命(はにやすひめのみこと) に、こう告げた。

「汝ら神は、清め祓いを行い、高天原の 天津二宮(天照大御神・月弓之男の命) を斎き奉りなさい。
また、生まれる御子たちを 星の神として仕えさせよ。」

そこで、埴山比古の命(はにやまひこのみこと) と 埴山比売の命(はにやまひめのみこと) は、白日の毛井(けい)の小門(こど) で禊を行い、生まれた御子の名は次の通り。

すゐ星の神(すいぼしのかみ)
やみ星の神(やみぼしのかみ)
とみ星の神(とみぼしのかみ)
つゐ星の神(ついぼしのかみ)
なこ星の神(なこぼしのかみ)
なか星の神(なかぼしのかみ)
あれ星の神(あればしのかみ)
つま星の神(つまぼしのかみ)
みつぼ星の神(みつぼぼしのかみ)
多多羅星の神(たたらぼしのかみ)
とろ星の神(とろぼしのかみ)
かき星の神(かきぼしのかみ)
たかを星の神(たかをぼしのかみ)
とい星の神(といぼしのかみ)
こうして、天に仕える星の神々が次々と生まれ、
高天原に住まう天津神に仕えることとなった。
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2,4
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ここで 伊邪那岐の命 と 伊邪那美の命 は、次の神々に告げた。

天御魂国御魂穿神常座成金山産巣日の命(あめのみたま くにのみたま うがみのかみ つねます かなやまむすびのみこと)
妹・金山比売の命(かなやまひめのみこと)
神御魂別国津清美魂直毘産巣日の命(かみみたまわけ くにつ きよみたま なおびむすびのみこと)
妹・神直毘之女の命(かみなおびのめのみこと)
厳之幸守眞心常廻速秋津産巣日の命(いつくしき さきまもる まごころつねめぐる はやあきつむすびのみこと)
妹・速秋津毘売の命(はやあきつひめのみこと)
天足国足潮津清美底土産巣毘の命(あまたる くにたる しおつきよみ そこつちむすびのみこと)
妹・底巣媛の命(そこすひめのみこと)
天足国足潮津清美赤土産巣日の命(あまたる くにたる しおつきよみ あかつちむすびのみこと)
妹・赤巣比売の命(あかすひめのみこと)
天足国足潮津清美石土産巣日の命(あまたる くにたる しおつきよみ いわつちむすびのみこと)
妹・岩巣比売の命(いわすひめのみこと)
天之大土国之大土大御守山津見産巣日の命(あめのおおつち くにのおおつち おおみまもる やまつみむすびのみこと)
妹・大山毘売の命(おおやまひめのみこと)
「汝ら神々よ、禊(みそぎ)を行い、八百万の星の神々の祖神 となり、
高天原の二宮(天照大御神・月弓之男の命) を祀れ。
また、豊道之原の現しき青人草(人間)の魂を天に祀り、
禍津魂(わざわいの魂)と一速き魂(邪悪な魂)を神々の力で追放し、黄泉の国に送り、消し去るのだ。」

次に 伊邪那岐の命 と 伊邪那美の命 は、
大事忍乎岐の命(おおことおきのみこと) と 妹・大事忍乎美の命(おおことおみのみこと) に、こう告げた。

「汝ら神々よ、天津神(天の神々)の言葉を、現しき青人草(人間)に伝え、国を分け定めよ。
また、天津禍(あまつわざわい)や国津禍(くにつわざわい)が人々に降りかかるときは、
それを救い、禍を払い清めるのだ。」

そこで 大事忍乎岐の命 と 妹・大事忍乎美の命 が生んだ神々の名は、次の通り。

萬事解男の命(よろずごととけおのみこと)
妹・萬事解女の命(よろずごととけめのみこと)
大鳥比古の命(おおとりひこのみこと)
妹・大鳥比女の命(おおとりひめのみこと)
この 萬事解男の命 と 萬事解女の命 が生んだ神々の名は、次の通り。

天之事分の命(あまのことわけのみこと)
妹・国之事分の命(くにのことわけのみこと)
大垂比古の命(おおたるひこのみこと)
妹・大垂比売の命(おおたるひめのみこと)
これらの 二柱の神 は、秋津の御岳に立ち、朝の風と西風を受けながら、
天の常山に生える 玉木の瑞葉 を噛み、息を吹きかけた。

北の風に吹き放つと、大きな羽を持つ粗い物が生まれた。
南の風に吹き放つと、大きな羽を持つ柔らかい物が生まれた。
西の風に吹き放つと、小さな羽を持つ粗い物が生まれた。
東の風に吹き放つと、小さな羽を持つ柔らかい物が生まれた。
次に 伊邪那岐の命 と 伊邪那美の命 は、迦具土の命(かぐつちのみこと) と 妹・火之夜芸速女の命(ひのやぎはやめのみこと) に、こう告げた。

「汝ら神々よ、現しき青人草(人間)の助けとなるように、
山野に火を起こし、山の木々を育て、実り豊かにするのだ。」

そこで 二柱の神 は、山や野に立ち、木々に向かって告げた。

「火よ千重、火よ百重、火よ万重に燃えよ。
清めよ、称えよ、広めよ。
流れる火は、天の迦具の山の火である。
だから、むやみに燃え出すな。
この国は 私たちの糧となる木々が育つ国 なのだから、
豊かな実りをもたらすように勤めよ。」

また 伊邪那岐の命 と 伊邪那美の命 は、
弥都波能男の命(やつはのおのみこと) と 妹・弥都波能女の命(やつはのめのみこと) に、こう告げた。

「汝ら神々よ、現しき青人草(人間)の助けとなるように、
山や野に水を巡らせ、田畑を潤し、作物を実らせなさい。」

そこで 二柱の神 は、山野に立ち、木々に向かって告げた。

「流れよ、流れよ、清めよ、祓えよ。
泉よ湧け、水よ巡れ。
流れる水は、天の安河原(あまのやすのかわら)の
天の神々が授けた清らかな水である。
だから、むやみに溢れさせてはならぬ。
この国は 私たちの糧となる木々が育つ国 なのだから、
豊かな実りをもたらすように勤めよ。」

また 伊邪那岐の命 は、こう告げた。

「この国に生きる人々は、まだ未熟である。
だから 天分の神 を遣わし、国々を治めさせよ。」

そこで、天の神々に 天の祭りを知らせ、
地上の国々の神々に 国々の祭りを知らせ、
人々の神々に 人々の祭りを教え、
国が豊かに栄えるように導いた。
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2,5
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ここに、天開国開天津日高日子建速須佐之男の命(あめひらき くにひらき あまつひこ たけはや すさのおのみこと) は、
別の名を 国照大御神(くにてらすおおみかみ)、または 神速須佐之男眞幸の命(かみはや すさのお まさきのみこと) とも言われる神である。

須佐之男の命は、次の二柱の神々に告げた。

天之大土国之大土大御守山津見産巣日の命(あめのおおつち くにのおおつち おおみまもる やまつみむすびのみこと)
妹・大山比売の命(おおやまひめのみこと)
別の名を 神子多多良比売の命(みこたたらひめのみこと) とも言う。
須佐之男の命は、こう告げた。

「汝ら神々は、天下に広がる八百万のあらゆるものを知る神である。
だから、山野や里、川や海に、多くの木々や草を植え広げ、
木や草の種を蒔き、豊かに育てよ。」

そして、須佐之男の命は、自らの体に生えている 頭の毛、目の毛、口の毛、胸の毛、腹の毛、尻の毛、脚の毛 を
すべて抜いて、大山津見の命と大山比売の命の二柱に託した。

ここで、二柱の神は、

「承知しました。」

と答え、共にその毛を口に含み、千回噛み砕き、息を吹きかけた。

すると──

頭の毛 → 杉(すぎ)、松(まつ)、檜(ひのき)、槙(まき) などのさまざまな真木(まき)が生まれた。
目の毛・口の毛 → 榊(さかき)、小賀玉(おがたま)、桂(かつら) などの木々が生まれた。
胸の毛・腹の毛・尻の毛・脚の毛 → 大木、小木、実をつける木、花を咲かせる木、千種類の花、千種類の実、千種類の草 が生まれた。
さらに、千種類の菜(野菜)、川の菜、海の菜 も生まれ、これらは 人々の助け となった。
また、須佐之男の命は、抜いた毛を束ね、一つにして、千回噛み砕き、
東風(こち)、東南風、南風(みなみ)、南西風、西風、西北風、北風(きた)、北東風に向かって、
それらを吹き上げて散らし、遠い国々(外津世)に蒔き散らした。
-------------
2,6
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伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、国照大神に問いかけた。

「どうしてそんなに泣いているのか?」

国照大神は答えた。

「私は、潮の八百重を治めるようにと決められたからこそ、泣いているのです。」

これを聞いた伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、激しく怒り、

「お前は何を考えているのか?」

と問いただしたが、国照大神は答えなかった。

そこで、彼は母である伊邪那美の命に向かって言った。

「私は、母上が統治するこの現実世界の国(食べ物を生み出す大地)で、潮の流れを守り、人々の幸せをもたらす役目を果たしたいのです。」

これを聞いた伊邪那美の命は、

「それは素晴らしいことだ。」

と言い、伊邪那岐の命も、

「ならば、お前の思うようにするといい。」

と許可した。
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2,7
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大禍津日の命は、恐ろしく醜く、穢れた心を持ち、黄泉の国へ向かい、そこで黄泉の食物を食べてしまった。そして、彼は八種の雷神、無数の醜い男や醜い女を集めて、人間たちにさまざまな災厄をもたらした。

これを知った伊邪那岐の命は、腰に佩いていた十拳剣を抜き、大禍津日の命の首を斬り落とし、さらに体を何度も切り刻んだ。

大禍津日の命の体を斬ったとき、そこから流れ出た黒い血が地面を這い、這う虫、羽虫、短虫、長虫などの虫となった。さらに、体の中の腸からは、大蛇、小蛇が生まれた。また、体全体が縮み、丸まって、大きな毛の生えた獣、小さな毛の生えた獣が生まれ、これらはすべて人間に災いをもたらすものとなった。

そこで、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は、人々にこう教えた。

「これらのものは、黄泉の国の穢れた存在である。だから、もし目にしたときは、すぐに殺してしまいなさい。もし見逃したならば、それはお前たちの罪となる。」

そして、さらにこう告げた。

「毛の生えた獣の肉は決して食べてはならない。食べてしまえば、体が穢れ、毒となる。」

「這う虫や羽虫は、天から降りてきて、人を襲い、人の体をつついて食べることがある。」

「毛の生えた獣は繁殖力が強いので、焼き払った山に住まわせ、もし山から出てきたならば、多くの人で力を合わせて殺してしまえ。」

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2,8
-------------
ここに、大禍津日の命と、その妹である腐禍津比女の命の子である八十禍津日の神は、まっすぐに、恐ろしく醜く、邪悪で穢れた国へと赴き、無数の雷神や無数の醜い男たちを引き連れて、さまざまな呪術を行い、混乱を引き起こし、悪しき行いを重ねていた。

これに対し、伊邪那岐の命と伊邪那美の命は怒り、八十禍津日の命を石室に閉じ込め、佩いていた頭椎の剣を抜いて、深く突き刺し、喉を切り裂いて、息の根を止めた。

その息絶えたときの息が、禍々しい風となった。

また、その屍が崩れ、腐り果て、骨がむき出しになり、そこに腐肉がまとわりついて、さまざまな禍々しい頭が生まれた。それらの名は以下の通りである。

悪しき雲を張る禍津頭
悪しき空を覆う禍津頭
悪しき風を高く吹く禍津頭
悪しき闇に隠れる禍津頭
悪しき尾が長く腐る禍津頭
悪しきものに隠れる禍津頭
悪しき形が荒々しい禍津頭
悪しき炎の時に現れる禍津頭
悪しき水の時に現れる禍津頭
悪しき羽戸を張る禍津頭
悪しき形を縫い合わせる禍津頭
悪しき形を分ける禍津頭
悪しき足を束ねる禍津頭
悪しき胸口を持つ禍津頭
悪しき左右の手を持つ禍津頭
悪しき開いた口を持つ禍津頭
悪しき頭目が立つ禍津頭
悪しき左右の角を持つ禍津頭
悪しき黒鷺のような禍津頭
悪しき三つの目を持つ禍津頭
悪しき四本の手を持つ禍津頭
これらの禍々しい頭たちは、邪悪な力を振るい、人々を惑わせ、男も女も攫ってしまい、無数の禍々しい頭を生み出し、さらに人々を騙し、喰らっていた。

これを見た伊邪那岐の命と伊邪那美の命は怒り、顔を真っ赤にして炎を上げながら叫んだ。

「お前たちはなんと穢らわしく、憎むべき存在なのか!現世に生きる人々を、限りなく苦しめる禍津の頭どもよ!この国に居ることを許さぬ。遠く、異界の国である黄泉の国へ行くがよい!」

そう言って大きく目を見開き、厳しく睨みつけた。

これにより、八百萬の禍津頭たちは大神の怒りを受け、追放されることとなった。彼らはこの国にとどまることができず、身を縮こまらせ、震え、慄き、桃の木の梢に弾き飛ばされるように悔い、発狂しながら、黄泉の国の外へと逃げ去り、そこで滅びていった。

ここに、高天豊道明萬根子大道根子神である伊邪那岐の命と、眞燿幻千国根子厳之神立神である伊邪那美の命は、すべての神事を終え、天へと昇り、天津大神たちに報告を行った。

これを聞いた天津大神たちは、多くの神々と相談し、こう告げた。

「高天豊道明萬根子大道根子神である伊邪那岐の命よ、お前は天の祭りを司れ。

また、眞燿幻千国根子厳之神立神である伊邪那美の命よ、お前は国の祭りを司れ。

天の栄えと、国の栄えをもたらし、天の息吹と、地の息吹を循環させよ。」

こうして、伊邪那岐の命は、高天原の日之若宮に戻り、そこに留まった。

また、伊邪那美の命は、豊道の原の出雲にある比婆の山の頂に、大いなる宮を築き、そこで静かに鎮まり祀られた。

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2,9
-------------
ここに、天開国開天津日高建速須佐之男の命(またの名を国照大神)は、父母である伊邪那岐の命と伊邪那美の命の大御言葉を畏れ敬い、天へ昇ることにした。そして、姉である天照大御神に話したいことがあると考え、天へ向かった。

しかし、須佐之男の命が天へ昇る時、山や川、海など、すべての国土が揺れ動き、大地震が起こった。

これを見た天照大御神は言った。
「私の弟が天に昇ってくるのは、きっと良い心からのことではないだろう。」

そう言いながら、髪を解き、角髪(みずら)を結い直し、左右の角髪にも、髪飾りにも、左右の手にも、八尺の勾玉の五百個を飾り持ち、背中には千重の靫(矢を入れる道具)を背負い、伊都の高鞆(たかとも、腕につける防具)を帯び、弓の腹を振り立てて戦いの構えを取った。そして、堅い庭で大きく足を踏み鳴らし、淡雪のように散らしながら、力強く雄叫びを上げて戦いの姿勢をとった。

そして問いかけた。
「お前は何を考えて、ここへやってきたのか?」

すると、国照大神は答えた。
「私は邪な心を持ってきたのではありません。ただ、父母である大神の御言葉を受けて、天へ参りました。

父が『お前はなぜ泣いているのか』と尋ねたので、私はこう申し上げました。
『私は潮の八百重を治める役目を持ちたい』と。

すると父は、『お前の思うようにしなさい』とおっしゃいました。

だからこそ、私は天へ昇ったのです。どうか、私が悪い心を持っているなどと思わないでください。」

これを聞いた天照大御神は言った。
「では、お前の心が本当に清らかであることを、どうやって知ることができるのか。」

すると、国照大神は答えた。
「それならば、お互いに誓いを立てましょう。」

ここに、須佐之男の命の申し出に従い、天の安の河を境に誓いを立てることとなった。

まず、天照大御神は須佐之男の佩いていた十拳剣を、八脚の真秀机の上に置き、それを天熊之大人の命が持ち上げ、額の上に高く掲げて畏れ敬った。そして、七歩離れて慎み深く祈り、さらに慎んで手を打ち、敬意を表した。

天照大御神はその十拳剣を神聖な儀式で清め、三つに折って手に持ち、天の真名井に振り浄め、細かく噛み砕き、息を吹きかけた。その息吹の霧から生まれた神の名は、多紀理毘売の命(またの名は田心比売の命、または奥津島比売の命)であった。次に、市寸島比売の命(またの名は狭依比売の命、または中津島比売の命)が生まれ、さらに、多岐都比売の命(またの名は高津比売の命、または辺津島比売の命)が生まれた。

次に、国照大神(須佐之男命)は、天照大御神の身に纏われた八尺の勾玉の五百個の美しい玉を、三輪の秀机の上に置き、それを若比売の命が持ち上げて、額の上に高く掲げ、畏れ敬って手を打ち、慎み深く礼をした。

その時、須佐之男命は、左の角髪に纏われた八尺勾玉の五百個の玉緒を取り、それを神聖な儀式で清め、音を鳴らしながら天の真名井に振り浄め、細かく噛み砕いて吹きかけた。その息吹の霧から生まれた神の名は、天邇岐志国邇岐志天津日高日子正哉吾勝勝速日天之忍穂耳の命であった。

さらに、右の角髪に纏われた玉を同じように噛み砕いて吹きかけると、天之穂日の命が生まれた。また、髪飾りに纏われた玉を噛み砕いて吹きかけると、天津日子根の命が生まれた。

次に、左の手に纏われた玉を噛み砕いて吹きかけると、活津日子根の命が生まれた。そして、右の手に纏われた玉を噛み砕いて吹きかけると、熊野久須毘の命が生まれた。

ここに、天照大御神は生まれた神々を見て、須佐之男命に告げた。
「これから生まれた五柱の彦御子は、私の持ち物から生まれたのだから、私の子供である。先に生まれた三柱の姫御子は、お前の持ち物から生まれたのだから、お前の子供である。」

こうして、神々の誓いは果たされ、それぞれの子の所属が定められた。
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2,10
-------------
そこで、最初に生まれた 多紀理比売の命 は、胸形の 奥津宮 に鎮座する神となった。
次に生まれた 狭依比売の命 は、胸形の 中津宮 に鎮座する神となった。
そして、 多岐都比売の命 は、胸形の 辺津宮 に鎮座する神となった。

この 三柱の姫の大神 が天から 埼門山 に降り立った時、
青玉 を 奥津宮 に置き、
紫玉 を 中津宮 に置き、
八咫鏡 を 辺津宮 に置いて、
それぞれの宮に 御神体 として祀った。

このことから、「胸形」という名前がついた。

また、この神々は 豊日の宇佐 にも鎮座している。
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2,11
-------------
ここで、天照大御神は国照大神にこう言いました。
「豊道之原の中津国に大宜都比売の命という神がいる。
彼女は、人々が食べて生きるための食物を知っている神である。
お前はそこへ行って、彼女のことを見てこい。」

そこで国照大神は天から降り、大宜都比売の命に食物を求めました。
すると、大宜都比売の命は 鼻・口・尻 から様々な食べ物を取り出し、それを調理して百種類の食べ物を用意し、机の上に並べて 国照大神に捧げました。

しかし、その様子をこっそり見ていた国照大神は、それを不潔だと思い、怒って顔を赤らめ、
「なんと穢らわしいことか!なぜそんな汚いものを使って、天津神に供える食べ物を作るのか!」
と言って 十拳剣を抜き、大宜都比売の命を斬り殺してしまいました。

その後、天照大御神に報告すると、天照大御神は非常に怒り、
「お前はなんとひどい神なのだ。もう二度と会いたくない!」
と言い 一日一夜、口をきいてくれませんでした。

その後、天照大御神は 天熊之大人の命 にこう命じました。
「大宜都比売の命は、人々の食物を知る神である。彼女は死んでしまったが、息を吹きかけて蘇らせ、共に天に戻ってきなさい。」

そこで、天熊之大人の命が地上に降り、大宜都比売の命を探したところ、確かに死んでいました。
しかし、その遺体から以下の食物が生まれていました。

頭 から 稲の種(四種類)
胸 から 麦・黍(きび)・稗(ひえ)
腹 から 白豆・赤豆・八重豆(多種の豆類)
左手 から 粟・笹の実
右手 から 菰(こも)の実・黄黍(きび)
左足 から 甘稈(あまかん、サトウキビのようなもの)
右足 から 吉玉菜(野菜の一種)
陰部 から 蚕(かいこ)
天熊之大人の命は、これらをすべて集め、大宜都比売の命に 息を吹きかけると、彼女は蘇りました。
そして彼女を連れて天に戻り、天照大御神に報告しました。

天照大御神は非常に喜び、大宜都比売の命にこう言いました。
「お前は人々の食物を知る神であるのだから、これらの種を豊道之原の中津国 に蒔き、人々が食べ物に困らないようにしてあげなさい。」

大宜都比売の命は答えました。
「天照大御神が私を思い、流した涙 が私の頭に落ちてできたものが 稲の種 です。
だから、これを水田に植えて 水田の作物 にします。

また、天照大御神が私を斬った時の涙 が落ちてできたのが 稗(ひえ)と菰(こも)の種 です。
これを 水田の作物 として、その他を 陸地の作物 にします。」

さらに、天の国では 天之邑君 を定め、その稲を 天の狭田・長田 に植えました。
すると、その秋には 八束穂 がたわわに実り、とてもよく育ちました。

こうして、食べ物は以下の 十四種類 に分けられました。

水田の作物(4種)

稲(四種)
稗
菰(こも)
陸地の作物(7種)

陸稲(おかぼ)
作稲(さくいね)
玉粟(たまぐさ)
玉薦(たまごも)
黍(きび)
大豆
小豆
その他(3種)

八重豆
笹の実
狭実の麦
これらの 十四種の作物 を 「十四種津物(とおよつもの)」 と呼ぶことになりました。

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3,1
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ここで、天照大御神 は 大宜都比古の命 と 大宜都比売の命 にこう命じました。

「お前たちは 豊道之原 に降りて行き、人々に食物を作る方法を教えなさい。
また、生きるために どのように食物を噛み砕き、胃の中で消化するのか、 その仕組みを教えてあげなさい。
このようにして、人々が正しく食べることができるようになれば、現世は豊かで幸せなものとなる。

さらに、厳かに諸神を召し集め、こう伝えなさい。
『お前たちの神々は 大宜都の神 とともに中津国 に降りて、
人々が食物を適切に消化できるように導き、
さまざまな 穀物や作物 を育て、豊かに実らせ、
さらに、それらを どのように調理し、口に運び、食べるのかを教えなさい。
それを人々が 代々伝えて 実践できるようにしなさい。』」

こうして、諸神たちはこの命令を受け入れ、天から地上へと降りていきました。
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3,2
-------------
ここに 大宜都比古の命 妹 大宜都比女
の命ハ 種津諸神たちを 召さして 天降り
まして 奇日の襲の櫛觸岳の 三田井の真中
に 水田津作りなさして 天の狭田と 定め
けみの岳の 水出る眞中に 陸田津作りな
さして 天の陸田津と定めき 故 大宜都比
古の命 妹 大宜都比売の命の御子 田作之
男の命 妹 田作之女の命 畑作之男の命
妹 畑作之女の命たち 斎鋤斎鍬以て 山の
背 山の屈 峡立の丘の上の 岨峡の木を切
り 屈処に通し 埴以て埋め 直田となし
高みハ 茎立て 直田となす 大山津見の命
妹 大山比売の命ハ 八柱の山津見の神に
仰せて 泥を吉土とし 険土を悪土とし 木
立つ山 木立野 山原 荒野原 豊野原 大
浦 小浦に 沼海の磯辺浦 遠津海の磯辺浦
神の柔々に 発さして 諸処に 斎祓イて
人草の長田 広田を開かゐ 捲くり立てな
しに 天之水分の命 妹 国之水分の命 水
別の命 水足の命ハ 高山に 諸手を差し引
きて 込み満たせ ゆはらゆはらと 弥手に
眞中山に 樋立を 差し引き 山に 水立
を 差して 引き込み満たせ いはらいはら
と 弥手打ちに 引き纏びて 出る水を 長
田 広田に 庭津取り掛け 葦並み 稲作り
稗作り 菰実作り 八束穂に 繁垂りき
また 畑津留 掘らかし 開かゐ捲くり幾津
幾粟 幾黍 幾蕎麦 幾笹実を 種々蒔
かし また 畑津留水田津留に 幾狭実津物
を蒔かし また 弥々 玉菜 根菜 葉菜
実菜を 蒔かして 種津の副物に 品足りき
故 水田津物 畑津物 十四種津物 八百
穎 千穎長足り 幾寿ぎ御世に 歌イ奏でき

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3,3
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ここに 天照大御神 告りたまゐつらく
汝神たちハ 天の種津分りの神たちを 召さ
して 大八洲豊道之原の 山の隈々 国の国
々の極みまでに 開かイ起し 青人草の食
イて 生くべき食物を作れる業を 青人草に
教ゑ訓り伝てなさにと 告りたまイき 故
ここに 大宜都比古の命 大宜都比売の命
大山津見の命 大山比売の命たちハ 共に
千萬の 種津の神たち 共びて 水田津 畑
津を 開かイまします 国の国々 島の島々
生き足りなす
故 臼杵ゆ始めて 奇日別 豊日別
白日別 速日別 建日別 天之一箇柱 天
之狭手依 天之忍許呂 秋津根別 草木根別
淡海根別 伊勢津媛 狭依科別 遠津海別
无邪津海別 常陸彦 野陸媛 陸奥別 越
根別 丹波別 出雲別 穴門別 吉備津根別
愛媛 飯依彦 大宜津媛 建依別 国の国
々 島の島々を駆けり廻りたまイて 種津の
千道 御教ゑ訓り伝てて 八百丹吉し平地
美地に告らしましき
-------------
3,4
-------------
ここに 天照大御神の 御言以ちて 天降
活魂之大御食津豊宇気比古の命 またの御名
ハ 大宜都比古の命 妹の御名ハ天降活魂之
大御食津豊宇気比売の命 またの御名ハ 大
宜都比売の命の生みたま エる御子の御名ハ
稲依比古の命 妹 稲依比売の命 大結比
古の命 妹大結比売の命 水戸別足比古の命
妹 水戸別足比売の命 阿加麻多比古の命
妹 阿加麻多比売の命 これの神たちハ
瑞の幸栄エの 訓り伝てなしたまウ神なり
玉知之男の命 妹 玉知之女の命 玉敷之
男の命 妹 玉敷之女の命
天足之男の命 妹 天足之女の命 狭名実
守之男の命 妹 狭名実守之女の命
豆代之男の命 妹 豆代之女の命 豆照之
男の命 妹 豆照之女の命
豆隠之男の命 妹 豆隠之女の命 御田道
若男の命 妹 御田道若女の命
篠依之男の命 妹 篠依之女の命
これの神たちハ 畑津の幸栄エを 訓り伝
てなしたまウ神なり
津守菰代比古の命 妹 津守菰代比売の命
これの神ハ 水田津 畑津 御田津の種代
なして 殖ゆ津の訓り伝ての神なり
活伴之男の命 妹 活伴之女の命 萬菜取
之男の命 妹 萬菜取之女の命
萬石津菜取男の命 妹 萬石津菜取女の
命 炊語之男の命 炊語之女の命
これの神たちハ 食す菜 菜取り作りの訓
り伝てを 豊道之原の 国の極み 島の極み
共に駆けり 教ゑ降ち 心伝て 神訓りた
まイき

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3,5
-------------
ここに 天照大御神 大綿津見松浦比古の
命 大綿津見神門比売の命に 告りたまイつ
らく 汝神ハ 海原を知れる神にしあれば
それの海原に 御魚作りなして 現しき青人
草のために 魚取りの神となれよと 天之安
之河なる 八十隈手の 石産す御苔を取らし
て こを以て御種になし 大海に蒔き散らさ
にと 告りたまイき 故 ここに 二柱の神
飛み雲を呼びて 乗らしまして 幾ら 海
原に散らし放らげまししかば その御苔の端
に なれるハ 大海魚なり 下苔になれるも
のハ 小海魚なり 御苔根の州処に 零れ散
りたるハ 皆 八十の貝魚となりき 故 大
御神の命 告りたまわく 全べ 食ウものハ
その卵 多しきハ食エ 多さぬハ な食ゐ
そ 毒なす と 告りたまイき
-------------
3,6
-------------
ここに 宇迦之御魂比古の命 宇迦之御魂
比売の命ハ御子の香土開上比古の命 妹 吉
道路開岡比売の命を召さして 天照大御神の
御言以て 告りたまわく 汝神ハ 水田津物
地 畑津物地を作らに時の扶けとならに御力
多なるものを 作り生ゐえよ 彼の時 そを
廻み入れて 賄なエと 告りたまゐき 故
香土開上比古の命 妹 吉道路開上比売の命
ハ やがて 大空に ほほ鳴りて 御左の御
脚を 八進に張りて 苔産す原土を なゆら
なゆらに 原土を 建び建びに 厳ろになせ
ば 狭髪なる毛物成りき また 御右の御脚
を 八進に張りて 苔産す埴土を なゆらな
ゆらに 埴土を ゆくらゆくらに 和うらし
ませば 角なる毛物成りき ここゆ 天照大
御神の御許に 香土開上比古の命 吉道路開
岡比売の命 天昇しまして 大神に供エまつ
る 故 雄の建びになるものハ雄なり 雌の
建びになるものハ 雌なりとウて 称エ言ま
をす 大御神の命 甚く 嘉み寿ぎたまイて
告りたまイつらく こハ 青人草の扶けと
なれる毛物になもあり 汝 これに乗りてみ
よヤ と 告りたまエば 諾とウて 二柱の
神 直ちに 狭髪なる毛物に 男ハ雄に 女
ハ雌に跨げ 乗り巡らしつれば かららから
らと 潔に駆けりなしつ 故 大御神 頓
喜ばして 告りたまわく こハ 体力 多く
て 巧く走すかも と 告りたまイ 故 こ
れの毛の物を 馬といイ また 二柱の神
角なる毛物に 打ちこじり 乗りましつれば
てほろてほろ と滞 ぶれて 往き廻れば
大御神の命 嬉しみ 喜ばして 告りたま
イつらく 先の毛物と同じ力や 良けれど
道往きハ 滞に 憂しくこそあれ 然なれど
こハ 田乃土耕ゑしハ 忠励たちならに
と 告りたまイき 彼の角なる毛物 牛と名
付け また まめゐともいウ これの時に
大御神の命の御言以ちて 宇迦之御魂比古の
命 妹 宇迦之御魂比売の命 二柱の神に
言依さしたまゑば 直ちに香土開上比古の命
吉道路開岡比売の命 ハ 馬と牛とを引き
て 越根別の白加恵に 天降りまして これ
の種を 敷き産さし 多々に 国の国々 島
の島々に 蒔かしましき

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3,7
-------------
ここに 天照大御神の御言以ちて 闇淤加
美の命 妹 闇弥都波毘売の命に 仰せたま
イて 秋の垂り穂の種津物を 刈り納め 直
らウ その道の状を 青人草に 教ゑまさに
とて 天の丸太ハ 堅木以て 作らし【簸る
箕ハ 桜の皮を剥き 五百し葛を削ぎて 作
らしめ】とエしハ 黒葛を編ませ 畑道の藤
料 を編ませて 取り業の道法を知らせ と
依さしたまイき
-------------
3,8
-------------
ここに 迦具土の命 妹 火之夜芸速女の
命ハ 大御神の命の 御言以ちて 御子の神
火之燿鉾之男之命 妹 火之燿鉾之女の命
二柱神に 火焚きの道を在させ 国毎 島
毎 蒔かせ また 火之速玉之男の命 妹
火之速玉之女の命に 青人草の食らウべき種
津物を 焼き炊ける状を 知らせたまイき
ここに 波邇夜須比古の命 波邇夜須比売の
命ハ 御子 天之秀瓦之男の命 国之秀瓦
之女の命に 仰せて 高山の背低山の尾より
埴土を採らして 丸木を 槌手とし 茅萱
を 蜘蛛手とし 埴を円めて 秀瓦とし あ
ぬをくりに 眞風 日風に晒して 轆轤を打
ち また 埴と砂とを以ちて 男窯 女窯を
なり立て 轆轤打てる秀瓦を中に押し入れ
山の茎木を 伐りて 小切りなさし 男窯
女窯に 打ち焼べて 飯釜 実釜 幾ら幾
ら幾らに 焼き干して 煮る利瓦 食らイ平
瓦を作らし 水伊津比古の命 妹 水伊津比
売の命ハ 大土の底津水を招びて 食物を
水以て啜り 水以て 天の押石の長井の水を
取り出たまイき
-------------
3,9
-------------
宇麻志金持男の命 妹 宇麻志金持女の命
ハ 峡立ての 木を伐り こ切りて そ
れの中を剥り 全抜きて 臼となし 下枝を
切りこ切り 横孔を貫きて 堅木を切りて
上差しに 取り嵌めて 持ち手とし 横杵
とし 堅木こ切りを縦杵とし 豊の種津物の
実の粗皮 大皮を 尽くさしめき

-------------
3,10
-------------
また 国の金山の金を取らして 火に焼き
て 焼き鉈となし 幾ども 魚取り 弥切り
事し 鰭の広物 鰭の狭物を 海魚引き手と
なして 清まわりしめき【ここに 大綿津見
の命 妹 大綿比売の命の御子の神 天照大
御神 重ねて御子の神を召さして 海津鰭遠
岐の命 海津鰭遠美の命に 告りたまわく】
これの蒼海之原ハ 極み無にあるかも 故
こに 大海魚 小海魚 諸海魚を 多に 蒔
かせれど 極み無に 広らなれば いと 細
小なす 故 大海之原に 繁きく 弥多けく
生ゐ立てに 常世足らしなさして 天津神
の朝の御食 夕べの御食の 眞添ゑの御菜に
奉りならまじ 故 天之安之河の石種を
砂に取らして賜ゐき ここに 御子 海津鰭
遠岐の命 海津鰭遠美の命ハ 畏みて 大御
神の命の告りたまえりし 天の石村種 天之
安之河原の真砂を 掬びて取らして 蒼海之
原に 打ち降らして 天の掬びに 掬べる石
種 砂を取らして 潮を凝りて 砂に注ぎ
平手打ち出 息呼ぶせの道なして 海霊 海
霊 幾霊 幾霊 萬卵 生イに 萌エ萌エせ
せ と 告りて粗き石種 砂 を 吹き蒔き
散らしたまエば 大海魚 海魚の背々に 掛
かり また 細き石種 砂を 息吹に棄つる
に 諸海魚の背に飛び着きて 海魚 尽々に
皆 卵を孕みたりき 一魚腹に 弥萬の卵
なして 海原に盛る また こゆ 海魚の石
種 砂 風の共に た走り 飛びて 国々の
湖 山水 川水に 飛び入りて 川水魚なり
き ここに 二柱の神ハ 栲の木の皮を 打
ち剥ぎて 糸とになし そを編みて 海魚取
りの受け網を作り また 糸とを 編分けて
大鈎 小鉤を 付ねて 栲縄着けに 海
魚 川水魚を取る百道をなしたまイき 故
先の 二十八柱の神を 豊種津物の神といイ
八柱の神を 豊菜の神といイ 十四柱の神
を 豊食の神といウ
-------------
3,11
-------------
ここに 天照大御神 召さしたまイて 活
津比古根の命 妹 活津比売の命に 告りた
まイつらく
汝二柱の神ハ 天の酒作りなして 天降り
なせ また 熊野久須毘の命 妹 熊野久須
売の命に 告りたまイつらく 汝二柱の神ハ
未醤作りなして 天降りなせ
故 酒ハ 米を飯に蒸して 醸せよ 麦も
飯に蒸して醸せよ 醸せむには 真水以て
為せ また 麦と八豆とを 眞実穂に切りて
潮以て 醸し行せ と 告りたまイき 故
活津比古根の命 活津比売の命ハ 狭依科
の国に 天降りまして 米以て 麦以て 飯
に蒸して 真水以て修して 醸なしましき
故 米に成れるハ眞酒なり また 麦に成れ
るハ御酒なり 熊野久須毘の命 熊野久須毘
女の命ハ 穴門の国に 天降りまして 麦と
八豆とを以て 穂に切りて 潮以て修して
こに成れるハ未醤なり 故 酒ハ薬主とし
未醤ハ薬禰となせ また 未醤ハ 豊菜の眞
添えとなもなせと 告りたまイき
-------------
3,12
-------------
ここに 天照大御神 御言召さして 大山
津見の命 大山比売の命に 告りたまイつら
く 汝の御子たちに 仰せて 現しき青人草
の 住むべき家作りなさしめよ と 告りた
まイつれば
大山津見の命 大山比売の命 諾 と答ゑ
まして 直ちに 八柱の神に 訓り分まり
間分まりなしたまイき ここに 二柱の神ハ
大御神の御言以ちて 正鹿山津見の命に
千尋の栲縄を 幾らに 綯わせ 於滕山津見
の命に 弥尋木を 伐らしめて 幾らなく
柱となし 奥山津見の命に 御丸木を 伐ら
しめて 梁木 桁木 閾木 幾らなすとなし
闇山津見の命に 斎丸木を 伐らしめて
差木 帯木 幾らなすとなし 志芸山津見の
命に 弥尋葛を 取らしめ 原山津見の命に
広草を取らしめ 戸山津見の命に 大竹
小竹を 取らしめて 大山津見の命 大山比
売の命ハ 八柱の神と共に 弥尋木を 柱と
なし 眞中に 御分り立て 弥挽きおり 切
り家の戸柱となし 敷き分りて 梁木 桁木
を 敷き分り 弥分りて 弥尋葛を 柱の尽
々 結イなし 帯木を帯ばせ これの帯木を
八重葛以て 結ゐ吊りに 結イ固め 差木
を 敷き並み 大差木を 引き手繰りに 上
せて こを 多々に 結イ固め 茅萱を 束
々に 敷き積み その上その上に つかしを
敷き積み 栲縄以て 結イ固め 丸木散ら
しに 千木となし その上に 弥尋木を 引
き手繰りて 堅魚木 勝女木となし 棟腹に
千草を産し生わして 長雨 短雨を 忍ぶ
便りとなし 戸建に 柝竹を繁き建て また
柝竹を引き手繰りに 結イ固め 赤埴以て
弥 塗ろしに塗ろゐ捌ぎ固め 葉柴 木柴
を 角目に結イて 入る出るの時 便として
持ち廻りに祓エて 黄埴以て 間構イを作
らしめ 飯炊く秀瓦イ 菜炊く秀瓦ゐ その
上に置きて 食物の便となしたまゐしより
竈といウ こを以ちて 二柱の神ハ 八柱の
神に 百千人の添人をなして 草木根ゆ始め
て 国の国々 島の島々ぬ 国駆り 島翔り
て 天之一箇柱にて 完エぬ これの暇ハ
一歳 未だに 豊道之原の極み迄 造り完エ
たまゑば こを以ちて とまゑ と なも
いイける
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3,13
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ここで、天照大御神 は 萬言息吹比古の命 と 萬言息吹比売の命 にこう命じました。

「私の子孫が統治する 豊道之原(日本の国々) において、
人々の間で 言葉が正しく伝わらず、聞こえづらい 状態になっている。
だから、お前たちは 天から降りて、
高天原で使われる正しい言葉 を 地上の人々に正しく伝えなさい。」

これを受け、萬言息吹比古の命 と 萬言息吹比売の命 は
草木根の国の哮の御岳(神聖な山) に降り立ち、
次のように 言葉を整えて人々に教えました。

天の言葉と国の言葉の違い
母音「あ・い・う・え・お」の違い
文法の使い分け(「て・に・を・は・れ・て・ぬ」の違い)
吉言(よい言葉)と悪言(悪い言葉)の区別
穏やかな言葉と荒々しい言葉の違い
長く伸ばす言葉と縮める言葉の違い
言葉の音の響きの違い
言葉の持つ意味の違い
はっきりと伝える言葉と隠された意味を持つ言葉の違い
こうして、言葉を 細かく分類し、人々が正しく話せるように 整えました。

さらに、各地の神々に命じて、国々の人々にこの言葉を伝えました。

秋津根比古の命・秋津根比売の命 → 秋津の国の人々に
草木根別の命・草木根比売の命 → 草木根の国の人々に
久久能智比古の命・久久能智比売の命 → 久久の国の人々に
淡海根比古の命・淡海根比売の命 → 淡海の国の人々に
伊勢津比古の命・伊勢津比売の命 → 伊勢津の国の人々に
狭依科別の命・狭依科比売の命 → 狭依科の国の人々に
遠津海別の命・遠津海比売の命 → 遠津海の国の人々に
无邪津海比古の命・无邪津海比売の命 → 无邪津海の国の人々に
吉陸比古の命・吉陸比売の命 → 吉陸の国の人々に
野陸比古の命・野陸比売の命 → 野陸の国の人々に
陸奥別の命・陸奥比売の命 → 陸奥の国の人々に
越根別の命・越根比売の命 → 越の国の人々に
丹波別の命・丹波比売の命 → 丹波の国の人々に
出雲別の命・出雲比売の命 → 出雲の国の人々に
穴門根別の命・穴門根比売の命 → 穴門の国の人々に
吉備津根別の命・吉備津根比売の命 → 吉備の国の人々に
豊日別の命・豊日比売の命 → 豊国の人々に
白日別の命・白日比売の命 → 白日の国の人々に
速日別の命・速日比売の命 → 速日の国の人々に
奇日別の命・奇日比売の命 → 奇日の国の人々に
狭手依比古の命・狭手依比売の命 → 天一箇柱の人々に
愛媛別の命・愛媛比売の命 → 愛媛の国の人々に
飯依比古の命・飯依比売の命 → 飯依の国の人々に
大宜都比古の命・大宜都比売の命 → 大食津の国の人々に
建依別の命・建依比売の命 → 建依の国の人々に
こうして、それぞれの地域で 正しい言葉が伝えられるようになり、
各国の人々が 言葉を学び、互いに理解し合えるようになった のです。

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3,14
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ここに 天照大御神 天津明魂之男の命
天津明魂之女の命 天津躯居之男の命 天津
躯居之女の命 四柱の神に告りたまイつらく
汝神ハ 現しき青人草の 魂守る神 躯身
守る神 と 称エて 守り活けなせ と 告
りたまイき 故 天津明魂之男の命 天津明
魂之女の命 汝が二柱の神ハ 青人草の御魂
を守りて 醜魂 穢れ魂 悪じ魂 有らしめ
ず 幸く 豊くなし 顕事完ゑ 隠事に到ら
ば 吾が高天之原に 星の神となして 吾が
前津辺に 天昇しなさせめて 斎かせよ も
しもに 真黒心有らば 遠く 黄泉津に逐イ
棄て消せ と 告りたまイき また 天津
躯居之男の命 天津躯居之女の命ハ 青人草
の御體守る神になもあるからに 日守り 夜
守りに 御體逞まに 潔に 眞力太に 長足
らしに 足らし足りに 守りなせ と 告り
たまイき また 天照大御神 首比古の命
首比売の命に 告りたまイつらく 汝神ハ
人草の御頭を守れ目盛男の命 目盛女の命
に 汝神たちハ 人草の目を守れ 歯根囲見
男の命 歯根囲見売の命に 汝神たちハ 人
草の歯根を守れ 食口の命 食口女の命に
汝神たちハ 人草の口を守れ 跟踵伎の命
跟踵美の命に 汝神たちハ 人草の踵を守れ
左手振比古の命 右手振比売の命に 汝神
たちハ 人草の双腕を守れ 左踵比古の命
右踵比売の命に 汝神たちハ 人草の双脛
を 守れ 胸岡之男の命 胸岡之女の命に
汝神たちハ 人草の御胸 御腹を守れ 大背
岡岐の命 大背岡美の命に 汝神たちハ 人
草の御背平を守れ と 事依さしたまイき
故 各も各もの神たち 共に 天駆り 国
分り 御體散らし 神散らしたまイて 千々
千々の 現しき青人草の 一人一人の 窶
し背平の 撓知りの神とまをす
去にし世の先に 伊邪那岐の命 伊邪那美
の命 禍津神を 外津世の黄泉津に 神逐イ
に 逐ゐたまイしゆ 豊道之原の中津国 甚
豊けく 直に 斎々しに 天照大御神 国
分りまして 天津御虚空に 御照らしたまゑ
るからに 荒ぶる頭どもハ 外津黄泉津に
縮繰り込みき
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3,15
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ここに 天照大御神 十四の 神たちに
告りたまイつらく 汝ハ 絹取りの神となり
て 青人草に 絹取りの道伝てせな と 告
りたまイき 故 天津繭別之男の命 天津繭
蚕比女の命ハ 野陸の国に 天降りて 繭蚕
を 放ちまして こを育て養イ 喰わす 薬
なす太榛を 植えさせたまイき
故 これを桑木といウ 繭蚕を葉飼ゐて 空
布とし【口に含みて 糸に紡つ】天之阿賀比
比古の命 天之阿賀比比売の命ハ 大食津の
国に 天降りまして 麻と楮とを 植え作ら
しめ 降ち長に なさせしところを 楮長と
いウ その皮を 引剥ぎに剥ぎて 糸に績ま
せ 天津紡比古の命 天津紡比売の命ハ 豊
日別の国に 天降りまして 草綿と葛条とを
植え作らしし処を 綿田といイ また 条
を植エしとこを 越智といウ それの実を取
りて 狭糸に紡がせ 天之棚機比古の命 天
之棚機比女の命ハ 秋津の国に 天降りまし
しとこを 桁田といイ 繭蚕の糸以て 綾に
織りたまイしところを 遠里といウ 天之若
武比古の命 天之若武比売の命ハ 穴門の国
に 天降りまして 倭文を織りしところを
石内といウ 天津千針比古の命 天津千針比
売の命ハ 出雲の国に 天降りまして 綾布
を切り断ち 男衣 女衣を 針以て 糸連を
秀なして 夏の暑さ 冬の寒さを 凌ぐ便
とし 天津蘿依比古の命 天津蘿依比売の
命ハ 草木根の国に 天降りまして 倭文を
切り裂きて 暑さ 寒さ 朝衣 夕衣に 針
以て 糸に接く結イなして 種々の衣物を
作りなす 故 各も各もの神たち それの国
ゆ 始めたまイて 八百国 八千島に 物学
びなさせて 訓り伝てたまイき 天照大御神
天津訓の神訓を 諭したまゑる随に 豊道
之原の 瑞穂の国に 諸神たちに 道知りな
させて 種々 千萬の法道を 完ゑ垂づてま
ししからに 瑞穂の人草 雨の隠り 風の隠
り 暑さ隠り 寒さ隠り 家なし 衣なして
食物ハ 飢エじ と なし 荒ぶる頭ども
ハ 神逐イまし 厳し御世に 朝楽し 夜楽
し 老ゆ 媼 益男 益女 子 童 共に
歓く 春ハ 花に歌イ 夏ハ 繁き葉に歌イ
秋ハ 弥束穂に歌イ 冬ハ 片葉に歌ウて
可笑じる
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3,16
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ここで 勝速日建速須佐之男の命(スサノオ) は 天照大御神(アマテラス) にこう申し上げました。

「私の心は 清く明るい です。
だからこそ、私が生んだ御子は 日子(ヒコ、男神) でした。
このことから考えても、私は勝った のです。」

そう言い放ち、スサノオは 勝ち誇るように荒々しく振る舞い、暴れ始めました。

春 には 天照大御神が作られた神聖な田んぼ の 畦(あぜ) を踏み壊し、
水路を埋めてしまい、田の用水を壊しました。
秋 には 収穫の時期 に、
収穫間近の稲が生い茂る田んぼに馬を放ち、
稲を踏みつぶして荒らしました。
さらに、天照大御神が新嘗(収穫祭)を行う新宮で、
神聖な御座の下にこっそり糞をまき散らしました。
しかし天照大御神は怒らず、スサノオの行為をこう解釈しました。

「糞をまき散らしたのは 酔って吐いた のだろう。
畦を壊したのは あの場所を惜しんでのこと だろう。」

こうして、スサノオの悪行を咎めることなく、大御神の寛容な心で受け止めました。
しかし、それでもスサノオは 悪事を止めず、次々と暴れ続けた のです。

そして、ある時 天照大御神 は 神聖な機織り小屋 にこもり、
稚比売(ワカヒメ) に 神々の衣を織らせて いました。

その時、スサノオ は機織り小屋を 覗き見し、いたずらを企てました。

彼は 天の斑馬(まだらの神馬) を 皮を剥いで逆剥ぎにし、
その死体を 機織り小屋の中に投げ入れた のです。

突然の異常な出来事に、稚比売は驚き、恐怖に震えました。
驚きのあまり 織機の上から落ち、手に持っていた梭(ひ) に突き刺さってしまい、
その傷から 血が流れ出て、ついに絶命してしまいました。

この出来事を受けて、天照大御神は激怒しました。

「お前は、穢れた心のまま、悪しき行いを続けている。
もう、お前とは二度と顔を合わせたくない。」

そう告げると、天の岩屋に閉じこもり、
その入り口を 大きな岩で封じてしまいました。

すると、この影響で
高天原は闇に包まれ、
地上(豊葦原の瑞穂の国)も闇に沈み、
さらにその先の 外の世界まで光が消えてしまいました。

世界は闇に覆われ、
すべてのものが活動をやめ、静まり返りました。

さらに 以前、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)によって追放された荒ぶる神々(禍津神) は、
もともと 天照大御神の強大な光に圧倒され、黄泉の国の外れに潜んでいました。

しかし 天照大御神の光が消えた今、
その機を逃さず、
邪悪な神々はうごめき始め、災いを巻き起こしました。

静まり返った世界の中で、
突然、禍々しい気配が満ち始め、
あらゆる物が怪しくざわめき始めたのです。

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3,17
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ここにおいて、八百万(やおよろず)の神々 は皆、
世界が暗闇に沈み、人々が困惑していることを嘆き悲しみました。

そして、天の安の河原(あめのやすのかわら) に集まり、
「どうすれば天照大御神(あまてらすおおみかみ)を岩戸から出すことができるのか」
ということについて議論を重ねました。

神々は、天津大御神(あまつおおみかみ)たち のもとへ参り、
「このような方法で、神をお迎えする祈りを捧げるのがよいのではないか」
と、祈りの作法について正式に申し上げました。

そこで、高御産巣日神(たかみむすびのかみ) と
神御産巣日神(かみむすびのかみ) は、

「この難題を解決するには、
八つの心を持つ知恵深い神 思金神(おもいかねのかみ) に
知恵を絞らせるのがよい」

と命じました。

思金神 は、あらゆる知識と策謀に通じた神であり、
最も賢く、深い理を知る神でした。

その思慮深い知恵を働かせて、こう進言しました。

「天照大御神の姿を映す鏡を造り、
それを用いて神を招き出す儀式を行うべきです。」

この思金神の策 に従い、
伊斯許理度之男神(いしこりどのおのかみ) と
伊斯許理度之女神(いしこりどのめのかみ) は、

天の安の河原の川上にある天の堅石(かたし)を取り、
金山彦神(かなやまひこのかみ) と
金山媛神(かなやまひめのかみ) は、

天の香山(かぐやま)の神聖な鉱山から、
真金(まがね=純金)を採取しました。

そして、天津真浦神(あまつまうらのかみ) と
天津麻牟羅神(あまつまむらのかみ) は、

この純金を磨き上げ、
日の大御神の御姿を映す神鏡 を二つ作りました。

しかし、最初に作られた鏡は、あまりに小さく、
神々の心にかなうものではありませんでした。

そこで、再び作られたのが、
「八咫鏡(やたのかがみ)」と呼ばれる二つの鏡 でした。

これらの鏡は、非常に美しく仕上げられ、
神々の期待に十分に応えるものとなりました。

次に、久久能智神(くくのちのかみ) と
久久麻遅比売神(くくまちひめのかみ) は、

天の真名木(まなぎ)を切り出し、
それを削り、木の枠を作りました。

さらに、神々は「天の羽鞴(あめのはぶき)」という炉 を作り、
これを用いて神具を仕上げる準備を整えました。

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3,18
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明立天之御影の命(あけたつあめのみかげのみこと) と
豊櫛比売の命(とよくしひめのみこと) は、

天から降りて、
日向(ひゅうが)の高千穂山 へ向かい、
黄金(こがね=金)を探し求め、
柝鈴(たくれい=鳴り物)や五十鈴(いすず) を作りました。

天之抜戸之男の命(あめのぬとおのみこと) と
天之抜戸之女の命(あめのぬとめのみこと) は、

天から降りて、
陸奥(みちのく)の加賀古(かがこ)の山 に行き、
白金(しろがね=銀)を採取し、
合兎鼓(あいとこ=太鼓の一種)や五十兎鼓(いそとこ) を作りました。

活津比古根の命(いくつひこねのみこと) と
活津比売那の命(いくつひめなのみこと) は、

天から降りて、
穴門(あなと=長門国、現在の山口県)の黒金(くろがね=鉄) を
炉で焼き鍛え、

さまざまな 太刀(たち=剣)や鉾(ほこ=槍)、
鐸(ぬで=鈴の一種) を作りました。

天之日鷲比古の命(あめのひわしひこのみこと) と
天之加奈止美比女の命(あめのかなとみひめのみこと) は、

天から降りて、
大食津(おおけつ=現在の石川県あたり)の富樫(とがし)の地に
楮(こうぞ)の木を植え、
白和幣(しらにぎて=白い布のお供え) を作りました。

長白羽比古の命(ながしらはひこのみこと) と
白羽比売の命(しらはひめのみこと) は、

天から降りて、
草木根(くさきね=現在の紀伊地方)の加太(かた)の地に
麻を植え、青和幣(あおにぎて=青い布のお供え) を作りました。

山雷之男の命(やまいかずちのおのみこと) と
山雷之女の命(やまいかずちのめのみこと) は、

香山(かぐやま=現在の奈良県の香具山)の
五百本もの立派な榊(さかき) を伐り、
八十(やそ=たくさん)の玉串(たまぐし=神に捧げる木の枝) を作りました。

野椎之男の命(のづちのおのみこと) と
野苧之女の命(のをめのみこと) は、

五百重(いほえ)の大野原(おおのはら=広大な野原) で
野薦(のごも=水草の一種)を選び取り、
八十の玉串を作りました。

天之櫛明魂の命(あめのくしまかみのみこと) と
羽玉比売の命(はたまひめのみこと) は、

八尺(やさか)の勾玉(まがたま) を五百個集め、
清め磨き上げました。

熊野久須毘の命(くまのくすびのみこと) と
熊野比売の命(くまのひめのみこと) は、

天から降りて、
丹波(たんば)の地で竹を切り、
その節のつなぎ目に穴を開け、
「吹き竹(ふきたけ)」を作りました。

伊豆之男の命(いずのおのみこと) と
伊豆能売の命(いずのめのみこと) は、

天から降りて、
遠津海(とおつうみ=遠い海、伊豆地方) の
大竹を伐り、一箇所に穴を貫通させ、
「法螺貝(ほらがい)」を作りました。

衝立船戸の命(つきたつふなとのみこと) と
衝立船美の命(つきたつふなみのみこと)、

道之長乳歯の命(みちのながちばのみこと) と
道之長乳女の命(みちのながちめのみこと)、

天津比古根の命(あまつひこねのみこと) と
天津夷鳥比売の命(あまつえびすどりひめのみこと) は、

天から降りて、
狭依科(さよりしな=現在の信濃地方) の久久知山(くくちやま)へ行き、
大木を伐り、くり抜いて、
「大太鼓」を作りました。

そして、愛媛山(えひめやま) の藤のつるを切り、
その皮を薄く剥ぎ、
その皮を大木に張り、しっかりと包み固めて、
「轟(とどろ=太鼓の音)」を作りました。

これを細い枝で打ち鳴らすと、
「ととろ、ととろ」と響き渡り、
その音がとても清らかだったので、
「ととろ鼓(つづみ)」 と名付けられました。

天之香具山の命(あめのかぐやまのみこと) と
香具夜比売の命(かぐやひめのみこと) は、

天之加奈止美の命(あめのかなとみのみこと) と
天之波比売の命(あめのはひめのみこと) とともに、

天の加久弓(かくゆみ=大弓) を八張(やはり=八本)並べ、
狙(そが=弓の緒)に
松蘿(まつづら=松のつる)を結び、
弦(つる)をかけて、「琴(こと)」を作りました。

そして、茅(ちがや)や菅(すげ)の葉を使い、
弦を掻き鳴らすと、
その音がとても素晴らしかったため、
「琴」と名付けられました。

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3,19
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天之御鉾男の命(あめのみほこのおのみこと) と
天之御鉾女の命(あめのみほこのめのみこと) は、

倭文(しず)の織物を八十反も織り、
神々のための神聖な布を用意しました。

天之八千千比古の命(あめのやちちひこのみこと) と
天之八千千比売の命(あめのやちちひめのみこと) は、

神々が着る衣を織り上げました。

手置帆負の命(たおきほおいのみこと)、
多久豆玉比売の命(たくずたまひめのみこと)、
彦狭知の命(ひこさちのみこと)、
天之太比売の命(あめのふとひめのみこと) は、

天津御量(あまつみはかり=神殿の建築)を行い、
斎斧(いみのおの=神聖な斧)や斎鉈(いみのなた=神聖な鉈) を使って、
大きな峡(はざま=谷)や小さな峡に生える木を伐採し、
斎柱(いみばしら=神殿の柱)を立て、瑞の御殿(みずのみあらか=神殿)を造りました。

天之時置師の命(あめのときおきしのみこと) と
天之時押女の命(あめのときおしめのみこと) は、

御笠(みかさ=儀式の笠)、鉾(ほこ=武器や儀式の道具)、
楯(たて=盾)を作り、
日を防ぎ、雨をしのぐ役割を果たしました。

天之御境比古の命(あめのみさかいひこのみこと) と
天之御境比売の命(あめのみさかいひめのみこと) は、

神々のための膳(かしわで=食事を捧げる器)を用意し、
七供紗(ななくさ)、五供紗(三つの供物を載せる布)を整えました。

奥津比古の命(おくつひこのみこと)、
奥津比女の命(おくつひめのみこと)、
庭高津日古の命(にわたかつひこのみこと)、
庭高津比売の命(にわたかつひめのみこと)、
天之御井之男の命(あめのみいのおのみこと)、
天之御井之女の命(あめのみいのめのみこと)、
阿須波比古の命(あすはひこのみこと)、
阿須波比売の命(あすはひめのみこと)、
波比岐日遅の命(はひきひぢのみこと)、
波比岐日母の命(はひきひものみこと)、
天津秀瓦男の命(あまつほがわらおのみこと)、
天津秀瓦女の命(あまつほがわらめのみこと) は、

神々の供物を整え、膳を用意しました。

まず、三つの供紗(みつのくさ=神聖な供物の布)を敷き、
さらに 柏葉(かしわば=神に捧げる葉)を重ねました。

そして、

白飯(しろいい=炊いた米)を高く盛り、左の前津物(さきつもの=最初の供え物)としました。
汁(しる=味噌汁など)を右の前津物としました。
甘い汁を左の先津物(さきつもの)としました。
生の供物を右の先津物としました。
香りのよい供物を中津物(なかつもの)としました。
さらに、

左の膳(ひだりのぜん)には、汁、かぬ(乾燥した供物)、ちぬ(熟成した供物)、ぬぬ(発酵させた供物)を置きました。
右の膳には、二供紗(ふたつの供物の布)を敷き、汁、そき(発酵食品)、先津膳(三番目の供物)を置きました。
三供紗(みつのくさ)には、利碗(とりわん=とりわけ用の器)、水碗(みずわん=清水の器)、焼碗(やきわん=焼いた供物の器)、干碗(ほしわん=干物の器)を山のように積み上げました。
さらに、斎火(いみび=神聖な火)を焚き、供物を調理しました。

その内容は、

山でとれるもの(山菜や木の実など)、
川や海でとれるもの(魚介類)、
玉菜(たまな=野菜)、しし菜(ししな=山菜)、甘菜(あまな=甘い野菜)、辛菜(からな=辛い野菜)、
沖津藻菜(おきつもな=沖でとれる海藻)、辺津藻菜(へつもな=浜辺の海藻)、
大海魚(たいかいぎょ=大きな魚)、小海魚(しょうかいぎょ=小さな魚)、
さまざまな種類の食物 を取り揃えました。
それらを 神聖な火で調理し、慎重に供えました。

これで 「上津文三の綴り」 は完了しました。

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4,1
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上津文 四の綴り
ここに、十四の種津の神たちは、それぞれが育てた種津実を奉りました。

大宜都比古の命、大宜都比売の命の御子である
稲依比古の命、稲依比売の命は、稲の実を万斛奉りました。

玉知之男の命、玉知之女の命は、陸田の稲の実を万斛奉りました。

赤玉比古の命、赤玉比売の命は、色のついた稲の実を万斛奉りました。

玉敷之男の命、玉敷之女の命は、玉粟の穂の実を万斛奉りました。

天足之男の命、天足之女の命は、青薦の実を万斛奉りました。

種実守之男の命、種実守之女の命は、黍の実を万斛奉りました。

大結比古の命、大結比売の命は、稗の実を万斛奉りました。

水戸別足比古の命、水戸別足比売の命は、菰の実を万斛奉りました。

豆代之男の命、豆代之女の命、豆汲之男の命、豆汲之女の命、
豆照之男の命、豆照之女の命たちは、さまざまな種類の豆の実を万斛奉りました。

御田道若男の命、御田道若女の命は、真蕎麦の実を万斛奉りました。

篠依之男の命、篠依之女の命は、笹の実を万斛奉りました。

七活伴之男の命、七活伴之女の命、万菜取之男の命、万菜取之女の命、
万石津菜取男の命、万石津菜取女の命、炊語之男の命、炊語之女の命たちは、
甘菜、辛菜、いみ藻、ぬゐ藻を万斛奉りました。

天津海鰭比古の命、天津海鰭比売の命は、
千千万もの海の魚の大きなもの、小さなもの、
太藻菜、小藻菜を山のように供えました。
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4,2
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このようにして、さまざまな供物を整えて捧げ、天津大言国之言主櫛麻知天之児屋の命と、その妹である許登能麻遅比売の命、天之斎櫛国之斎櫛秋津鐸太玉之男の命と、その妹である天之櫛魂比売の命が、共に議論し、決定しました。

そして、占いを行って真実を確かめるために、天之香山の真雄樫の木の上の枝を、そのまま貫いて、波波迦(占いに用いる木の皮)を取り、その皮を焼いて、太占(火占い)によって占ったところ、その占いの結果は、神々の意志に合致していました。

そこで、天之児屋の命と許登能麻遅比売の命は、天之香山の五百枝の真賢木を根ごと掘り出し、その上の枝には、天之明玉の命が磨いた八尺の勾玉を取りつけ、中の枝には、天之香具山の命が作った八咫鏡を取りつけ、下の枝には、天之日鷲の命が作った木綿を取り垂らしました。

そして、これらのさまざまな供物を、天之太玉の命と天之櫛玉比売の命が太御幣として捧げ持ち、天之児屋の命が大祝詞を唱えて、神々を祈り祭り、祝詞を述べて神々を奉りました。
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4,3
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ここで、常世の長鳴き鳥(鶏)を集めて、互いに長く鳴かせました。
そして、天之手力男の命は、岩屋戸(天の岩戸)の脇に隠れて立ちました。

また、田心比売の命、湍津比売の命、狭依比売の命、御食津比売の命、許登能麻遅比売の命、櫛玉比売の命、泣澤之女の命、天之伊豆之女の命、棚機比売の命、彌都波能売の命、速秋津比売の命、鹿屋野比売の命、若沙那女の命、夏之女の命、秋比売の命、千依比売の命、そしてその他の八十柱の比売神たちは、

・黄金や白金で作られた千の花の冠をかぶり、
・大御衣(神聖な衣)を羽織り、火丹色(赤)の長い袴を着け、
・手には、貴玉(貴重な玉)を五百個繋いだ飾りを持ち、
・岩屋戸の左右に並んで座りました。

また、八十八柱の天津高みの大神たちは、

・頭に黄金の勾玉が付いた円穂(神聖な冠)をかぶり、
・左手と右手に巻き飾りをつけ、
・広い衽(裾の広い衣)をまとい、八雲の文様が入った袴を着け、
・手に大きな貴玉を持ち、
・岩屋戸の左側の新しい殿(神聖な建物)に座しました。

また、八百柱の天津神たちは、

・頭に「思随の御冠(知恵を象徴する冠)」をかぶり、
・火の衽(赤い衣)をまとい、千草色の袴を腰に垂らし、
・手に貴玉を持ち、岩屋戸の右側の石村(神聖な場所)に並んで座りました。

さらに、八百千柱の神々は、

・岩屋戸の真正面の広場に並び、
・歌を歌い、さまざまな笛(鳴らし笛や息吹笛)を吹き鳴らし、
・天地に響かせるほどに盛大に騒ぎ立てました。
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4,4
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天之宇受売の命は、神々の遊び(神楽)の主導者として、歓びの比売神たちを率いて準備をしました。

・天之香具山の天の日蔭(神聖な葉)を鬘(かつら)とし、
・天之眞拆(神聖な木の枝)を髪に挿し、
・八つ手葛を襷(たすき)として肩に掛け、
・笹葉を手草(手に結ぶ飾り)として結び、
・手には鐸(鈴)がついた矛を持ちました。

また、歓ぎ女(神楽を舞う女性)八人は、

・手に茅巻きの矛を持ち、
・右手には五十鈴を持って、
・岩屋戸の前の広場で、槽(樽)を伏せて置き、それを踏み鳴らしながら神がかりの舞を始めました。

彼女たちは、雀が飛び跳ねるように舞いながら、

「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、十十百百千千千千万万」

と、リズミカルに歌い、合菟鼓(大きな太鼓)に合わせて歌いました。

さらに、

「ああ、なんと吉兆であることか!
ああ、なんと嬉しいことか!
ああ、なんと尊いことか!
ああ、なんと面白いことか!」

と叫びながら、

・胸の乳房を露わにし、
・裳(スカート)の紐を緩めて陰部まで押し下げ、
・腰をくねらせながら大胆に舞い踊りました。

この様子により、高天原(天の世界)が響き渡り、八百万の神々が一斉に手を叩き、大笑いしました。

その時、

・天の高柴(神聖な柴木)をたくさん積み上げて火を放ち、庭火(祭りの炎)を作り、
・神楽の歌に合わせて笛を吹き、法螺貝を鳴らし、鼓(太鼓)を打ち、琴を弾き、
・合菟鼓(大きな太鼓)の拆鈴(鈴のついた太鼓ばち)を打ち鳴らし、

その音は、とても美しく、清らかに響き渡りました。
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4,5
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ここで、天照大御神は「これは不思議だ」と思いました。しかし、天之児屋の命が広く深く、敬い祈る言葉を捧げるのを聞いて、おっしゃいました。

「これまで、多くの神々が言葉を捧げてきたが、これほど美しい言葉はなかった」

そう言って、天の岩屋戸を細く開け、中からこう問いかけました。

「私がここに籠っていたことで、高天原(天の世界)は自然と暗くなり、豊道之原の中津国(日本の国々)はもちろん、さらに遠い世界のすべての国々までが暗くなった。それなのに、なぜ天之宇受売の命は八人の歓び女たちを率いて楽しげに遊んでいるのか? また、なぜ八百万の神々が歌い、鼓を鳴らし、さまざまな楽器を奏でながら笑っているのか?」

すると、天之宇受売の命はこう答えました。

「あなたよりも尊く、貴い神がここにおられるからこそ、私たちは歓び、遊んでいるのです」

こう言っている間に、天之太玉の命が神鏡(八咫鏡)を差し出して、天照大御神に見せました。

すると、天照大御神はますます「これは不思議だ」と思い、少しずつ戸の外へ身を乗り出し、鏡をじっと見ました。

その瞬間、隠れていた天之手力男の命が岩戸を勢いよく引き開けました。

さらに、十四柱の比売神たちがすぐに駆け寄り、天照大御神の手を取り、御身を高く抱え上げ、外へお連れしました。

そして、すぐに天之児屋の命と天之太玉の命が尻組縄(結界の縄)を後ろに引き渡して、

「これより中へ戻らないでください」

と申し上げました。

この時、鏡が岩屋に当たって、わずかに傷がつきました。

こうして、天照大御神を新たな宮にお迎えし、天之児屋の命と天之太玉の命は日の御綱(太陽の神聖な綱)を掛け巡らせました。

また、十四の比売神たちと、さらに大宮之女の命がその御前に仕え、天之岩戸別の命が御門を守りました。

そして、天之太玉の命が大殿の儀式を執り行い、御門の祭りを行いました。

天照大御神が岩屋戸から出られると、

・高天原(天の世界)も
・天の下(地上の世界)も

自然と輝き、照り映えて、すべてが明るくなりました。

八百万の神々は、互いの顔を見合わせ、その喜びを分かち合いました。

そして、手を伸ばして歌い舞い、

「天晴れ!
ああ、なんと面白いことか!
ああ、なんと楽しいことか!
ああ、なんと清らかなことか!」

と声を合わせて歌いました。
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4,6
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ここで、八百万の神々が集まり、相談して、速須佐之男命に対して千座の置戸(罪を清める儀式)の祓いの品々を負わせました。そして、彼の髪と髭を抜かせ、さらに手足の爪も抜かせました。

手の爪は「手末の吉棄物」とし、足の爪は「足末の凶棄物」としました。

また、彼の唾を「白和幣(神聖な布の供物)」とし、涎を「青和幣(神聖な青い布の供物)」としました。

天之児屋命が祓いの大祝詞を唱え、天の小菅(祓いの道具)を裂いて祓いを行い、その儀式を終えました。

そして、八百万の神々は速須佐之男命を責めて、

「お前の行いは、まことに悪しきものであった。

これからは、高天原にも、豊葦原の中津国(地上の世界)にも住んではならぬ。

遠く、底の国(黄泉の国)や外の国へと速やかに去れ!」

と厳しく言い渡し、彼を神逐い(神の追放)の儀式によって追い出し、天から地へと降らせました。

ここで、建速須佐之男命は、八百万の神々に追われて天を降りていく途中、長雨が降り続いていました。

そこで、彼は青草を束ねて蓑や笠を作り、それを身にまとって、神々に宿を貸してくれるよう頼みました。

しかし、神々はこう答えました。

「お前は悪しき行いをしたために、大神によって追放された身ではないか。

どうして、私たちに宿を乞うなどと言うのか?」

そう言って、皆が彼を拒絶しました。

こうして、雨はますます激しく降り、風も強く吹きつけるなか、建速須佐之男命は身を寄せる場所もなく、ただ吠え嘆くばかりでした。
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4,7
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ここで、天開国開天津日高建速須佐之男命は、

「私は神々に追放されて、このまま去らねばならない。しかし、姉である天照大御神に会わずに、ただ去ることができようか」

と言い、再び天へと昇って行きました。

これを天之宇受売命(アメノウズメノミコト)が見て、天照大御神にこのことを伝えました。

天照大御神は、

「私の弟の須佐之男命は、邪(よこしま)な心を持っているのか? それとも、正しい心を持っているのか?」

と問いかけました。

そこで天之宇受売命は、八意思金命(ヤゴコロオモイカネノミコト)に相談し、思金命はこう答えました。

「建速須佐之男命は、以前は非常に穢れた心を持ち、それゆえに追放されました。しかし今は、八百万の神々の中でも特に優れ、清く明るい心を持つようになっています」

と述べ、須佐之男命を称えました。

これを聞いた天照大御神は、速須佐之男命に向かい、こう告げました。

「汝(そなた)、弟の命よ。八百万の神々に勝るとも言えるほど、清く明るい真心を持つようになったと聞いた。

それゆえ、父と母である大神の教えのとおり、豊葦原の瑞穂の国(地上の国)を統治しなさい」

と告げました。
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4,8
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それならば、豊葦原の中つ国は、私が岩屋に閉じこもったことにより、永遠に暗くなり、黄泉の国の荒ぶる神々が数多く目覚め、騒ぎ立て、道を荒らし、猛り狂っている。

昼は水が泡立ち、雲が吹き上がり、霧が立ち込め、夜は炎のように輝き、岩も木も、立つ草の葉も、水の流れさえも、言葉を発して問うている。

青人草(人々)は幸福を願う心も、生きる意志も失い、夢の中でも心が挫け、朝も夕も泣きながら嘆いている。十四種の食物を奪われ、無理やり食われ、衣は剥ぎ取られ、女は暴かれ、人々は皆、心を押さえつけられてしまっている。

だから、汝、弟の命よ。天から降り立ち、荒ぶる神々を鎮め、追放し、治めなさい。そして、青人草たちが楽しみ、歌を歌うように導きなさい、と告げられた。

それゆえに、荒ぶる神々が強く猛り狂うならば、神の教え、道の教えをもって追い払い、弱く猛るならば黄泉の国へ追放せよ。善きことは持ち上げ、悪しきことは抑え、魂を分かち、真理を分かち、神々を正しく配しなさい。

もし食物を求めるならば、天を祭り、国を祭り、私の伴神をも祀って敬いなさい、と告げられた。

ここに、国照大神は、その御子である多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命、五十猛命、五十猛背面命、大屋毘古命、大屋比売命、抓津比売命の八柱の御子神を率い、伴神たちとともに、日向の霧島の峰へ天降った。

そして、国照大神は臣神たちに告げた。

「私が見たところ、日の大神が告げられたように、国津の禍つ神たちは数多く存在し、人々の食物を奪い、災いをもたらし、自らの糧とし、なお足りずに、女や子ども、牛や馬までも奪い食っている。これは国にとっての大いなる禍いである。

この禍つ神たちが牛や馬を奪い、人々を苦しめるならば、また山に住む大きな獣や小さな獣、大きな虫や這い回る虫どもが人々を苦しめるならば、すぐに討ち滅ぼせ。

こうして、豊葦原の禍つ神たちを根絶やしにし、人々を安らかに暮らせるようにせよ」と告げられた。

これを受け、臣神たちは「仰せのとおりに行います」と答えた。
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4,9
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ここに、速日別の国の襲の岳には、煙り神と空張り神がいて、山の谷を騒がしく荒らし回り、国内の食物を隠してしまった。また、幼子を捕らえて喰らうことまでしていた。

このとき、天津大神が天から降り立つと聞いて、煙り神と空張り神は縮こまった。しかし、それでも悪しき行いをやめなかった。

そこで、国照大神は言った。「私は、大御神の命の御言葉を受け、騒ぎ立てる荒ぶる神々を追い払う」と。

そして、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命に命じ、さらに天之児屋命、天之太玉命を召して言った。「汝ら神々よ、我が治める国で騒ぐ荒ぶる神々が多い。これを祓い鎮めるために手伝え」と告げた。

これを受け、五十猛命、五十猛背面命、大屋毘古命、太窓之津命、天相命、興台産巣日命、玉主命、天之櫛明玉命、建角身命、天之御祖命、建雷命、経津主命らが集まり、さらに現人の強者たち八百万を集めて会議を開いた。

国照大神は、速日別の襲の岳の頂へ向かい、様子を見たところ、その山の木々の隅々まで煙り神と空張り神の災いが張り巡らされていた。それらは、各々が尻や口から糸を吐き出し、八方に張り巡らせていた。

そこで、国照大神は強者たちに命じ、火をおこし、木の枝を燃やさせた。すると、煙り神と空張り神は口から霧の網を吹き出し、国中が暗くなり、何も見えなくなった。

これを見て、天之児屋命と天之太玉命が相談し、稲穂八十束を強者たちに持たせ、天地に振り撒いた。すると、たちまち霧が晴れて、国が明るくなった。

このとき、煙り神と空張り神、そしてその他の禍つ神たちは逃げ惑った。しかし、五十猛命と五十猛背面命は彼らを追い詰め、組み伏せ、八握剣を抜いて煙り神と空張り神をズタズタに斬り殺した。そして、八百万の強者神たちも共に禍つ神々を斬り捨てた。

斬られた禍つ神たちの体からは、さまざまなものが溢れ出た。一部は八手蜘蛛や喧さ蜘蛛に、一部は針蛟や眞首蛇に、一部は這う虫や大虫へと変わっていった。

その後、国照大神が豊日の御宝の岳に向かうと、国津神である豊日別命と豊日比売命が、現人が作った小麦を粉にした棊子麺(きしめん)を、未醤の汁とともに捧げて食事をもてなした。このことから、その地は「杵島の里」と呼ばれるようになった。そして、ここに滞在し、多くの謀を巡らした場所を「柚富(ゆふ)」と名付けた。
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4,10
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ここで、国照大神は言いました。「天之児屋の命、天之多岐玉の命、天津日子根の命、五十猛背面の命たちよ、お前たちは現人(うつしびと)の家族の長たち千々を率いて愛媛の国へ向かいなさい。私は穴門(あなと)から去る」と。

それで、天津日子根の命、天之児屋の命、五十猛背面の命、天之多岐玉の命たちは、家族の強い者たちの長を千万人も集めて率い、愛媛の国へ向かい、久万輪山(くまのわやま)に留まりました。

そのとき、建依別(たけよりわけ)の宗我美(そがみ)の田渕(たぶち)には、火を吹く頭(かしら)と水を吹く頭(かしら)がいて、荒れ狂い、災いを起こし、八百もの禍いを引き連れていました。彼らは岩の根や木の根に語りかけ、昼には水を吹き出して雨を降らせ、夜には田に火を放ち、人々を恐れさせ、十四種の穀物を奪い食い尽くしていました。

天津神たちが天から降りたことを聞くと、火吹き頭と水吹き頭たちは宗我美の田渕に隠れ、騒ぐのをやめ、しばらく様子をうかがっていました。

そこで、国照大神の身代わりとして、天之児屋の命、天津日子根の命、五十猛背面の命、天之多岐玉の命たちは、家族の強士たちと相談し、建依の宗我美の田渕に立ち向かいました。

火吹き頭と水吹き頭たちは、山野に炎を上げ、雨を降らせ、猛り狂いました。火が激しく燃え上がり、鳥狩りをしていた家族の強士たちは火に押され、苦しみました。

それで、四柱の大神たちは相談し、天之水分の命(あめのみくまりのかみ)に命じて火を鎮めさせました。すると、火吹き頭と水吹き頭は、山野に大量の水を湧き上がらせました。今度は家族の強士たちは水に押され、皆苦しみました。

そこで、四柱の大神は、天之火分の神(あめのほわけのかみ)に命じて水を鎮めさせました。火吹き頭と水吹き頭は、ついに術を尽くし、石の根や木の根、青水の表に這う虫たちに語りかけ、木の枝の先々に宿り、姿を変えて隠れました。

家族の強士たちはそれに惑わされ、道を見失いました。

これを見て、天津日子根の命、天之児屋の命、五十猛背面の命、天之多岐玉の命たちは、たいそう怒り、「なぜ私たちがここへ来たというのに、このような悪しき行いをするのか」と言い、持っていた十握の剣を大きく振り上げ、「ああ、うるさい! ああ、うるさい! 魂を震えさせよ、魂を震えさせよ!」と叫びながら剣を振り回しました。

すると、火吹き頭と水吹き頭、そして千々の禍つ神たちは、次々と倒れ伏しました。

ここで、家族の強士神たちは禍つ神たちを残らず斬り捨てました。斬られた傷口からは黒い血が多く流れ出し、毛の荒い災い、毛の柔らかい災いと変わりました。

すると、四柱の大神は言いました。「この毛の荒いものも、毛の柔らかいものも、青人草(人々)が作る穀物に災いをなす。だから、それを殺し、私たちを祀れ」と。

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4,11
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ここに 国照大御神ハ 豊日の国ゆり 穴
門に出ましし時に 穴門根別の命 穴門根比
売の命ハ 新宮を 鞆津に 建てて 命を
迎エまつりて まをしけらく 奴が親族 家
族 海に入りて いと 大きなる海魚を 取
り還りましき 故 命に 奉らに と まを
して 引き来て たて奉るに その身 十五
丈あり 故 国照大御神 告りたまイつらく
これの海魚ハ 喰らゐて 清げなるかも
人草の薬ともなるかも
故 吾に 食させよ と 告りたまイき こ
こに 穴門根別の命 穴門根比売の命ハ 大
海魚を 背断ちて 未醤に炊き凝らし また
これの身を 弥 切りに 切りて 甘と酢
とを 散らして 膾となして 奉る時に 国
照大神 告りたまイつらく これの海魚ハ
益良男の取れる 霊びの海魚にあるかな と
告りたまイき 故 これの海魚を 鯨 と
いウ ここに 動神あり 胸口神といウ
胸に 口ありて 能く 言問イなす 故 国
照大神 そを 捕らゑまして 言問わせ 用
ちましき 胸口神 答エまをす 奴ハ 禍津
日の神の曾孫の神なり 禍らイ人 八十余り
あり と 申す 何以て 生をる と 問ゐ
たまエば 奴ハ 人草の種津物を奪りて生き
る また 馬と牛とを 食めて生きる と
申す 汝ハ 穢らわしき 悪き神なり 故
これの国に 勿 住みそ 黄泉津に罷れ
と 告りたまイて 持たせたまエる 天之神
懸の桑弓以て 弓弦を 引き鳴らして 呪弾
ねに 弾かして 胸口神 八十の禍らイども
黄泉津北に 神逐イなしたまイき
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4,12
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ここで、国照大神は丹波の国に道を妨げ、荒れ狂う神が騒ぎを起こしていると聞き、出立しました。そして、出雲根別(いずものねわけ)を通って進んでいくと、途中で肥の川の上流にある鳥髪(とりかみ)の地にたどり着きました。そこには、清めのための神饌(みけ)を乗せた皿や箸が川上から流れてきていました。

「この山の上に人がいるのかもしれない」と思い、上へ登っていくと、どこからか泣き声が聞こえました。その声を頼りにさらに登っていくと、老人と老婆が一人の少女を間に座らせ、撫でながら泣いていました。

国照大神は彼らに尋ねました。「お前たちは誰だ?」

すると、老人が深く嘆きながら答えました。「私たちは国津神、大山津見(おおやまつみ)の命の子です。私の名前は足名椎(あしなづち)、妻の名は手名椎(てなづち)です。そして、この娘の名前は眞髪觸櫛稲田比売(まかみくしなだひめ)といいます。」

国照大神はさらに尋ねました。「なぜ泣いているのか?」

老人は答えました。「この娘には、もともと八人の姉がいました。しかし、毎年、越(こし)の八俣大蛇(やまたのおろち)がやってきて、一人ずつ食べてしまいました。今年もまた、その怪物が山を越えてくる時期がきました。それで、恐ろしくて泣いているのです。」

「その大蛇の姿はどんなものか?」と大神が尋ねると、老人は答えました。「その姿はこの上なく恐ろしく、目は赤く、まるで発酵した酸醤(すずし)色のように赤く光っています。その体は一つに繋がっていますが、頭が八つ、尾も八つあります。体には苔が生え、檜(ひのき)や杉の木が生い茂り、全身が谷八つ、丘八つにわたって広がるほど巨大です。その腹を見ると、いつも血まみれで爛れ、ただれているのです。」

国照大神は老人に言いました。「お前の娘を私に差し出すことができるか?」

すると、足名椎と手名椎は手を叩いて「畏れ多いことです。もちろん、お捧げします。しかし、あなたの御名を知りません。」と答えました。

そこで、国照大神は言いました。「私は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の同母弟、国照神(くにてるのかみ)である。今、私は天から降り、この国々の人々が災いに遭わぬように助け、禍(まがごと)をなくし、幸せな世を作るために天照大御神の御言葉を受けて天降ったのだ。」

それを聞いた足名椎と手名椎は、深くお辞儀をし、「然り、その通りにいたします」と答え、娘を差し出しました。

国照大神はその少女を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に変えて、五百の爪櫛を御髻(みずら)に刺し、「髪に光を宿した」と言いました。そして、足名椎と手名椎に命じました。「お前たちはさまざまな木の実を集めて、八塩折(やしおり)の酒を醸し、垣を作って囲め。その垣には八つの門を作り、それぞれの門の前に八つの仮屋(かりや)を建て、その仮屋ごとに大きな酒槽(さかぶね)を置き、その中に八塩折の酒を満たしておけ。私はお前たちのために、その大蛇を簡単に倒してみせよう。」

そこで、足名椎と手名椎は大神の指示通りに準備を整えて待っていました。

すると、八俣の大蛇が猛り狂い、八百の波を打ち立てながら、山谷を震わせ、禍々しい風を巻き起こしてやってきました。

国照大神はその大蛇に向かって言いました。「お前は畏れ多い神である。なぜ饗応(もてなし)を受けないのだ?」

そう言うと、大神は大蛇の頭をつかみ、それぞれの口に八塩折の酒を注ぎ込んでいきました。大蛇は八つの槽(ふね)の前に頭を垂れ、酒を飲み干しました。そして、たちまち酔い潰れ、ぐったりと眠ってしまいました。

すかさず、国照大神は言いました。「お前は騒がしい神だ。一口の酒で酔いつぶれるとは、どういうことか? 早く目を覚まして、比売(ひめ)を食らわねばならぬのではないか?」

そう言いながら、大蛇の頭を踏みつけて揺さぶると、大蛇は目を覚まし、怒り狂って身を震わせ、口を大きく開け、火を噴きながら大神に飛びかかろうとしました。

国照大神はこれを見て言いました。「お前は悪しき神だ。私に向かって幼稚で愚かな悪事を働くとは、まったくもって愚か者だ!」

そう言って、持っていた貴玉(たかたま)を投げつけ、大蛇を打ち散らしました。

しかし、大蛇はますます怒り、比売の命(ひめのみこと)に飛びかかろうとしました。怒りのままに跳び上がり、激しく息を荒げて暴れました。

国照大神はその様子をじっと見て、素早く大蛇の首をつかみ、力の限りに引き倒しました。そして、垂れ下がった大蛇の首に御佩刀(みはかせる)である頭握剣(かしらにぎつるぎ)を抜いて、一気に大蛇をずたずたに斬り裂きました。

その大蛇の屍が八つに分かれ、雷鳴のように轟き、天に響きました。

また、大蛇の左の尾を斬ると、奇妙な百玉のようなものが出てきました。これを「大蛇の比礼(ひれ)」と名付けました。

さらに、右の尾を斬ると、奇妙な榾木(ほたぎ)のようなものが出てきました。これを「八蛇の比礼」と呼びました。

そして、中央の尾を斬ったとき、大神の剣の刃が少し欠けました。

「これは妙なことだ」と思い、よく調べてみると、そこには別の立派な剣が収まっていました。これを「都牟刈の太刀(つむがりのたち)」と名付け、大御神に献上しました。

この大蛇が潜んでいた場所には、いつも叢雲(むらくも)がかかっていました。

そこで、この剣を「天之叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」と名付けました。
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4,13
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ここで、国照大神は「この妹を迎えて、我が宮を建てよう」と宣言し、出雲の国に宮を建てる地を探しました。そして須賀の地に至り、天之太玉の命に告げました。

「私はこの地に来て、心が清々しく感じられる。だから、ここに宮を建てて、我が妹を迎えようと思う。」

これを聞いた天之太玉の命は「畏れ多くも、まことにその通りでございます」と答え、五十猛の命と相談しました。そして、すぐに手置帆負の命、手置比売の命、櫛石窓の命、豊石窓の命、屋船比古の命、屋船比売の命らに命じ、須賀の地に壮麗な宮を建てさせました。その宮は、八つ八つの棟を持ち、天の御蔭、日の御蔭として大神が鎮まる場所となりました。

そこで、天之太玉の命、天合の命、興台産巣日の命らは、足名椎の命、手名椎の命の娘である眞髪觸櫛稲田比売の命を、天の斎迎え、国の斎迎えとして迎えました。そして、宮に正式に迎え入れる儀式を執り行いました。

儀式では、桂木(かつらぎ)、小賀玉木(こがたまのき)、賢木(さかき)の三種類の木を用意し、その中津枝に赤芽を差し、茅萱(ちがや)や蓬(よもぎ)を敷き並べ、真砂(まさご)の上に整えました。また、大国形(おおくにがた)、小国形(こくにがた)を作り、十四種類の山菜や野菜、鰭の広い魚、鰭の狭い魚、沖の藻菜、岸辺の藻菜などの御食(みけ)を用意しました。さらに、豊かな御酒を供え、食物の儀、神の儀、臣の儀、現人(うつしひと)の儀を執り行いました。

その時、国照大神は歌を詠みました。

八雲立つ
出雲 八重垣
妻を隠すために
八重垣を作る
その八重垣を

こうして、国照大神は正式に眞髪觸櫛稲田比売の命を迎え、夫婦となりました。それを祝って、家族や臣たち、強士(つわもの)たちは皆、祝いの宴を開きました。すると、その場には紫色の雲が立ち上りました。このことから、この地を「出雲」と名付けたのです。

この時、天之太玉の命もまた歌を詠みました。

八雲立つ
出雲の爪櫛
妻を求めて
御手に執り
御弓に柏を添えて
何と吉きことか
稲田比売の神よ

こうして、国照大神の宮が須賀に建ち、大神はそこに鎮まられました。そして、神々や人々が集い、舞い、歌い、祝いをあげたのでした。

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4,14
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ここで、国照大神は、天之生田(あめのいくた)・天之栄田(あめのさかえた)を定めました。それから、国照大神は、神々の伴(とも)である活津日子根の命、熊野久須毘の命、天之太玉の命、五十猛の命、大屋毘古の命、玉主の命、建角身の命、天之御祖の命、建雷の命、経津主の命らと共に、八百の家族の強士(つわもの)たちを率いて、丹波の佐分の御岳へと向かいました。

そこで、大神が周囲を見渡すと、穴太(あのう)の山に、千萬もの禍々しい神々が騒ぎ立てていました。そこで、活津日子根の命と五十猛の命は、背に矢を張り巡らせた靫(ゆき)を帯び、左手には高鞆(たかとも)を装着し、蔓を強く締めた梓弓(あずさゆみ)を手に取りました。そして、鹿皮の行騰(むかばき)を身につけ、胸には金の鎧を締め、天之狭駒(あめのさこま)に飛び乗ると、馬を駆り立てて猛り、叫びながら、騒ぐ神々を召し呼びました。

「なぜ、天津大神が禍津神(まがつかみ)を祓い清めるこの時に、この国で騒ぎ立てるのか。お前たちは穢れた者たちではないのか?」と大神は問いかけました。

すると、騒ぐ神々は答えました。「我らは、この国の田を耕す現人(うつしびと)に仕えております。今、騒いでいるのは、北の茅原(かやはら)に禍神(まがつかみ)がいるためです。その名は、隠り神(かくりがみ)と片現れ神(かたあらわれがみ)の二柱であり、彼らには千萬の禍々しい眷属(けんぞく)がついております。彼らは種津物(たねつもの=作物)を奪い食い、それだけでは飽き足らず、子どもたちをさらい、ある者は犯し、ある者は焼いて食べてしまいます。この悪事は数えきれないほどあり、今も続いているのです。」

また、神々は続けて言いました。「しかし、その天津神たちが天降りされたと聞いて、我らは大いに喜び、供物を用意して、お迎えしようと考えました。そのために、麦や大豆を捧げ、団子を作り、小豆を餡にして餅を用意し、御饗(みあえ=神への供物)を整えました。」

そこで、国照大神は供物を食し、「この団子は実に美味しい」と言いました。こうして、この地を「多久の里」と名付けました。

その後、国照大神は天之太玉の命に向かって、「北の茅原の禍津神を祓うための策を考えよ」と命じました。天之太玉の命は、物部の神々や、現人の強士(つわもの)たち千萬の家族神を集め、戦の準備を整えました。自ら八握剣(やつかのつるぎ)を佩(は)き、五百本の矢を背負い、黒熊の毛皮の行騰(むかばき)を履き、黄金の冠を戴きました。また、弥栄の勾玉(いやさかのまがたま)を左右の高鞆(たかとも)に巻き付け持ち、豊石窓の命が作った輿(こし=乗り物)に乗りました。

五十猛の命、大屋毘古の命、そして物部の神々も千本の矢を背負い、弓の弦を張り詰め、国照大神の前を祓いながら進みました。神々に仕える家族の強士たちもまた、共に出発しました。

その途中、大御神の使いである「使主人の神」が、戦の様子を報告に戻りました。国照大神は、「禍津神の様子を詳しく聞かせよ」と命じました。

使主人の神は答えました。「禍津神は、隠り神と片現れ神の二柱を中心とする一族です。彼らは木の影、水の影、火の影、野の影に潜みながら、人々を襲います。彼らは若い男を捕えて家畜のように飼い、若い女を連れ去って妻とし、年老いた者は殺して肉を塩漬けにします。そのため、この地の民は生きる術を失い、常に震えながら逃げ回り、東へ西へとさまよっております。」

ここで、大神たちは皆で相談し、五月蝿(さばえ)のように騒がしく荒ぶる神々を鎮め、平定しようと決めました。そして、隠り神(かくりがみ)と片現れ神(かたあらわれがみ)、それに付き従う禍々しい者たちを討ち滅ぼすため、彼らが潜む北の茅原(かやはら)を焼き払うことにしました。

神々は、神聖な火を焚き、炎を天へと燃え上がらせました。そして、天の活津葛(かつづら)を千尋もの長さに切り裂き、それを氷のように固い木々と絡めて、しっかりと結びました。神々は勇ましく、力強く荒ぶる神々に向かって進みました。

すると、隠り神と片現れ神、そして彼らに従う八千もの禍々しい者たちは、恐れおののき、身を縮めて怯えました。そこで、玉主(たまぬし)の命、建角身(たけつぬみ)の命、建雷(たけいかづち)の命たちは、天の厳駒(いづくま)に跨り、天の雲を駆け抜けながら飛びかかり、十握(とつか)の剣を抜いて、隠り神と片現れ神の首を刎ね落としました。

その首からは禍風(まがかぜ)が吹き出し、血飛沫が舞い、さらにそれが新たな禍風を巻き起こしました。残された五百の禍津神たちは、震え、慄きながら逃げ惑いました。

ここで、大神たちは哀れに思い、こう言いました。

「お前たちは荒ぶる心を持っている。しかし、もし今ここで誠の心を持ち、忠誠を誓うならば、助けてやることもできよう。」

それを聞いた八百千(やおち)の禍津神たちは、誓いを立てました。彼らは髪に油を注ぎ、結び垂らし、太い袖の常衣(とこしえのころも)の上に、縫い合わせた袖の内掛けをまとい、袴を引きずるように長く垂らしました。そして、皆が土に頭をつけ、手には楮麻(こうぞあさ)を裂いたものを持ち、八方に振り祓い、何度も何度も平手を打って敬意を表しました。

大神たちは、彼らの改心を見届け、大きな赦しを与え、禍津神たちを大御田族(おおみたぞく)の民として仕えさせることにしました。

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5,1
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上津文 五の綴り
ここに 国照大神 草木根の国に往ましの
時 天津日子根の命 天之児屋の命 五十猛
背伴の命たちハ 胞の四島を 払イ平けたま
イて 日下根の門に 参イ会ゐましき 故
経津主の命 国照大神に まをしたまわく
吾が家族 奴の使主人の長ども まをしけら
く 久久能智の国に 形隠り頭 鬼隠り頭と
て 八百の禍らイありて 素体身を消し 荒
び業をなして 種津物を奪る また 狭依科
の国に 羽鳥頭とて 奴が身にハ 翼有りて
空 翔りして 岩根 木根 茅草に 炎駆
り降らせ 五月蠅なす 悪じ頭あり また
ここに 草木根の国に 形縫イ頭 形分け頭
とてあり 奴が身ハ 頭 二つ 手 三つ
あり 力強く 千引き岩を 一持でに振り
生き立てる特牛を 頭ゆ 喰らゐなす 千萬
の禍らイ有りて ちばやぶり 荒び祟りて
禍の戦をなすとまをす と 称エ言まをす
故 国照大神 告りたまイつらく 汝 神
たちハ 謀りなして 禍物を逐らエと 告り
たまイき ここに 天津日子根の命 天之児
屋の命 五十猛の命 太玉之津の命 天合の
命たちハ 八百の家族の長たちを 率きて
久久能智の国に 向かして 神逐いに 逐イ
ましき 故 形隠り頭 鬼隠り頭どもの 八
百の禍らイども 皆に皆に 姿消し 体隠れ
の術も 大神たちの呪訓りに 気圧され 術
も 適得ずて 尽々に 斬り殺さゑたりき
それらが血 流れ とと迸り 岩根 木根の
野苔に迸り着きて 生りつるものハ 狐 獺
狸 河童 狆子 豸々子 猿 天狗禰人な
りき これによりて それの処を 加太那
といウ
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5,2
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ここに 天津久須毘の命 天之太玉の命
五十猛背伴の命 玉主の命 八百の家族の長
たちハ 狭依科に 出ましたまイて 羽鳥頭
を逐らイたまイき 故 羽鳥頭ハ 八百の禍
らイ共も 身にハ 翼散らし帯びて 空翔り
なす 故 大神たち 眞桑の弓に 蓬の四つ
羽を嵌めて 呪訓り 蟇目連らし おのもお
のも 射放たせまししかば その矢 翼毎に
飛び掛かり 禍頭の禍らいども 翼裂けて
大地に 眞逆頻らに 落ちて 失せき 故
岩根 木根 炎がり降らせ 止みき 故
奴が屍ゆ出る 漏れ蛆より 生れる物ハ 挿
毛鳶 烏 石鷹 梟 種々の 荒び鳥なりき
故 其処を 倭文といウ
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5,3
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時に 活津日子根の命 経津主の命 大屋
毘古の命 建雷の命 建角身の命たちハ 草
木根の国の斑鳩山に 出まして 八百の家族
の長どちに 問わせたまイて 形縫イ頭 形
分け頭を 求かせましき これの禍頭ども
八百の禍らゐ以て 千引き岩を立て並み そ
れの 眞中に居りて 二つの頭振り 三つ手
を以て 転石を投げ打ちに打ちき ここに
大神たち 甚く 御怒りたまイて 告りたま
わく 吾 これに来まして 神逐イますに
奴ども 神言 畏まずて 手向かゐなして
防ぎなす 憎き奴子どもかも と 告りたま
イて 神荒れに 御荒れまして 天の眞駒を
乗り棄てに 棄てまして 雄猛びに 猛び
て 禍人のなせる 千引き石を 引き抜かし
て 禍頭の五月蠅なすに 投げ入れ 蹴入れ
千引き石を 天に降らしき 故 一人も
残る頭無くて 骨 身 くたくたになりて
失せき 故 奴が体を 北の海路に 蹶エ蹴
遣りましき こによりて 尽々に 蝦蟇口と
なりき 故 こを 斑鳩の釜口といウ

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5,4
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国照大神 御伴の大神たち 千萬の家族の
長とち 共に 越の国と 陸の国とに 出ま
しまして 後に 御急がしたまイて 伊勢津
比売の国に 到ります時に 伊勢津比古の命
伊勢津比売の命 天津神を 御迎エなして
葛布 の御冠を奉る 故 大神並べに 伴の
大神たち それの新冠を 着初めたまイき
故 其処を木曽といウ 野陸の国に 出ます
時に 野陸比古の命 野陸比売の命 繭子の
糸布を 織りて 襲となして 大神に奉りき
故 其処を 碓氷といウ 武邪津海の国に
往ます時に 武邪津比古の命 武邪津比売
の命 玉麦以て すだとなして 御饗エまつ
る 故 そこを隅田といウ ここに 国照大
神 御伴の大神たちに 告りたまイつらく
越の国に 目立頭 左右角頭とて 禍なす頭
あり 奴ハ 頭に 二つの角有り 五月蠅な
して 青人草を 殺り悩まし 馬 牛を 取
り喰む 穢き奴なり また 陸の国に 蛸津
頭 三目有頭あり 奴が面に 三つの目有り
て 足 六つ対をなす よく 黒雲を翔る
おのがおのがに 八百千の禍らゐあり 人草
を 殺り喰イて 災ゐをなす 故 天之児屋
の命 天之太玉の命 経津主の命たち 企ま
りましき ここに 目立頭 左右角頭 八百
千の禍らゐともを 越の眞頸城の岳の 大峡
に 小峡に 埴水を 滾らしに 滾らこして
煮泉となし 尽々に 禍奴を 打ち嵌め
煮茹てよ また 蛸津頭 三目有頭ハ 陸の
岩代の山に 四身の綱 打ち掛け敷きて 禍
らゐ 共に 括げて 千々斬りに 斬りて
遠津海の八百瀬に放ちて 黄泉津に 払エ
と 告りたまイき 故 大神たち 共に 謀
りたまイて 天に 昇しまして 天の北に坐
す 星の御祖の大神 火精星の神 またの御
名ハ 迦具土の命に 天の斎火を乞イて 眞
頸城の岳の 底津石村の 眞底の杣を 弥
焚きに 焚き染め 埴水を 滾らしに 滾ら
して 大峡 小峡を 煮泉となしき 目立頭
左右角頭ども 八百千の禍らどもを 尽々
に 打ち込めに 打ち嵌めき 故 禍頭の体
骸ハ 盪になりて うぐろうぐろと 呻きき
故 其処を 新津といウ ここに 大神た
ち 陸の岩代の山に 四身の綱 引き延エま
して 蛸津頭 三目頭ども 八百千の禍らゐ
どもを 四身綱の八重張り手に 陥しかけ
弥 括げに 括げて 斬り放りに 放りなし
て 遠津海の八百瀬に 立ちすけに 蹴放ち
遣りまして 天の逐イ 国の逐ゐます 故
これの海原を 逐瀬となもいウ ここに 国
照大神 天津日子根の命 活津日子根の命
五十猛の命 五十猛背伴の命 大屋毘古の命
天之児屋の命 天之太玉の命 経津主の命
天相の命 興台産霊の命 玉主の命 建角
身の命 建雷の命たち 八百萬の長たち
ともに天昇しまして 豊道之原の瑞穂の国の
現しき青人草らを 厭 醜めき 殺りなす
禍頭どもを 鎮め平けて 安国の楽し所と
定めたまゐし状を 大神たち 八百萬の長
どち共に 尽々に 天昇しまして 返り言ま
をしたまイき
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5,5
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ここに 高天之原に 天照大御神の御許に
天津大神たち 神集イに 集ゐ纒ゐましき
故【ここに 国照大神 帯びませる剣を
取り出て 広前に捧げて まをしたまイき
これの太刀ハ 出雲の国に 大蛇を逐ゐし時
に その大蛇の尾に 隠しつる太刀なり 吾
これの太刀を帯びて 禍頭らを逐ウの時に
何時も これの太刀より 叢雲起きりて
御空に渡る いとも 奇しき太刀なり故 吾
が 如何でか 私に持て 斎かめヤ と 告
りたまイて 太前に立て奉りたまウ】
【時に 天照大御神告りたまイつらく こ
ハ 天之香山の磐染の美きの銅 以て 天津
眞浦の神に 作らしし 叢雲の剣なり これ
のものハ 吾が 岩屋に 籠りし時 心迫こ
に 美濃 淡海の伊吹に 落としし 太刀な
り と 告りたまイき】
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5,6
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ここに 国照大神 天降りまして 須賀の
宮に 還りたまイて 直に 八門の御室を
造りまして【足名椎の命 手名椎の命を召さ
して 告りたまゐつらく 汝神たちハ 吾が
御子の宮の首たれ と二柱の神に 稲田の宮
主須賀之八耳の命といウ御名を賜イき 故
須賀之八耳の翁の命 須賀之八耳の媼の命
とまをす これの 二柱の神を称エて 稲田
之宮主の神とまをす】
ここに 国照大神【その櫛名田姫の命 また
の御名ハ 稲田姫の命とまをす 隠処に起こ
したまイて 産みませる御子の御名ハ 清之
湯山主三名狭漏日高日子八島篠眞の命 また
の御名ハ 八島士奴美の命 またハ八束水臣
津野の命とまをす】次に【都留伎比古の命
またの御名ハ 山口の神とまをす 次に
国押別の命 またの御名ハ 形結の神とまを
す 次に 磐坂日子の命 またの御名ハ 恵
曇の神とまをす 次に 衝桙等乎留の命 ま
たの御名ハ 多太の神とまをす】弥先に【国
照大神 大山津見の命の御孫娘 大市比売の
命に 御娶イたまイて 産ましめたまエる
御子の御名ハ 天津御穂国津御穂幸照大年産
霊の命 またの御名ハ 大年御祖の神 妹
作年姫の命 これの二柱の神 天の眞中上に
坐して 年幸星御祖の神とまをす これの
大年の命 大山津見の命の御孫女子 作年姫
の命に 御娶イまして 産みませる御子の御
名ハ 御年幸魂の命 またの御名ハ 御年の
命 次に 奥津日子の命 奥津比売の命 こ
れの二柱の神を 大戸の神とまをす 次に
庭高津日の命 次に 阿須波の命 次に 波
比岐の命 先の奥津日子の命より 五柱の神
を 合わせまつりて 竈戸の神とまをす 次
に 香山戸の命 次に 羽山戸の命 次に
大山咋の命 これの 三柱の神を 醸し酒祖
の神とまをす 次に 大土の命 次に 稲依
日女の命 次に 千依比売の命 次に 佐々
津彦の命】これの四柱の神を 木綿取綿生の
神とまをす 故【羽山戸の命ハ 埴山姫の
命の御娘 埴戸姫の命に御娶イまして産みま
せる御子の御名ハ 若山咋の命 次に 若年
の命 次に 若沙那売の命 次に 弥豆麻岐
の命 次に 夏之売の命 またの御名ハ 夏
高津日の命 次に 秋毘売の命 次に 久久
年の命 次に 久久紀若室葛根の命】
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5,7
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国照大神 天の下を鎮め平けたまイて 天
に 返り言まをして 天照大御神の神狭告り
の随に 天降りまして 臣の神たち共に 大
須佐田 小須佐田を成して 穂倉造りて 朝
御食の神穎 夕御食の神穎 豊贄物を 定め
まして 御親らに 御食向かウ田作らし 国
の配りに 人草敷き足らし 歓ぎ 歌ハしめ
て 頃良し 田良しなさしたまわに と 東
の国の極みに 道之長道男の命 道之長道女
の命 西の国の極みに 速玉之男の命 速玉
之女の命 北の海辺の国々に 伊都之尾羽張
之男の命 伊都之尾羽張之女の命 頬那芸の
命 頬那美の命 国八玉彦の命 国八玉姫の
命 高淤加美の命 高売加美の命 南の海辺
の国々に 速玉之男の命 速玉之女の命 沫
那芸の命 沫那美の命 飽咋之宇斯の命 飽
咋之衣自の命 櫛八玉彦の命 櫛八玉姫の
命たちを招かして 現人 恵じなさしめ 明
津御代の 足らし御代なさしめにと 招きて
現人の楽しみを 目見 楽しみたまイき
故 国照大神 国々を 御巡りて 筑紫の
日向の国に 到りましし時に 国の翁どち
五月蠅なして 弥座置きに 弥塚の種津実を
置き重ねて 大神に 初穂の荷前に 種々
称エて奉る 故 大神 御喜ばしに 歌イ
これの 稲穂ハ 豊日 秀に
畑津稲穂ハ 奇日 秀に
種津百穂ハ 速日 秀に 麦の
眞穂ハ 建日 秀に
黍の垂り穂ハ 白日 秀に 大
御田族 十足る 十足る
惶根子
と 歌イましき 故 こを以ちて これの
処を 高千穂の国 となも いウなる
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5,8
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白日の国に 出ます時に 国主の長とち
小豆実以て 精げの米に 醸し滾らして 赤
飯となし 海の辺に 大御目慰みの門代に
交び風 間通せりあれども これの海辺ハ
西風 激に 筌脱けたれば 籠境石を以て
波除なし その上に 殿造りて 海漁人に
網引きを なさせめて 並海魚を 多なし
膾に汁にも 美塩焼きにもなして 眞添エの
御菜に 左右の膳の前津物なして 御饗エま
つる 故 国照大神 御歌イたまイつらく
海辺の 波除になすと 築く石の そ
の上を求ぎて 大殿守り 網引きなす
網引きまつらにゆ 瀬魚 眞海魚を
採りこそ 吉けめ 海辺 殿守り
と 歌イたまイき 故 ここを 築石国とい
イ 松浦国ともいウ また 左無き海魚を
せかれ海魚といウ 今 禍らゐ魚なり これ
の国ゆ 穴門の国に 渡り出ます時に 国内
国内の全る現し人 参イ来て 御饗エまつり
て 馬と牛とを引きて 舁き乗せまつりて
噪ら声を放ち 歌イ 轟こし 御伴に仕エま
つる 故 大御神も 臣の神たちも 諸声音
を 放ち 歌イ 誇らして 国巡まします

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5,9
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遠津海の国に 至ります時に 国津長どち
白米を 弥 蒸しに蒸して 火鑚りのさ臼に
杵以て 弥 搗きに 搗き搾めて 丸餅に
なして 御饗エまつる 大神 御食したまイ
て 告りたまイつらく こハ 腹保の物かも
いと 宜しき飯かも と 告りたまイき
故 こを 餅といウ
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5,10
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越の国に 往ます時に 国の長とち 出迎
エましき 大御神 国主の長に 告りたまイ
つらく これの国ハ 狭野の健き国かも 故
八束稲 多ならめ と 告りたまイき 多
なす と まをす 故 ここを 佐波国とい
ウ こによりて 国照大神 香山戸の命 羽
山戸の命 大山咋の命 三柱の神を召さして
告りたまイつらく これの国ハ 狭野の健
き国柄かも 稲 多なす 故 汝 神たち
御米を精げなして 酒を醸みて 澄まし取り
て 漉し水を清めて 現し人の病払わしの
御食津となせ と 告りたまイき 故 こを
御酒といイ 清酒といウ ここに 三柱の
神たち 御米実を精げとなし 弥 蒸して
絡げ熟し 八十か日に 木綿漉しに 漉して
大神に奉りき 大神 告りたまイつらく
こハ 麗しき酒水かも 飲みて いと清し
と 告りたまイき 故 これの里を 清志の
里といウ
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5,11
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ここで、大神(国照大神)は、「これから恵美(えみ)の国へ行く」と告げ、伊都之尾羽張(いつのおはばり)の命と伊都之女(いつのめ)の命に命じて、茂山の木を伐らせました。そして、辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の命、辺津那芸佐比売(へつなぎさびめ)の命、奥津甲斐弁羅(おくつかいべら)の命、奥津甲斐弁理(おくつかいべり)の命に命じて、八十隻の船を造らせました。

また、沫那芸(あわなぎ)の命、沫那美(あわなみ)の命、頬那芸(つらなぎ)の命、頬那美(つらなみ)の命には、立派な櫂(かい)を作らせ、天之久比奢母智(あめのくひしゃもち)の命、国之久比奢母智(くにのくひしゃもち)の命には舵取りを任せました。こうして、大神は恵美の国へと船を走らせ、飛ぶように渡って行きました。

その時、水蛭子(ひるこ)の命は天之磐樟船(あめのいわくすぶね)に乗って、眞名鉤(まなかぎ)を使って海の魚を釣っていました。これを見た国照大神は、「あの翁(おきな)は誰だろうか?」と尋ねました。すると、翁は答えました。

「私は汝(おまえ)の兄である。この国をしっかりと造り固めようと思い、魚を釣っている。私は先に赤い魚を釣り上げた。それを汝の神に奉ろう。また、沖津藻(おきつも)の広葉藻(ひろばも)を添えて、食事を用意しよう。」

こう言って、魚と藻を献上しました。すると、国照大神はこう言いました。

「この魚と藻は、とても味わい深く、素晴らしいものだ。」

それ以来、この魚を「鯛(たい)」と呼び、藻を「妙藻(たえも)」と名付けました。また、この場所を「恵美の相(えみのあい)」と呼ぶようになりました。

その後、国照大神が陸奥(みちのく)の国に到着すると、国津の長(くにつのおさ)たちが、駒(こま)八十頭、駿馬(しゅんめ)八十頭を用意して迎えました。大神はそれを見て、「この駒と駿馬は、とても神聖である」と言いました。それゆえ、この地を「小松(こまつ)」と名付けました。

さらに、国照大神が建依(たけより)の国に到着すると、国津の神々が大きな木を伐り、小さく切り、根こそぎ抜きました。そして、松の瑞葉(みずは)を渋抜きし、辛い酒を醸して大神に捧げました。それゆえ、この地を「辛志の村(からしのむら)」と呼ぶようになりました。
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5,12
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ここに、国照大神は出雲の須賀の宮に戻り、天の下の祭りごとを定めました。そして、御子である 須賀之斎山主三名狭漏日高日子八島篠眞の命(またの名を 八島士奴美の命)にその役割を託し、熊成の岳に永く鎮まるように命じました。

ここで 八島士奴美の命 は、大山津見の命の御娘である 木之花散姫の命 を娶り、その間に生まれた御子の名前を 布波能母遅久奴須奴の命 と名付けました。

次に、もう一人の御子として 八束戸喜姫の命 を生みました。
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5,13
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ここに 八島士奴美の命 は、こう言いました。

「この夏の日はとても暑く、青人草(人々)はひどく疲れてしまうだろう。また、病気も広がるかもしれない。だから、佐世の木の葉を髪飾りにして、歌い、歓び、踊りなさい。そうすれば、夏の病はなくなるはずだ」と。

そこで、国々の人々はこぞって集まり、声をそろえて祈り、斎まわりをして、暑さを払う祭りを行いました。これが「暑さ払い」「寒さ払い」の起源となり、八島士奴美の命 は、この風習を国々に広めるよう言い伝えました。

その後、八島士奴美の命 は天の下を巡り歩き、「天の祀り」「国の祀り」を行いました。その時、陸奥の国の国津長たち がやってきて、特牛(こっとい)八百頭、うなイ(牡牛)八百頭 を奉りました。また、越の国の国津長たち もやってきて、駒(牡馬)八百頭、雌馬八百頭 を奉りました。

そこで、八島士奴美の命 は、こう告げました。

「この馬と牛を国々に分け与えて、種取り(繁殖用)としなさい。そして、平地の山や低い丘に放牧して育て、馬子や牛子を増やし、大御田族(農耕の民)の力とせよ。」

また、「枯れ草を束ね、青草を食べさせて、豊田の土を肥やしなさい。そして、国々や島々に命じて、豊かな田畑を作るための土壌を整え、牧場を茂らせるようにせよ。」と伝えました。

その後、建日別の国 にはびこる悪しき頭ども のことが報告されました。その者たちは、

兄手長頭(あにたながしら)
中手長頭(なかたながしら)
弟手長頭(おとたながしら)
の三兄弟であり、その配下には頑狂る禍らい(凶悪な手下)二十人 がいました。

彼らは、大禍津日の神の曾孫である目立の頭の子孫 であり、弓の腕前が非常に優れた者たち でした。

彼らは昼は山の木々に潜んで隠れ、夜になると村に現れて、家々を襲い、男女や子どもたちを殺して喰らい、村々の作物を奪い、山を焼き払っては荒れ狂う という悪行を続けていました。

この悪事を訴えるために、建日別の国の国津長の使者 が八島士奴美の命のもとに参上しました。

そこで、八島士奴美の命 は、衝桙等乎留(つくほことおる)の命 に命じて、

「建日の国の悪しき頭どもを、配下の禍らい共々、すべて討ち取り、追放せよ」と命じました。

衝桙等乎留の命は、建依の国の香美の島 に赴き、建日の国の悪しき頭たちとその配下の二十人の禍らいを捕らえ、糸で縛りつけ、大岩や小岩で何度も何度も打ち砕いて殺しました。

その後、彼らの亡骸を海へ蹴り飛ばし、潮の彼方へと流しました。そして、その死骸は凝り固まって島となりました。この島を「種島(たねしま)」と呼びます。
-------------
5,14
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ここに、八島士奴美の命 はこう言いました。

「出雲の国は狭くて窮屈な国である。最初に作られた国は、小さく造られてしまったのだな。」

そう言って、栲衾(たくぶすま)の新羅の三崎 を見渡し、『まだ余っている国はあるだろうか?』 と考えました。すると、「まだ国の余りがある」 と言いました。

そこで、童女(わらべ)の胸鋤(むねすき)を手に取り、大海の魚をかき分けるように海を切り開き、旗のように薄(すすき)の穂を振り分け、三本の綱をかけ、霜のように黒い葛を巻きつけて、繰るように、繰るようにして、河瀬を流れる舟のように、もぞもぞと、もぞもぞと国を引き寄せ、国を縫い合わせた。

こうして引き寄せ、縫い合わせた国は、去豆(さぬ)から切り離してできた「八穂米支豆支(やほよねしずし)の御埼」 であり、その名を 「佐比売山(さひめやま)」 と言う。また、国を引き寄せたときに使った綱は、「薗長浜(そのながはま)」 と呼ばれる。

さらに、北の門の佐伎(さき)の国の国の余り を見つけ、これを縫い合わせた国は、多久(たく)から切り離されてできた「狭田の国(さたのくに)」 である。

また、北の門の隠岐(おき)の国の国の余り を見つけ、これを縫い合わせた国は、手染(たそめ)から切り離してできた「闇見の国(くらみのくに)」 である。

さらに、越の国の国の余り を見つけ、これを縫い合わせた国は、美穂の埼(みほのさき) であり、国を引き寄せたときに使った綱は、「夜見島(よみのしま)」 である。そして、そこには 「火神の岳(ひのかみのたけ)」 がある。
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5,15
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ここに 八島士奴美の命 武邪津海の由比
道に往ます時に 国津長 参イ迎エて 御饗
エまつらに と まをして 弓以て 大羽鳥
を射て 御饗エまつりき 故 大神 これの
鳥を 能くに 射つる と 告りたまイき
故 これの鳥を 鶴といウ 時に 国の邑の
現人 野原の甘菜 辛菜 山々に 海魚の広
物 多々に 水田津物 広々に 畑津物 築
々に 天の狭上り 初穂の荷之前 奉りき

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5,16
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故 八島士奴美の命 筑紫の四極海に 出
ます時に 国津長 蜷貝を 御饗エまつりき
ここに 豊日別の命 妹 豊姉の命 訴エ
けらく 由布の岳に 悪き頭あり 人草を
多に 害なウ と まをしき 故 八島士奴
美の命 押別の命 磐坂日子の命 御伴 八
百の家族を伴なイて 見そなわしますに 岳
の右りなる 千尋岩の中に 深々たる棚洞あ
りて こに 巣作りなす 男餓鬼頭 女餓鬼
頭 奴が子 百人産して 山の怪となりき
奴が頭にハ 一つの角あり 体に鱗ありて
鱗の毎々に針あり これの禍らイ 邑ごとの
種津実を奪る づるささるハ 針さ刺しに
殺し捨つ こによりて 現人 震イ恐れて
奴が心の随になす こによりて 八島士奴美
の命 押別の命 磐坂日子の命 二柱の神に
告りたまわく 奴ハ冦なウならじ 呪じ凝
りて括げ 火以て治せよ と 告りたまイき
故 押別の命 磐坂日子の命ハ 五十ぢの
強士人を手向け 発たしましき 故 男餓鬼
頭 女餓鬼頭ハ 百人の禍らイ そを見て
棚洞より 湧き出て 神の五人の眞中 目指
しに 馳せ入りき そに 当たる人 皆
傷つきて しどろ 打ちなして 幾許く悩
みき 故 二柱の神 怒り 面火照りまして
呪じ凝り 括げますに 禍らイ人 鎮打ち
和む これの時に 二柱の神 家族に告りて
千尋岩の 岩の上なる茂き萱に 火以て為
しき しかすかに その眞火 野悉に満ちて
禍頭ら 尽々に亡せき これの 焼かエの
こりる躯尽々に 煙消て 百足となりき

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5,17
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ここに、布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)の命 は、淤迦美(おかみ)の命 の御娘である 日河比売(ひかわひめ)の命 を娶り、御子をもうけました。

その産まれた御子の御名は 深渕水夜礼花(ふかぶちみずやれはな)の命 であり、またの御名を 八束(やつか)の命、または 八束深惠水(やつかふかえみず)の命 ともいいます。

次に生まれた御子は 波多道依姫(はたみちよりひめ)の命。
その次に生まれた御子は 八雲立日奴(やくもたつひぬ)の命。

こうして、三柱の神をお生みになりました。
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5,18
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青幡佐久佐日子(あおはたさくさひこ)の命 は、天の下の現しき青人草(人間)の道を導く神とされています。

そこで、青幡佐久佐日子の命 は国々を巡りながら、人々を整え、移住させました。

まず、法螺貝を吹き鳴らしながら巡ったところ、筑紫の国(九州地方)は人が多く、越の国(北陸地方)は人が少ないことが分かりました。そこで、筑紫の国 から人々を 越の国 へ移住させました。

また、陸奥の国(東北地方)は人が多く、常陸の国(茨城県)や 无邪津海の国(現在の愛媛県付近)は人が少なかったので、陸奥の国の東側の人々を常陸の国へ、西側の人々を无邪津海の国へ 移しました。

さらに、秋津根の国(大阪周辺) と 草木根の国(関東地方) は人が多く、狭依科の国(信濃・長野地方) と 遠津海の国(四国周辺) は人が少なかったため、
秋津根の国の人々を遠津海の国へ、草木根の国の人々を狭依科の国へ 移しました。

また、東の陸奥の国、无邪津海の国、丹波の国、建依の国、速日の国の「野之辺(ののべ)」と呼ばれる広い野原の六か所に、牛や馬を放ちました。こうすることで、牛や馬がどんどん繁殖し、全国の国々や島々へ広がり、田畑を耕す助けとするため でした。
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5,19
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ここに、狭依科の国の長(支配者)が宮処(都)に参上して申し上げました。

「我が国には山で狩りをする者は多いのですが、海で漁をする者は少ないのです。ある日、海での漁と山での狩りを交換してみようと、山で狩る者たちが海へ出て漁をしてみました。すると、珍しい海の魚を釣り上げることができました。それを神へ捧げ、宴を開いてお祝いをいたします」と。

彼らは、鰭(ひれ)が広い海の魚を百匹以上も奉りました。これを受けて大神(神)はとても喜び、

「これは狭依(さより)の海から越えてきた、美しい海の魚であるな」と仰いました。

このことから、この魚を「細魚(さより)」「沙魚(さご)」と呼ぶようになりました。
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5,20
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ここに、深渕水夜礼花(ふかぶちみずやれはな)の命は、天之都度閇知泥姫(あまのつどへちねひめ)の命を娶り、御子をもうけました。

その御子の御名は 八束水臣津野(やつかみずおみつぬ)の命、
次に生まれたのは 簀狭之八箇耳津野(すさのやつかみみつぬ)の命 です。

ここに 八束水臣津野見(やつかみずおみつのみ)の命 は、布怒豆怒(ふぬづぬ)の命 の御娘である 布帝耳戸喜姫(ふてみみときひめ)の命 を娶り、御子をもうけました。

その御子の御名は 天之冬衣(あまのふゆきぬ)の命、
またの御名を 天之葺根(あまのふきね)の命 といいます。

次に生まれたのは 赤衾伊農岐(あかぶすまいのき)の命、
次に 意保比古佐和気(おおひこさわけ)の命、
この三柱の神をお生みになりました。

次に 須賀之女(すがのめ) が産んだ御子が三柱おり、
これはすべて 姫御子(女神) でした。

さらに 現人女(あらひとめ) が産んだ御子が四柱おり、
これもすべて 姫御子(女神) でした。
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5,21
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ここに、草木根の国の支配者である大軽彦は、宮処(王都)に従わず、自らの欲望のままに国の人々から穀物を奪い、清らかな乙女たち八十人を集めて宴を開き、酒を飲み、民に無道な行為を繰り返していました。

そこで、八束水臣津野美の命、八雲立日奴の命、天之冬衣の命、赤衾伊農の命、意保須美日別の命が、八十の勇士の長や家族の頭たちに告げました。

「従わぬ者を討伐し、平定せよ」と。

この命令を受け、彼らは天の俊足の馬に乗り、千本の矢を入れた靫を背負い、眞鹿児の行縢を着け、十握剣を腰に佩き、高鞆を身につけました。八十の勇士たちも皆、国の強健な馬に乗り、八百の家族の頭を率いて出発しました。

吉備津根の小浜から馬に鞭を打ち、海の波の上を翔るように駆け、草木根の国へと到着しました。

そのとき、大軽彦は水分山の頂に陣を構え、八百千の悪しき者たちに弓を持たせ、森の要塞の上から岩を転がし落として、強く防戦しました。

これを見た八束水臣津野美の命は大いに怒り、彼の父祖である大神、国照大神に祈りを捧げて、神罰を求めました。

すると、時ならぬ雪が激しく降り始めました。

悪しき者たちは水分山の頂から右手の谷間の岩棚の洞窟に逃げ込もうとしましたが、どうにもならず、大軽彦は仲間たちにこう言いました。

「この雪は我々を助ける雪である。この雪がある限り、天津神の軍勢はここに攻め込んで来られまい。だから、この裏山の道を通って遠国へと逃れ、再び力を蓄えよう」と。

そして、八百千の悪しき者たちを先導し、水分山の裏の道を通って逃走しました。

ここで、八束水臣津野美の命は天之冬衣の命を呼び、

「この雪は、我が御祖・国照大神が与えてくださったものだ。悪しき者どもはこの雪に耐えられず、逃げていった。しかし、彼らが戻ってくる可能性がある。だから、お前は赤衾伊農の命と共に、家族の半数を率いて、裏側を回って奴らを追撃せよ」と命じました。

こうして、天之冬衣の命と赤衾伊農の命は家族の頭の半数を率い、水分山の裏道である佐味の谷の木々が生い茂る峡谷に潜みました。

すると、大軽彦の率いる悪しき者たちは、水分山を越えて佐味の谷へと逃げ込んできました。

待ち構えていた天之冬衣の命、赤衾伊農の命、家族の長たちは、一斉に剣を抜き、悪しき者たちを追いかけ、皆を斬り殺しました。

大軽彦は、わずか十人余りの部下に守られながら、再び水分山へと逃げ帰ろうとしました。しかし、さらに追撃を受け、前方の道を駆けて逃げたところ、大神が屯(駐留)している場所に出てしまいました。

これを見た八雲立日奴の命は、すかさず馬に鞭を入れ、大軽彦を捕らえ、頭を掴み、高く持ち上げた後、大地へと投げ落としました。

大軽彦の目は衝撃で飛び出し、彼は命を落としました。

こうして、草木根の国は平定され、国は穏やかになり、民は祝福しました。
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5,22
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ここで、穴門の国の国津長である門田の命が訴えた。

「わが国の中に、とても大きな岩があります。この岩は、まるで意思を持っているかのように言葉を発します。非常に不気味です」と報告しにやってきた。

そこで、八束水臣津野美の命は自らその場へと赴き、状況を確認すると、国津長の言うとおり、その巨大な岩が確かに声を発していた。

これを見て、八束水臣津野美の命は言った。

「この岩は、ただの岩ではない。これは、禍をもたらす岩であり、災厄の神・禍津日の力が凝り固まったものかもしれない」と。

そして、天窓の命と国窓の命に命じて、こう告げた。

「お前たち二柱の長よ、この岩を打ち砕き、災厄を祓い清めよ」と。

命を受けた天窓の命と国窓の命は、神に捧げる儀式を行った後、自らの手の拳を振り下ろした。

一度目の拳撃で、岩は低い響きを発した。

二度目の拳撃で、澄んだ響きが鳴り響いた。

三度目の拳撃を加えると、岩は八つに割れて砕け散った。

岩の割れ目からは、まばゆい白い気が立ち上り、陽炎のように揺らめいた。

この現象を見た八束水臣津野美の命は言った。

「この陽炎が立ち上る場所こそが、今も夕暮れになると陽炎が見える地である。これこそが陽炎の根源なのだ」と。

この出来事にちなんで、その地は「石見(いわみ)」と呼ばれるようになった。

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6,1
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ここに、天之冬衣(あめのふゆきぬ)の命 は、刺国大(さしくにおお)の命 の御娘である 刺国若比売(さしくにわかひめ)の命 を娶り、子をもうけました。

その御子は、生まれながらにしてすぐに御身を起こし、立ち上がられました。そこで、この御子の御名を 大名牟遅(おおなむぢ)の命 と名付けました。

また、この神には、多くの異名がありました。これは、それぞれの時代や役割に応じて呼ばれた御名です。

そのため、この神は以下のような多くの名で呼ばれました。

大国主(おおくにぬし)の命
大穴牟遅(おおあなむぢ)の命
宇都志国玉(うつしくにたま)の命
葦原之色許男(あしはらのしこお)の命
八千矛(やちほこ)の命
大地主(おおとこぬし)の命
大名牟遅(おおなむぢ)の命
八千矛法吉主(やちほこほうきぬし)の命
大物主(おおものぬし)の命
櫛甕玉(くしみかたま)の命
大国玉(おおくにたま)の命
国玉主(くにたまぬし)の命
玉久美大地(たまくみおおつち)の命

これらはすべて、大名牟遅の命(大国主神)の異名である。
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6,2
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ここで、天之冬衣の命は、国々を巡り歩いていた。

陸奥の国に到着したとき、その国の国主たちが迎えに出てきた。そして、米の粉を使って団子を作り、それを茅の葉で包んで、じっくり蒸して献上した。これを受けて、その地は「茅巻の里」と呼ばれるようになった。

その後、越の国に向かうと、国主たちが集まり、清らかな酒を献上した。天之冬衣の命は、それを口にして言った。

「これはまさしく現世の薬となるものだ。この味わいはまるで薬酒のようだ。この酒造りの技を天下に広め、さらに発展させよ」と告げた。

そのとき、国主たちは大きな真木の岩船を八十隻造り、命やその随行の者たちを乗せて、天之狭手依島へと送り出した。島の国主たちは、多くの海の幸、大小さまざまな魚を用意し、もてなした。

天之冬衣の命は、この島を巡りながら言った。

「この島には牛や馬がいないため、田作りには適さない。そこで、穴門の牧山から牛と馬を分け与え、八百頭をこの島で育てさせよ」と命じた。

この命を受けて、穴門の国主たちは牛と馬八百頭を狭手依の島に運び、上津の県の唐洲山を開拓して、家畜を放ち、人々の生活の助けとするようにした。

その後、天之冬衣の命は筑紫の白日の国へ赴き、越の国の清らかな酒をここで醸造させた。そして、酒造りの方法を広めることが、人々の健康を支えるものになると考え、

「この酒造りの道を人々に伝え、薬酒として広く用いよ」と言い、香山戸の命、羽山戸の命、大山咋の命たちを呼び寄せ、国主たちに酒造りの技を教え広めさせた。

その後、豊日の由布岳に向かい、そこに到着すると、すぐに食事の準備をする神々へ仕える国主たちが、麦の粉を伸ばして切った棊子麺を献上し、祝宴を開いた。

そして、天之冬衣の命は、そこから出雲の須賀の宮へと帰還した。

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6,3
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天之冬衣の命がまだ若く、血気盛んな時のことである。

八十禍津日の神の子孫である、悪しき心を持つ狂男の娘、梟女は、その容姿が人々の誰よりも優れていた。しかし、年を重ねても、徳のある女性にはならず、心根が邪悪であった。そんな梟女が、天之冬衣の命を無理やり誘惑し、関係を持った。そして、生まれた御子は、祖父の神の名を象り、「八十神の命」と名付けられた。

この御子が七歳になった頃、天之冬衣の命は、新しい妃を迎えた。それを知った梟女は、ひどく嫉妬し、怒り狂った。彼女は御子を奪い取り、宮殿へと駆けつけ、髪を振り乱し、衣を乱して暴れ、執拗に罵りながら叫んだ。

「幾世にもわたって、お前を呪い続けてやる!」

そう言い放つと、御子を門の柱に括りつけ、自らは眞向川へと身を投げて命を絶った。

天之冬衣の命は、その御子を見て、ひどく胸が塞がるような悲しみに襲われた。そこに、妃である刺国若比売の命が現れ、御子を優しく抱きしめながら語った。

「この御子は、あなたの子です。そして、あなたの子は、まぎれもなく私の子でもあります。だから、私が育てます」と言い、我が子のように愛情を注ぎ、大切に育てた。

こうして、八十神の命は、まるで兄を持つ人の子のように大切にされ、皆から愛される存在となった。
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6,4
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八十神の命は、因幡の八上比売の命と結婚しようと考え、因幡の国へ向かった。その際、大穴牟遅の命に大きな袋を担がせ、家来のように従わせて、一緒に旅をしていた。

旅の途中、気多の埼に到ると、一匹の毛のない兎が地面に転がりながら苦しんでいた。そこで八十神の命は、その兎に向かって尋ねた。

「お前はなぜそんなところで転がっているのだ?」

兎は答えた。

「私は、淤岐の島に住んでいたのですが、陸に渡りたいと思いました。でも、どうやって渡ればいいか分かりませんでした。そこで、海にいる鰐たちを騙し、こう言ったのです。『お前たちと私の仲間たち、どちらの方が多いか比べよう。お前たちは、ずらりと波の上に並んでくれ。私はその上を歩いて数えていくよ』と。」

兎の言葉に騙された鰐たちは、次々と並び、波の上に姿を現した。兎はその上を軽やかに走って渡った。しかし、最後の鰐の背に降り立った時、兎はこう言った。

「お前たちはまんまと騙されたぞ!」

それを聞いた最後の鰐は怒り、兎を捕まえて、全身の毛をむしり取ってしまった。こうして兎は、毛を失い、痛みに苦しみながら転がっているのだと説明した。

八十神の命は、「それなら、海の潮を浴び、風に当たりながら横になっていれば治るだろう」と言い、その方法を兎に教えた。兎は言われた通りにしたが、潮が乾くにつれ、ますます体が痛み、苦しみながら泣き続けた。

そこへ、遅れてやってきた大穴牟遅の命が、兎の様子を見て尋ねた。

「お前はどうして泣きながら転がっているのだ?」

兎はこれまでの経緯を説明した。

それを聞いた大穴牟遅の命は言った。

「お前がこんな目に遭ったのは、悪い心を持ち、鰐たちを騙したからだ。しかし、これからは正しい心を持って生きなさい。」

そして、大穴牟遅の命は兎に治療法を教えた。

「この先の水門へ行って、綺麗な水で体を洗いなさい。それから、蒲の黄色い花粉を敷き散らして、その上を転がるといい。そうすれば、元の肌に戻るはずだ。」

兎は大穴牟遅の命の教えに従い、水で体を洗い、蒲の上を転がった。すると、元のような美しい肌に戻り、痛みもすっかり消えた。

兎は大いに喜び、大穴牟遅の命に感謝し、彼が担いでいた袋を代わりに背負い、一心に後ろ脚を上げ、前脚を伸ばして、忠実に彼の後をついていった。
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6,5
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八十神の命は因幡の国へ行き、八上比売の命に「私と結婚してくれないか」と尋ねた。しかし、八上比売の命は答えた。

「私はあなたの求婚を受け入れません。大穴牟遅の命と結婚します。」

これを聞いた八十神の命は怒り、大穴牟遅の命を殺そうと企み、こう言った。

「伯岐の国の手間山に、赤く猛々しい猪がいる。私たちが家族と共にそれを追いかけていくから、お前はここで待って捕まえなさい。」

八十神の命たちは、実際の猪ではなく、それに似せた大きな岩を火で焼き、山の頂上から転がして追い落とした。大穴牟遅の命は、それが本物の猪だと思い待ち構えていたが、その火のついた岩に押し潰されて焼かれ、命を落としてしまった。

大穴牟遅の命の両親である天之冬衣の命と刺国若比売の命は、嘆き悲しみ、天に昇って高御産巣日の命と神御産巣日の命に、「このようにして我が子が亡くなりました」と祈り訴えた。そこで、高御産巣日の命と神御産巣日の命は、蚶貝比売の命と蛤比売の命に、「息を吹きかけて蘇らせなさい」と命じた。

二柱の神は天から降りてきて、蘇生の儀式を行った。蚶貝比売の命は焼け焦げた部分を削り、蛤比売の命は水を母乳のように塗った。すると、大穴牟遅の命は再び美しい若者の姿に戻った。

しかし、八十神の命はそれを見て、またもや騙し、今度は大穴牟遅の命を山へ連れ込み、大きな木を倒してその間に閉じ込めた。そして、角矢をつがえて放ち、木の中に閉じ込めたまま射抜き、放置して殺してしまった。

またしても、天之冬衣の命と刺国若比売の命は泣きながら、大穴牟遅の命が閉じ込められた木を引き裂いて取り出し、息を吹きかけて蘇生させた。そして、こう告げた。

「お前がこのままここにいれば、最後にはまた兄である八十神の命に殺されてしまうだろう。」
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6,6
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そこで、大穴牟遅の命は、久久能智の国にいる大屋毘古の命のもとへ急いで逃げた。しかし、八十神の命は追いかけ続け、ついに追いついて矢を放とうとした。そのとき、大穴牟遅の命は木の股(また)をすり抜けて間一髪逃れ、久久能智のもとへと走り込んだ。

ここで、大屋毘古の命は策を授けるため、こう告げた。

「秋津高穂の熊成の岳には、私の祖神である国照大神が常におられる。そこへ走って行けば、きっとその大神が策を授けてくださるだろう。」

大屋毘古の命の言葉に従い、大穴牟遅の命は曾祖父である国照大神のもとへ向かい、たどり着いた。

国照大神の曾孫にあたる須勢理毘売の命は、その姿を見つけ、じっと見つめ合った。そして、心惹かれて結ばれ、彼を迎え入れた。須勢理毘売の命は父である国照大神にこう告げた。

「とても美しい神が、ここに参りました。」

これを聞いた国照大神は、こう答えた。

「それは、私の曾孫である葦原之色許男の命という神である。」

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6,7
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そこで、国照大神は大穴牟遅の命を呼び入れ、蛇の住む部屋で寝させた。その時、妻である須勢理毘売の命は、大穴牟遅の命に「今夜、蛇たちが食らいつこうとする時、この比礼(ひれ)を三度振って打ち払ってください」と教えた。そこで、大穴牟遅の命は教えられた通りに比礼を振ると、蛇たちは自然と退散し、何事もなく眠ることができた。

翌晩、大穴牟遅の命は百足や蜂の巣のある部屋に呼び入れられたが、須勢理毘売の命は彼に百足や蜂を払うための比礼を授け、前夜と同じように対処するように教えた。大穴牟遅の命は言われた通りに比礼を振ると、百足や蜂たちは去り、何事もなく部屋を出ることができた。

次に、国照大神は大野の真ん中に鳴鏑(なりかぶら)の矢を射込み、その矢を取ってくるよう命じた。大穴牟遅の命が野に入ると、突然、火が放たれて四方から燃え広がった。出る場所を失ったその時、一匹の鼠が現れて言った。「中は広々、外はズブズブ」。その言葉に従い、足元の草を踏みならしてみると、草の下に深い洞穴があるのを見つけた。大穴牟遅の命はその穴に身を隠し、火が風に流されて燃え去るのを待った。すると、その鼠が鳴鏑矢をくわえて持ってきて、大穴牟遅の命に差し出した。その矢の羽は、鼠の子たちがかじっていた。

一方、須勢理毘売の命は、大穴牟遅の命が野原で焼かれて死んでしまったと思い、深く悲しみながら喪に服するための供物を持ち、泣きながら野原へ向かった。そして、岩の上に伏して嘆き悲しんでいた。

その時、国照大神は「この子は本当に死んでしまったのか、それとも生きているのか」と考え、大野へ出ていった。すると、大穴牟遅の命は野の真ん中からゆっくりと立ち上がり、矢を手にして現れた。その姿を須勢理毘売の命が見つけると、大喜びし、大穴牟遅の命を宮殿へと伴い、祝宴を開いた。

さらに、国照大神は大穴牟遅の命を八田間の大きな部屋へ招き入れ、彼の髪の中の虱を取ってあげた。大穴牟遅の命が頭をよく見ると、百足がたくさんついていた。そこで、須勢理毘売の命は夫に、椋(むく)の実と赤土を授けた。大穴牟遅の命はその実を噛み砕き、赤土を口に含んで大神の頭へ吐きかけた。国照大神は「この子は百足を噛み潰して唾を吐き出したのか」と思い、感心して大穴牟遅の命を愛おしく思い、そのまま眠りについた。

しかし翌晩、国照大神は大穴牟遅の命を八田間の大きな部屋に押し込め、彼の髪を部屋の軒ごとに結びつけ、さらに五百人分の力で動かせるほどの大岩で戸を塞いだ。そして、背後から鳴鏑の矢を放った。その矢が戸に当たると、大地が震えるほどの大音響が響き渡った。

部屋で眠っていた大穴牟遅の命はその音で驚き、外へ出ようとしたが、髪が軒に結びつけられているため動くことができなかった。そこで、髪を手で引きちぎり、戸を塞いでいた大岩を蹴飛ばして粉々に砕き、ついに部屋から脱出した。

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6,8
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そこで、国照大神は櫛名田毘売の命を目にして、その神々しさに畏れを抱きながら言葉を述べた。

「豊かな道の原に生まれた色許男(いろこお)の命よ、お前は美しい。私のもとに導かれたことには深い意味があり、お前はその心を理解しているだろうか。これは畏れ多いことだ。お前には、様々な知識や教えを受け継ぎ、これからの務めを果たしてもらう。」

そして国照大神はさらに続けた。

「私の曾孫娘である須勢理姫の命を、お前の正妻とするがよい。そして、この豊かな御酒や種々の魚、広い海で獲れる魚を捧げ、祝宴を催そう。また、お前に天の神聖な鋤(すき)と鍬(くわ)、生太刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、そして天の沼琴を授けよう。」

「これらを使い、大須佐田と小須佐田の地を切り開いて田を耕しなさい。そして、生太刀と生弓矢を手にし、お前を害そうとする異母の兄を山の峰に追い伏せ、川の流れの中に追い払い、完全に討ち滅ぼしなさい。彼は本当の兄ではない、邪悪な心を持つ偽りの兄なのだ。名ばかりの兄にすぎない。だから、こうするのが正しい。」

「また、人を襲って喰らうような禍々しい存在、従おうとしない悪しき者たちは、山々の奥深く、谷の最果て、川の流れの果てまでも追い払い、豊道の原には一人も残さず滅ぼしなさい。獣たちの中でも人を襲うようなものがあれば、そいつらも同様に滅ぼしなさい。」

「これらのことを成し遂げたとき、お前は大国玉の神として称えられるであろう。そして、宇都志国玉の神としても讃えられることとなるだろう。」

「お前の宮は、宇迦の山の麓に築かれ、その宮柱は深くしっかりと根を張り、高天原にも届くほどの立派な屋根を持つ神殿となるだろう。その宮から、天の下の国を造り固め、平和で安らかな国を築くのだ。そして、未来の皇子たちにこの国を託し、お前自身は神として世を見守ることになる。」

「お前は、目に見えぬ世界を支配し、人々の運命を司る神となるのだ。人々の心が正しく清らかで、誠実であるならば、それを天の御座に届けるがよい。そして、もし邪悪な心を持つ者がいれば、現世から追放し、死後もその魂を浄化する務めを果たすのだ。」

「これが、お前の役目である。」

こうして、国照大神は大穴牟遅の命にその使命を授けたのであった。
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6,9
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それで、大穴牟遅の命は、大御神の言葉を畏れ敬い、須勢理毘売の命とともに出雲の国へ帰ることにした。

しかし、八十神の命はなおも邪悪な心を抱き続け、ますます悪行を重ねていった。現世の人々を襲い、人をさらって食べるだけでなく、さらに多くの悪事をはたらいた。そして、大穴牟遅の命が帰ってくることをひどく妬み、なんとかして彼を殺そうと考えた。

そこで、八十神の命は策略を巡らせ、大穴牟遅の命に山狩りに同行させようと誘った。そして、肥川に渡るために、足場のない橋を作り、その上に立たせた。罠を仕掛けていたため、縄を引いて橋を落とし、大穴牟遅の命を川底に落としてしまった。

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6,10
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しかし、大穴牟遅の命はすぐにその計略に気付き、川の底に立ち上がった。そして、親族や家族たちに合図を送った。すると、八十神の命を討つため、八十人の従者たちが高らかに声を上げ、包囲を固めた。

八十神の命はその光景を見て驚き、高い山へ逃げ上り、百人の配下の悪党たちに命じて矢を雨のように射かけた。

しかし、大穴牟遅の命は、天の生太刀と天の生弓矢を手に取り、八十神の命を坂の峰で追い伏せ、川の瀬で追いつめた。そして、悪しき者たちを次々と斬り払った後、八十神の命を両手で捕らえ、祖父である天之冬衣の命のもとへ連れて行き、事の次第を報告した。

天之冬衣の命は、八十神の命を睨みつけ、こう告げた。

「お前はなんと邪悪な存在なのだ。ゆえに、この国に住むことは許されぬ。遠く根の国へ去るがよい!」

そう言うと、天之冬衣の命は佩いていた十握剣を抜き放ち、八十神の命を斬り捨て、そのまま打ち棄てた。

そして、大穴牟遅の命を呼び寄せ、こう命じた。

「お前は大曾祖父の神から受け継いだ教えを学び、豊道之原をしっかりと治め、堅固な国を築くのだ。」

こうして、大穴牟遅の命は大いなる使命を受け、国を安定させるための道を歩み始めたのであった。

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6,11
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ここに 大穴牟遲の命ハ 須勢理毘売の命
またの御名ハ多紀玉比売の命に 御婚ゐま
して 生みたまエる御子の御名ハ 木之阿遅
鋤高日子根の命 またの御名ハ一言主の命
次に 下光比売の命 またの御名ハ高比売の
命 またハ大倉比売の命 またハ阿陀加夜主
多伎吉比売の命 と まをす 大神 また
八上比売の命に 御婚ゐまして 生みませる
御子の御名ハ 木之俣の命 次に 御井の命
とまをす 大神 また 高津姫の命 また
の御名ハ神屋楯比売の命に御婚ゐまして生ま
しめたまゑる御子の御名ハ 積羽八重言代主
の命 次に 高照姫の命とまをす 大神 ま
た 越の沼河比売の命に 御婚イたまイて
生ましめたまエる御子の御名ハ 建御名方の
命 またの御名ハ御穂須々美の命 次に
山代日子の命 次に 若経津主の命とまをす
大神 また 眞玉邑日女の命に御婚ゐまし
て 生ましめたまエる御子の御名ハ 八尋鉾
長依日子の命 次に 薦枕志都沼値の命 ま
たの御名ハ 天津枳値可美高彦の命 次に
蚶小貝比売の命とまをす 大神 また 著玉
比良姫の命に 御婚ゐまして 生ましめたま
エる御子の御名ハ 蛤小貝比売の命 次に
天之活玉の命 またの御名ハ 活玉の命 次
に 天之三降の命とまをす 大穴牟遅の命の
御子 全べハ 百八十一柱 在します
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6,12
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【ここに 阿遲鋤高日子根の命ハ 八束鬚
生イまするまで御言 通わせたまわず 故
大御祖の命 いたく 御哀れみまして
高屋を造りて 在さしめ 高椅を立て 登り
降りに 養育しまつりき また 小船に乗せ
て 八十島に出廻りつつ 楽したまエども
なを止まずて 泣きましき ここに 御祖の
大神 これの御子の泣く由をまをして 夢に
願ぎませれば 清らに御言通わすと見たまイ
て 寝 醒めにき 故 御子に言問イたまウ
に 項を上げて みつ と 答ゑますからに
何処を然言と問イたまエば 御祖の命の御
前を 立ち退き出まして 石川を渡り 坂の
上に至り留まりて 指差して 此処 とまを
したまイき こによりて それの津の水を汲
み出て 御禊ぎし】また 薬水の食し水と称
エなして 日にハ 七か日 夜にハ 六か夜
食し濯ぎませて 神訓りますに 御言 清
らに いと能く 通わせたまイき

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6,13
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これの神の御名ハ 阿遅鋤高日子根の命
妃神【天之御梶日女の命に 御婚ゐましき
これの妃神 御妊みて 産か月にならせたま
ウ時に 多伎の村に来まして 教ゑたまわく
汝が命の御祖の向かイ座イなり ここに産
まば吉けにと思イはにぶる と 告りましき
故 ☆神名樋の西に 高さ 一丈 迴り
一丈の岩あり また傍らに 百ちはかりの岩
あり これぞ 吾が御魂なり と 告りまし
て 産みませる御子の御名ハ 多伎都比古の
命 またの御名ハ 広岩弥立之男の命 次に
塩冶毘古の命 と まをす これの神の御
子を焼太刀火守大穂日子の命とまをす】

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6,14
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先に【大国主の命ハ 越の国の意支都久辰
為の命の御子 俾都久辰為の命の御娘 沼河
比売の命に婚イまして 行まして 其が家に
至ります時に歌イたまわく
八千矛の 神の命ヤ 八島国 妻
求ぎ難て 遠々し 越の国に
賢し女を 有り と 聞かして 麗
し女を 有り と 聞こして
狭婚ゐに 在り立たし 婚ゐに 在
り通わせ
太刀が緒も 未だ 解かずて 襲を
も 未だ 解かねば
少女の 寝すヤ 板戸を
押そぶらイ 吾が 立たせれば 引
こづらイ 吾が 立たせれば
青山に 鵺ハ鳴き 狭野津鳥 雉子
ハ 響む 庭津鳥 鶏ハ鳴く
慨くも 鳴くなる鳥か この鳥も
打ち止め こせね
急 飛ウヤ 天馳せ使ゐ 事の語り
言も 此をば
ここに 沼河比売の命ハ 未だ 大屋の戸
を 開きまさずて 内より 返して 歌イけ
八千矛の神の命
軟草の 女にし あれば 吾が心
浦渚の鳥ぞ
今こそハ 千鳥に あらめ 後ハ
汝鳥に あらむを
命ハ な死せたまイそ
青山に 日が 隠らば 烏羽玉の
夜ハ 出なむ
朝日の 咲み栄エ来て 栲綱の 白
き腕 沫雪の 若やる胸を
素手抱き 手抱き 眞長り 眞玉手
玉手 差し纏き
股長に 寝わ 宿さにを あやに
吾 恋イ聞こし
八千矛の神の命 事の 語り言も
故 それの夜ハ 娶ゐまさずて 翌日の夜
辺 御娶ゐましましたまイき】
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6,15
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【ここに大国主の命の大妃 須勢理毘売の
命ハ 日の毎に 甚く 慨み歎かせつつも
月並を送りましたまイき ここに 大国主の
命ハ 侘びまして 出雲より秋津根の国に
至りまさにと 御装イまして 片御手ハ 御
馬の鞍輪に掛け 片御足ハ 御鐙に踏み入れ
たまイて 歌イ
烏羽玉の 黒き御衣を 眞つぶさに
取り装イ 奥津鳥 胸 見る時
羽手抱きも これハ 良わず 辺津
波磯に 脱ぎ棄て
翡翠の 青き 御衣を 眞つぶさに
取り装イ 奥津鳥 胸 見る時
羽手抱きも こも 宜わず 辺津波
磯に 脱ぎ棄て
山縣に 蒔きし あたね 搗き 染
め木が汁に 染め衣を
眞つぶさに 取り装イ 奥津鳥 胸
見る時 羽手抱きも 此し宜し
いとこヤの 妹の命 群鳥の 吾が
群れ往なば
退け鳥の 吾が退け往なば 泣かじ
とハ 汝ハいウとも
山跡の 一本薄 項傾し 汝が泣か
朝雨の狭霧に 立たむぞ 若草の
妻の命
事の語り
言も 此をば
ここに 大妃 須勢理毘売の命ハ 御酒坏
を取らして 立ち寄り捧げて 歌イたまわく
八千矛の神の命ヤ 吾が大国主こそ
ハ 男にいませば
打ち見る 島の埼々 窺き見る 磯
の埼欠ちず 若草の妻 持たせらめ
吾ハもよ 女にしあれば 汝除きて
夫ハ無し
文垣の ふわヤが下に 蒸し被 柔
ヤが下に 栲被 さヤぐが下に
沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き
腕 そ手抱き 手抱き 眞長り
眞玉手 玉手 差し纏き 股長に
寝おしなせ
豊御酒 立て奉らせ 八千矛の神の
命
事の語り言も
此をば
と 歌イたまイて 盞結イなして 項懸け
りましたまイき】ここに【阿遅鋤高日子根の
命ハ 天之美多伎姫の命に 御婚ゐまして
生みませる御子の御名ハ 多伎都比古の命
次に 塩冶毘古の命とまをす これの 多伎
都比古の命ハ 久々年の命の御娘 多伎都比
売の命に 御婚ゐまして 生みませる御子の
御名ハ 焼太刀火守大穂日子の命とまをす】
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6,16
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ここに 速日別の国に 悪じに 祟る禍頭あ
り そが名ハ うじる時守頭といウ 故 こ
こに 大国主の命ハ 御子 阿遅鋤高日子根
の命に 告りたまわく 汝ハ 速日別の国に
罷りて 祟りなす禍頭共を窺間見て来ね と
告りたまイき 故 阿遅鋤高日子根の命
ハ 速日別の国に入りまして 返り言まをす
状ハ それの国の菊池の高みに 平地あり
そに うじる時守頭居りて 此所に騒エなす
その禍らイ共 千萬ありて おのもおのも
に 現人の女 また 若女を掠み取りて 奴
が妾となし 人草の作田の実物を 奪りて
分ぢなして 喰らイて 大御田族を悩ます
そが故由ハ 奴が軍舎の如に 大室を 岩以
て 結イ足らに時に 大御田族を 家使イな
し そに違エるハ 殺し喰らウ こによりて
皆 禍らイに賄ウ者ハ助け 然らすハ罪と
なして殺す こを 常時なすとまをす と
詳らに 告り挙げましき
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6,17
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それで、大国主の命は、国を平和に治めようとしていたとき、出雲の五十狭々の小さな浜辺で食事をしていた。そのとき、海の上から人の声が聞こえたので、不思議に思い、その姿を探したが、何も見えなかった。

しばらくして、とても小さな神が、波の上に現れた。その神は、天の羅摩(かがみ)の船に乗り、鷦鷯(みそさざい)の羽を衣のようにまとい、潮の流れに乗りながら「弥々(いやいや)」と歌いながらこちらにやって来た。

大国主の命は、その神を大切に迎え、手のひらに乗せて祀った。すると、その神は、衣の上を跳ね回り、手のひらを蹴って飛び上がり、火の明かりの中に立った。

大国主の命は、「これは尊い神である」と思い、その名を尋ねたが、神は答えなかった。そこで、随行していた家臣たちにも尋ねたが、「名前は存じません」と答えるばかりだった。

そこで、皆が相談し、「久延毘古(くえびこ)の神なら、この神の名を知っているでしょう」と言った。すぐに久延毘古の神を呼び出し、尋ねると、久延毘古の神はこう答えた。

「これは、高御産巣日(たかみむすび)の命の八十柱の末の御子であり、その名は少名毘古那(すくなびこな)の命、またの名を少名牟遅(すくなむぢ)の命という神です。」

そこで、大国主の命は、使者を高御産巣日の命のもとへ送り、その神のことを報告した。すると、高御産巣日の命はこう答えた。

「確かに、それは私の御子である。私が生んだ神々は千五百柱もいるが、その中でも特に勇猛で、教えをよく学び、清らかな心を持つ神である。だが、どうしたわけか、私の手の間から抜け出してしまった神なのだ。だからこそ、お前がこの神を大切に育て、葦原の色許男(あしはらのしこお)の命と兄弟として助け合い、地上に悪事を働く者たちを追放し、荒れ果てた国をしっかりと治め、造り固めよ。そして、現世に生きる青人草(人々)が安心して暮らせるようにし、平和な世を築き、豊かで幸せな国を作るのだ。」

こうして、大穴牟遅の命と少名牟遅の命の二柱の神は、心を一つにし、力を合わせて、大須佐田(おおすさだ)・小須佐田(こすさだ)の地を整え、国を築いていった。
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6,18
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そこで、大穴牟遅の命と少名牟遅の命は、筑紫の速日別(はやひわけ)の地に、もじる時守頭(ときもりのかみ)という者が、多くの災いを引き起こしていると聞き、それを追い払おうとした。

彼らは、阿遅鋤高日子根の命、木之俣比古の命、御井の命、積羽八重言代主の命、御穂須々美の命、山代日子の命、若経津主の命、八尋鉾の命、高日子の命、活玉の命、三降の命たち、そして八百万の家族の長たちを率いて進軍した。

大穴牟遅の命と少名牟遅の命は、天の健駒(たけるこま)に乗り、八百万の家族の長たちは、天の藤葛(ふじかずら)の足駄を履き、小羽黒弓(こはぐろゆみ)と烏羽の矢(からすばのや)を手に持ち、それぞれ八十の武器を携え、波の上を悠然と進み、速日別の菊池の郷へと向かった。

その地では、もじる時守頭とその仲間の災いをなす者たちが、岩を砕き、石の弓を引き、風を巻き起こして抵抗してきた。

そこで、少名牟遅の命は大穴牟遅の命にこう告げた。

「もじる時守頭とその八百の災いをなす者たちは、非常に手強く防御しているので、正面から戦うのは難しい。だから、雲に乗って空から奇襲をかけ、彼らを追い詰めよう。」

大穴牟遅の命は「なるほど」と答えた。

そこで、二柱の神は天の狭霧(さぎり)を召喚し、空を翔けて、神の軍勢と八百千の家族の者たちを導き、高天原の中空へと舞い上がった。彼らが高らかに声をあげると、もじる時守頭とその仲間たちは、それを聞いて恐れおののき、身体を縮めて震えた。

その隙に、神の軍勢と八百の家族の者たちは、霧の中から突然現れ、災いをなす者たちを蹴散らし、踏みつけ、倒し、焼き払った。そして、その亡骸を野薦(のこも)の草と共に焼き尽くした。

こうして、この地を佐嘉那(さかな)と呼ぶようになった。
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6,19
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高天原におわす豊道明萬根子大津根子神、すなわち伊邪那岐の命と、眞燿(まひかり)のごとく神々しく厳かなる狭威玄神(さおいくろかみ)、伊邪那美の命。この二柱の大神の愛し子である熊野加夫呂伎櫛御食野(くまのかぶろぎくしみけの)命は、五百津鋤(いおつすき)の神に鋤(すき)を取らせ、千焼鍬(ちやきくわ)の神に鍬(くわ)を取らせて、大穴牟遅(おおなむぢ)の命と少名牟遅(すくなむぢ)の命、この二柱の神に命じられた。

そこで、大穴牟遅の命と少名牟遅の命は、天の下を巡り歩き、まるで水に浮かび漂う月のように定まらぬ土地を見つけると、そこに葦(あし)、菰(こも)、菅(すげ)を植えて育て、根を張らせ、大地を固めていった。そして、山や野に岩を敷きならし、稲田を広く開き、豊かな穀物が実る地とした。

こうして二柱の神は、神々の教えに従いながら、この国を造り固め、平らかな大地としたのであった。
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6,20
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ここに 天津神たちの 諸々の大御言を以ち
て 天照大御神 夜見照大御神 国照大御神
八十星御祖の神たちの前津辺に 共に 国
津神 天昇しなす 大穴牟遅の命 少名牟遅
の命に 告りたまイつらく 現しき青人草ハ
天の御秀木 国の御秀木 天の木々立 国
の木々立にしあれば 慈しみて 天の座置
国の座置に斎かせ おのもおのもに 清みに
心なし 人多々に 星の神となさしめて 高
天之原に天昇して 大神たちの御許辺に 和
霊なし 保イに 仕エまつらしめよ 然にあ
れども 人草の生命永からなくば 天の座置
に仕エざらまし 故 高御産巣日の命 神御
産巣日の命 神伊邪那岐の命 神伊邪那美の
命の撒かしたまエる千々 幾萬々の青人草
幼死 逸死 益ら死 受家死 眞受家死 千
努死 眞千努死なすハ 天津罪にゆ 故 そ
を 祓イ清めて 呪じ訓道 薬師道を開きて
国内の青人草を 生命永からしめよ 故
呪じ訓ハ 神訓なして修せ また薬道ハ 山
野 海川に生ゆるものハ 皆に皆に 薬とな
る 然あれど 中らに毒あり 食わす勿かれ
また 薬掘り人ハ 馬人に訓伝てよ 呪じ
訓人ハ 牛人に訓伝てよ また 薬の其が初
道ハ 木実
木根 木立 狭茅 狭根 狭実 笹津根
狭比知 狭桃なり 故 然すかに 薬と毒と
有り 木立依て 露き 隠るあり そハ 己
が随なすハ 毒覆ウあり 乳苣も枯れに 一
並べなす と 告りたまイき 故 二柱の神
天降りまして 千木立の木根を 根掘しな
し 千草をも 根掘しなして ころ障ゑを量
らにとて 猿千匹 狆千匹 犬千匹に これ
の木草を 種々に 取りなして 代わる代わ
るに 食物 さくまに 食わせて こ探り
神探りましき 故 食ゑ飽きて 生く獣も二
千五百匹あり 然々に 食イ斃る獣も 五百
匹あり また 先の如に 然々に こ探り
神探りましき 故 食エ飽きて 生く獣も
二千七百匹 斃る獣も 三百匹あり また
然々に こ探り 神探りましき ここに 生
く獣も 三千匹ありて 足らしぬ 故 筑紫
の禍頭の禍らイ人の囚人 五百人余あり 彼
奴どもを 引き出て こ探り 神探りましき
この中に 建人 二百五十あり 弱人 二
百あり 亡る人 五十ありき 故 こを以ち
て それの柾 おゆ木 左支木 須々久佐
よち草 波利草を薬となし 己波木 うばき
止禰木 己波草 うば草 止禰草を 毒と
なし【また 薬も そが臥しにゆ 毒となり
毒も そが臥しにゆ 薬となる 故 薬ハ
衰エるに 毒なす 毒ハ 衰エるに 薬な
す 衰エて臥すハ 人毎の体組によりて 並
べならず 衰エるも 臥すも 同じ如すに
おのもおのもの体組に 関りなすもの故 三
十歳をころばエずてハ治し難にぞある 故
これの薬を 衰エるに試ばイ 臥すにも試ば
イて 重の量に治しなして】かかと飲ましめ
ここと飲ましめば 幾 健け 幾 肥よと
生めかしなさしめにとて 薬道 毒道を千
別きて 国の馬人 国の牛人に 御教エたま
-------------
6,21
-------------
ここに 大穴牟遅の命 少名牟遅の命の二
柱の神ハ 天昇しなしたまイて 高天の大宮
天照大御神の御前に まをしけらく
吾が二柱以て 国造りなすに 人草の食物
成れるところあり 成らぬところあり こハ
自賄イに 自食飢ず 故 いける神たちを
美し道の訓伝てませと 太祝詞の願ぎ言を
まをしき 故 ここに 天照大御神 国照大
神を 召さしたまイ 然々の言を告りたまイ
き ここに 国照大神 あウ と 告りたま
イて 直ちに その御子 大年の命に 然々
に 告り言ちたまイて 並べに 大年の命の
御子 御年の命 若年の命たちに 告り言ち
たまイて 種津稔の実らしの神 と 称ゑて
また 御孫の御子 奥津日子の命 奥津比
売の命ハ 竈知らせの神 と 称ゑ 御孫の
御子 庭高津日の命 天津阿須波の命 天津
波比岐の命ハ 天津火 天津水 豊種津物
青菜 海魚を 火炊き道知らせの神と称ゑ
御孫御子 香山戸の命 羽山戸の命 大山咋
の命ハ 酒醸を知らせの神 と 称ゑ 御孫
の御子 稲依日女の命 千依比売の命 佐々
津比古の命ハ 未醤醸を知らせの神 と 称
ゑ 事勝国勝長狭の命 底度久御魂の命ハ
味塩を取り作りの神 と 称ゑ 若山咋の命
若沙那売の命ハ 種津物を知らせの神 と
称ゑ 弥豆麻岐の命ハ 水田津に水分りを
知らせの神と称ゑ 夏之売の命ハ 畑津の熟
きを知らせの神と称ゑ 秋毘売の命ハ 水田
津の熟きを知らせの神と称ゑ 久々年の命ハ
熟々の御狭田を知らせの神と称ゑ 久々紀
若室葛根の命ハ 豊種津実を生す成るを知ら
せの神と称ゑ また 年守星神 雨守星神
風守星神 雲守星神 露守星神 霜守星神
かし守星神 霧守星神 弥畑守星神 野山守
星神 田之土守星神 おのもおのもに それ
の毎々に天降りて 司知らす星の神たち 魂
分り知らせの神と称ゑ 現しき青人草に 幸
わゐなして 安らけく 奇し御世に守れ と
告りたまイき ここに 天照大御神 大穴
牟遅の命 少名牟遅の命に 告りたまイつら
く 汝が命 天降りせば 吾が襲を長め裁ち
に 取らしてに と 祝きたまイき また
天照大神ハ 木綿以て截れる 黒穂の冠を
取り出まして 大穴牟遅の命 少名牟遅の命
に 祝ぎたまイき 故 こを 宮下げといウ
ここに 二柱の神 天降りまして 天の祭
り 国の祭りに 仕エまつりて 活津食物
秀津食物 国固め 海固め 泥成り固め 潟
成り固めなさしめたまイき
上津文 六綴り完エ

-------------
7,1
-------------
上津文 七の綴り
【ここに 大穴牟遅の命 衰ゑて臥しし時に
少名毘古那の命 生かさまく 思ほさして
大分 速見の出湯を 下樋より 持ち渡り
来まして 隠り濯ぎに 御身浴み 濯ぎまし
しかば 間暫し程ありて 活き起ちまして
間暫し い寝るかも と 告りたまイて 踏
み健び】これの湯ハ 頓の薬なるかも と
告りたまイて 大分の国 速見の国に 出ら
し往きまして 火鳴りの岳に登りて 火鳴り
健びの煮泉湯を 底つ岩根の下刳る樋に 押
しなして 汲みやりまししを 厳の神湯とな
もいウ 故 大穴牟遅の命の御妾 高津姫の
命 月経 久に目見ずて 病みます時に 速
見湯に濯ぎたまエば 忽ちに 癒えましき
-------------
7,2
-------------
【ここに 少名毘古那の命 寒の小浜の砂子
を採り 潮以て 焚き散らし 木綿巻きに
巻き円め 大背を和ましつ 故 直ちに 癒
エましき】故 そこを 燒き砂子の国といウ
今 八坂といウハ 訛りなり 出雲の文に
いえらく 火鳴りの煮泉を置き伏せて 潮湯
となし 日にハ七か日 癒エたりとウ
-------------
7,3
-------------
【ここに 二柱の神 現しき青人草 また
水津毛物 畑津毛物のために その病を薬す
るの大道を定め また 鳥 獣 蛇の災を払
わにとして 呪訓りなイの神言を 定めたま
イき】御子だち 御孫たち 御曾孫たち 御
眞曾孫たちに おのもおのもに 御業成りを
知らせたまイき 此に因りて おのも毎に
大須佐田 小須佐田を依さして 天の斎鍬
天の斎鋤を 取らして 種蒔きに 豊御酒取
らし 早苗出らして 水田津 苗伏せに 槽
伏せて 肥田に歌わして 轟ろこし 水田津
歌イに 声転し風に 揺り足らしに 揃エて
並べて 処廻り 田廻り 苗配らしに 生す
や生すやに 広ら水田津に 瑞し瑞しに 豊
ら豊らに 熟きの垂り穂の八束穂畔廻に 種
津実収めに 生業なさせましき こハ 御子
の諸神の生業なり
-------------
7,4
-------------
また 副ゑて 二柱の大神 阿遅鋤高日子
根の命に 告りたまイつらく 天津神の言依
さしの随に 天の祭りを ここらに 斎き
敬イ畏みて 国の祭りハ 青人草の千足る天
の茅巣なさせ 朝夕べに 楽しに 仕エなさ
しめ 八百の便吉さ吉さなさしめて 神の禮
代に 仕エまつらしめよ と 告りたまイき
故 此処に 阿遅鋤高日子根の命 積羽八
重言代主の命と共に 国の国々の翁ども 島
曲の翁ども また ところところの老どもを
神集エ集エまして 村の村人の長老を 定
めましき 故 国の翁よりはじめて 村老
村毎に 茅巣 間蕩め 大御田族の楽し座な
さしめき 故 陸 狭手依 恵美の野の極み
まで 豊種津 木の実 香の実 麻布 綿布
蚕飼イ 蚕布を作り 家毎家毎に 満ち足
らわしき
-------------
7,5
-------------
故 天之活玉の命 天之三降の命ハ 国の
祭りの神首とならしめて 朝夕べに 賀詞を
撒かし 凶事を逐イ 八十伴の緒に任なイて
種々 取り栄さしたまイき また 木の俣
の命 天之御井の命に 依さして 天の祭り
の神斎ゐの祝ぎ言に 仕ゑまつりて 高天之
原の神たちに 斎きまつれ と 言依さした
まイき
-------------
7,6
-------------
故 二柱の神 議りまして 天の岩屋戸の
祭りの状を真似びて 言訓りましき 故 天
之鏡津之男の命に 御像鏡を作らし 拆鳴主
の命に 拆鈴 五十鈴を作らし 檍鳴主の命
に 合莵鼓 五十莵鼓を作らし 叢立男の命
に 天の羽斬の十握剣を鍛たし 鳥守彦の命
鳥守姫の命に 青和幣 白和幣を作らし
玉之緒の命に 八尺の勾玉を作らし 管形手
持の命に 笛妙を作らし 吹羽足の命に 法
螺竹を作らし 大乳言の命 小乳言女の命に
大き鼓 小き鼓を作らし 天之和琴姫の命
天之吉琴姫の命 天之鳴琴姫の命 天之音
琴姫の命たちに 天の爪掻の瓊琴 副琴【八
弦琴 六弦琴 四弦琴 二弦琴 一弦琴 ま
た 膝据えの七弦竹琴 五弦竹琴 三弦竹琴
一弦竹琴】を作らし手技し 裳取緒姫の命
天之倭文姫の命 和棚機姫の命 荒棚機姫
の命 狭綿棚機姫の命たちに 繭 麻 楮
綿 狭断ちて 九つの色の布を織らしめて
火丹色 紫色を幡となし 青色 黄色 赤色
を垂れ被となし 白色 黒色を 頓垂れとな
し 萌色 づ色を 折敷となし 天之御楮貴
の命に 御笠を作らし 天之葉木立の命に
股立を作らし 国之膳の命 膳姫の命に 食
立ての種々の膳に仕エまつらしめ 故 膳に
柏葉を八重敷き 高秀瓦イ 白汁秀瓦イ 甘
汁秀瓦 生秀瓦 塩折秀瓦 かぬ秀瓦 千根
秀瓦 ぬぬ秀瓦 混み汁秀瓦 削秀瓦 と椀
実椀 焼椀 乾椀を 色数に作り供エまつ
りまさし 天之豊種別の命 国之豊種別の命
ハ 十四の種津物を 千塚 萬塚を設げまつ
らし 国之中津男の命 中津実別姫の命に
甘菜 辛菜 沖津藻菜 辺津藻菜を 千萬結
イを 設げまつらし 海津魚取男の命 海津
魚取女の命に 鰭の広海魚 鰭の狭海魚 百
千の荷の緒を 設げまつらし 山口之木守の
命 木守足火の命 祓火之男の命に【大峡
小峡の麓の木】を伐らして 斎庭火焚き 八
十熱れなさしめ 海星之男の命 御凝姫の命
ハ 大海の眞中の早瀬の騒潮を 汲み持たせ
て 祭り庭場の斎庭と 斎まわり 清まわり
なさしめ 甕速日の命の御子 甕武市持の命
岩拆の命の御子 岩奇富の命 二柱の神
八十の神に祭り 此を添エて 天津祝詞の太
祝詞言を告らしめ また 添エて 祈り言を
尊みまつらしめ 畏みて 天津大神たちの詔
りの随に ちばやぶる荒ぶる 祟る頭を払イ
逐ゐて 現しき青人草 安く穏びて 千足る
茅巣 千足る豊種津実を 取り収めて 年食
イに 欠ぐこと無くして 楽し 歓ぎに 御
代斎みなす 此よ後に 祟る禍頭在らせず
幸エたまゑ と 祈り言に 言込みに 八平
手まつり 祈りまつる
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7,7
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阿遅鋤高日子根の命は、自ら天之活玉の命、天之三降の命とともに、国の祭りを執り行い、現世に生きる青人草(あおひとくさ/人々)に豊かな田畑を作る道を定め、誠心誠意働くことを教え導かれた。

すると、東・南・北・西の国々の果てまでの人々が集まり、貢ぎ物を持って参上した。しかし、阿遅鋤高日子根の命は、それを見て怒り、顔を真っ赤にして言った。「穢らわしいことよ! なぜ私を祟りをなす禍つ神と同列に扱うのか」と言い放ち、貢ぎ物を突き返してしまった。

これにより、国の国々の人々は嘆き悲しみながらも、帰ることもできずにいた。そこで、三柱の神は物部(もののべ)の人々を率いて、国々や島々に祟る禍つ神がいるならば、これを追い払おうと巡り歩いた。そして、各地に長老を定め、家を継ぐ道を整え、子を育てる役割や女性の務めを定めた。

その先頭に立った積羽八重言代主の命は、天の八百熊矛(やおくまほこ)を振りかざし、禍をなす悪しき者たちを切り払い、国の果て、島の果てまで追い詰めて討ち滅ぼし、国を平定し終えた。そして、こう宣言した。
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7,8
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現世に生きる青人草(人々)が、それぞれ得意なものを作り、得意なものを育てた豊かな作物は、手に入れやすいものもあれば、手に入れにくいものもある。そこで、大御神は「手に入るものと手に入らないものを交換し合うことで、働くことが人々の暮らしを便利にするであろう」と告げられた。

そして、国々を配分するために、各地の長老たちにこの教えを伝え、草木根の生い茂る三つの森に倉を建て、八百の倉に秋に実った穀物を運ばせた。そして、まっすぐに、まっすぐにと、千足もの豊かな稲穂を三十回の秋の収穫のたびに納めさせ、田を競わせることにした。

こうして、大国の人々はそれぞれに作物を持ち寄り、田競べを行い、互いに物を交換し合うようになった。その結果、大御田族(農耕を担う民)は、もともと持たなかったものを手に入れられるようになり、また、豊富にあったものを必要とする人々と分け合うことで、地域ごとに均等に行き渡るようになった。

このことにより、国々や島々の人々は大いに喜び合い、それをもって、各地の長老たちに物々交換の道を教え伝え、それぞれの土地でその道を学ばせ、物を交換する役割を果たす者たちを定めて仕えさせた。
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7,9
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また、積羽八重言代主の命は、薦枕代主の命と共に、釣り針に餌をつけて海の幸を楽しんでいた。その時、積羽八重言代主の命は思案してこう告げた。

「豊かな国の人々が皆、海の魚を食べることで、力が増し、長く生きられるようにするべきだ。」そう考えて、千尋の長さの麻縄を使い、百尋の大きさの網を編ませた。そして、桐の木をつけて浮きにし、麻布を編んで魚を追い込む仕掛けとし、八重の蔓を縄にして引き綱とした。また、鉄を取り付けて錘にし、さらに、鉄を尖らせて大きな魚の背を押さえ込む道具を作った。そして、八尋の大きな網で小さな魚を取り囲み、漁師たちを増やし、多くの大きな魚や小さな魚を獲るようにし、山で採れるものや秋の収穫物と交換して供給を賄った。

さらに、釣り針をたくさん作らせ、麻の細糸をつけて釣り糸とし、銅を錘として取り付け、沖や沿岸で小舟を流して釣りを行わせた。

そして、歌を詠んだ。

「沖の海で 網を引く漁師たちよ
漁師たちよ せっせと網を引いているが
魚はたくさん獲れるか
頑張っているか 魚は寄ってきているか
一生懸命働けばこそ 魚も集まるのだ
魚が寄ってくるのも 勤勉さのおかげだ
この漁業は 素晴らしいものだ!」
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7,10
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ここで、積羽八重事代主の命はこう言った。

「天照大御神の教えのとおり、大地に生える木々や草の実、そして海や川に棲む魚のうち、卵を多く産むものを食べれば、それは薬となる。しかし、卵をあまり産まないものを食べると、毒になる。長虫や這い回る虫は、種類をよく選んで食べるようにせよ。」

また、さまざまな神々に向かってこう告げた。

「私はお前たちとともに、国々を巡り、大御田族(民衆)の生活がより便利になるようにしていきたい。そこで、伊勢津国、遠津海国、常陸国、陸奥国、越国、出雲国、吉備津根国、建依国、豊日国、白日国といった国々の、それぞれの拠点となる場所に市場を開こう。この市場には多くの店を建て並べ、商人たちを住まわせ、物々交換の取引を学び伝えさせる。」

そのため、この市場を管理する神々として、種津見の命、種津津見の命、豊酒の命、荒酒の命、金工之男の命、八十工之男の命が選ばれ、それぞれが八十の家族の長たちを率い、各地で市場を整え、商いの道を発展させることとなった。
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7,11
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ここで、阿遅鋤高日子根の命と積羽八重事代主の命の二柱の神は、御祖である大穴牟遅の命と、御伯父である少名牟遅の命の二柱の大神の教えに従い、力比べをしようと考えた。そして、建御名方の命に向かって言った。

「お前は手の力が強い勇ましい男だという。ならば、試してみようではないか。」

そう言って、建御名方の命を呼び出し、こう言った。

「お前の力を見せてほしい。」

すると、建御名方の命は「わかった」と答え、丹波の国の江崎にある大きな岩を持ち上げ、海の深い波の中へ投げ込んだ。その岩は沈まずに浮かび、やがて島となった。この島を竹島という。

この様子を見ていた二柱の大神と兄弟二柱の神は、建御名方の命にこう告げた。

「お前は確かに強い男だ。だから、无邪津海の国にいる『よたま白熊』と『きたけ白熊』という二人の悪しき兄弟を退治してこい。彼らは八十の悪党どもを従え、農作業もせず、人々から食料を奪い取って暮らしている。そのうえ、彼らは並外れた怪力を持ち、一尋の木を根ごと引き抜いてしまうほどだ。だから、お前が彼らを退治して来るのだ。」

ここで、建御名方の命(またの名を御穂須々美の命)は、八十の従者を率いて无邪津海の痔の岳へ向かった。そこでは、長老が現れて、彼らの悪行を詳しく語った。

建御名方の命はそれを聞くと、山の尾根を越えて勇ましく進み、悪しき兄弟にこう言った。

「お前たちはとても強いと聞いている。ならば、その力を見せてみよ。」

すると、「よたま白熊」と「きたけ白熊」は答えた。

「国津神よ、お前がそう言うのなら、我らの力を見せてやろう。我らの力は、豊道之原の中津国だけでなく、外の国にも並ぶ者がいない。我らは百萬の枝を持つ大木を根こそぎ引き抜くほどの力を持っているのだ。ならば、お前の前で力を見せよう。」

そう言って、右の手のひらで馬を持ち上げ、左の手のひらで牛を持ち上げ、高く掲げて足を踏み鳴らし、建御名方の命の前に立った。

すると、御穂須々美の命は右手で牛と馬をまとめてつかみ、あっという間にひねり上げ、そのまま山の頂上へと放り投げてしまった。

これを見た「よたま白熊」と「きたけ白熊」は驚き、恐れおののいた。そして、こう言った。

「お前は確かに強い。しかし、我ら二人をまとめて相手にすることができるのか?力比べをしようではないか。」

国津御子(建御名方の命)は「いいだろう」と答え、勇ましく踏みしめて狭い岳に立った。

すると、二人の悪しき兄弟はこう言った。

「お前がそう言うのなら、我らも全力を尽くそう。」

そう言って、大地を踏み鳴らし、土を激しく蹴り上げて闘いに備えた。

御穂須々美の命もまた、上半身を裸にして、全身に力をみなぎらせて構えた。

ついに戦いが始まり、「よたま白熊」と「きたけ白熊」は建御名方の命に襲いかかり、彼を締めつけようとした。まるで蔦が絡みつくように、体を締め上げ、殺そうとした。

しかし、御穂須々美の命は両手を高く振り上げ、右手で「よたま白熊」の首をつかみ、左手で「きたけ白熊」の頭をつかんで、大声で「おお、やあ!」と叫びながら、二人を引き裂いて投げ飛ばした。

その後、二人の様子を見てみると、彼らは息も絶え絶えになり、力尽きていた。

そこで、御穂須々美の命は、右手を振り、左手を振り、大きな岩を持ち上げると、それを二人の悪しき兄弟の上に叩きつけた。

すると、二人の骨は粉々になり、砂のように砕けてしまった。そして、その砕けた骨が飛び散って、大きな腰の骨や小さな腰の骨となった。
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7,12
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阿遅鋤高日子根の命と積羽八重言代主の命は、御祖(大穴牟遅の命)の命を受けて、山代日子の命にこう伝えました。

「汝は弓矢の技を天へ昇り習得し、国の物部の長となり、国内の武士(益荒男)を養成し、その技を伝えていきなさい。」

また、若経津主の命には、

「天へ昇り、神馬の技、さらに神馬の操縦技、矛(ほこ)の操法、剣の使い方、弓の技を学び、国の武士を育て、その技を伝えていきなさい。」

さらに、八尋矛長依日子の命には、

「剣、太刀、矛、大鉈、長鉈など八十の技を天に昇って学び、国の武士を鍛え、その技を伝えなさい。」

と命じました。

こうして、三柱の神は天へ昇り、それぞれの技を学び、三年の後に天から降りてきて、御祖の命に報告しました。

御祖である大穴牟遅の命と伯父の少名牟遅の命は、それを聞いてこう言いました。

「山代日子の命よ、汝は天に昇り、天津神の弓の技、矢の技を学び終えたのだから、我が前で試してみせよ。」

また、

「若経津主の命よ、汝は天に昇り、天津神の馬術を学び終えたのだから、我が前で試してみせよ。」

「八尋矛長依日子の命よ、汝は天に昇り、天津神の剣術、太刀術を学び終えたのだから、我が前で試してみせよ。」

そこで、山代日子の命は槇の木で作った高弓に、黒々とした羽を持つ矢を装填し、出雲岳の頂から東の天へ向かって射放ちました。その矢は陸奥の杉山を貫き、さらに岩を砕き、海原へと飛び込み、島となりました。その島を「八津島」と呼びました。

さらに、西に向かって矢を放つと、速日の古々山を貫き、岩を砕き、海に飛び込んで島となりました。その島を「硫黄島」と呼びました。

また、若経津主の命は、大御田族に命じて牧山の太駒を引き出させ、八重の鞍を置き、八尋葛の手綱をつけ、馬に跨がり、掛け声をかけて軍事演習をしました。その馬は一日で天を翔け、一日で海原を翔けるほどの速さでした。そして、二日目には恵美の国に到達し、伯父である蛭子の命に拝謁しました。さらに、帰還して翌日には国を翔け、海を翔け、天一津国に到達し、祖母である多岐都姫の命に拝謁しました。

その後、大桐木を伐らせ、職人を召して木彫りの駒(馬像)を作らせ、御板鞍を置き、八尋葛の手綱をつけてその馬に乗りました。そして、

「吾が国を駆け巡ろう!」

と言い、その木彫りの駒を走らせました。すると、その馬は一日で十七里を駆け抜け、草木根の大神である国照大神に拝謁しました。

これを見た国照大神は驚き、

「美しきかな、若経津主の神よ。これほどの馬術を習得しているとは。」

と称えました。そして、

「さらに、上げ鞍の技を教え伝えよう。」

といって、自ら鐙(あぶみ)を蹴り上げてみせました。しかし、逆さまになり、俯いてしまいました。これを見た国照大神は、

「これはどういう技なのか?」

と戸惑い、室内へ入って休みました。

そこへ若経津主の命が到着し、

「夢の中で技を習得した!」

と言い、大戸を叩きました。そして、木彫りの駒に乗って、

「湯津於賀玉(ゆつおがたま)の木のように、しっかりと乗りこなそう!」

と言いました。

これを聞いた国照大神は、

「なるほど、これは素晴らしい技である。これを『布都の術言(ふつのじゅつげん)』と名付けよう。」

と称賛しました。

こうして、若経津主の命は国に帰り、一日で帰還しました。
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7,13
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また 八尋矛長依日子の命ハ 薄峯の十握
剣を抜かして 天に向かして 太刀斬りなす
に 鷲の黒鳥 胸喘きて 大地に落ちき 故
この鷲の鳥を見るに 片羽 八丈 頭ゆ咽
喉の合ゐ 四丈あり 眼ハ大玉なす 奴 手
ハ 三俣有りて 大鈎の如なす 嘴ハ跼まり
て 眞熊の如に 広くかかじり 鼻端垂りて
未た 息ありて 時に 声訛ます その訛
む声 雷の裂く如なりき また 八握の御太
刀の厚峯を抜かして 八尋木に向き立たして
横状に薙らせまししかば 八尋木の本を
眞直ぐに斬り通し 引こさまに返りき また
八尋矛を 国平けに 太刀払エに 払エた
まエば くくたに と なりき また 樫の
木の眞中木に作れる太刀以て 御岳上の立ち
巌を 眞つ被しに 斬り打ちませば その巌
二つになりき 故 この巌を 女男岩とい
ウ
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7,14
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ここに 大穴牟遅の命 少名牟遅の命
越の国の今戸の岳に 軍舎なす 禍津頭 十
二人あり 奴ハ 親二人 子十人 奴が身ハ
二丈あり 現しき青人草の作れる種津物を
己が物となし 理屈重ねて その傍国郡持
たせ 親族 家族に分ち遣りて おのもおの
もに 衣驕り 食イ驕り 家驕りなす 奸る
頭 また その種津物足らずあれば 理屈
を設げなす そを悖るあれば その現人を殺
し食ウ 奴が家ハ 高さ三丈 八尋になす
布襖に合イ切りて 八重畳を敷き おのもお
のもの服にハ 八雲織りの絹を衣なす 一人
毎に 種津実二升 食イ また 濁酒と清酒
とを 一日に三升を飲み 毛物の肉を食イて
海魚ハ な基無に食イ 若女 貌美きを集
エて 淫け戯ぶりなす ちばやぶる 荒び猜
びなす 故 平わにとて 二柱の神 共に謀
りたまイて 阿遅鋤高日子根の命 またの御
名ハ 一言主の命 国津木之俣の命 国津三
井の命 積羽八重言代主の命 建御名方の命
山代日子の命 若経津主の命 八尋矛長依
日子の命 薦枕白主の命 天之活玉の命 天
之三降の命をはじめて 八百ちの伴の緒 八
百ちの家族の長を率て 越の熊戸の御岳の麓
に到りて 見そなわしたまウに 山の傍層に
洞を貫き それに屈みて 禍らイ共ハ 大
室に在りて 種々の奸る業なす こを詳らに
隠りの使主人を遣り その出る入るの道を
分明たしめましき ここに 使主人 返り
言まをす 奴が状ハ 命の慮りの如 手ハ四
尺余りなす 頭に毛無くして 滑べの身に
縮毛なす 鳥の腹の如にて 目ハ円く 猿目
の如 口広く 牙 鱗に垂り 人草を締りな
す と まをす また そが道ハ 北通り
一筋の道なす と まをしき
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7,15
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ここに 少名牟遅の命 吾 往きて 脅し
来ね と 告りたまイて 空翔り往きまして
層洞に立たして 禍頭の頭に 跳び上がり
て 立ち蹴に 散げたまエば 彼の禍頭の頭
破れて 黒血 流れ出りき 故 禍頭 怒
り 手取りにせに と 睨る時に また 重
ねて 眼を 蹴破りますに 禍頭 慄イて
反けさまに 返り倒れき 故 命ハ 志都戸
に還りましき ここに 大穴牟遅の命 御子
たちに 告らして 得物 向かわせて 禍ら
イ共を 尽々に 殺し尽さしめき 故 禍頭
十二人 怒りて 己も己も 手にハ 一尺
の樫の丸木を 取りて 弥 振りに 打ち振
り 口より 炎を息吹き散らしき 大穴牟遅
の命 少名牟遅の命 二柱の神を 目当てて
飛び来て 罵す時に 二柱の神 矛を振り
つつ 彼の禍頭の 十二人の眞中に 駆け入
りて 矛尻に 撥ね返したまゑば 十二人の
禍頭 山 一尾羽根 谷 二谷を越して 撥
ね遣られき ここに 禍頭の十二人 敵わじ
とウて 无邪津海の 新納の山に逃げき
故 諸神たち 无邪津海の新納山に 追ゐ及
きましき ここに 十二人の禍らの頭 泣き
つつ 生命乞イてまをしけらく 奴ら これ
より後に 豊道之原に禍まし 故 生命賜べ
に と まをしき 故 二柱の大神 今ゆ後
にも これの国に な住みそ とウて 遠く
南の外津世の国に罷れ と 素木の丸木の
片素船に入れて 神逐イに 逐イたまイき

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7,16
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ここに 大穴牟遅の命 少名彦名の命 共
に 国造りまして 今 宜し と 告りたま
イき 故 ここに 神語りたまわく【吾がと
汝と 造れりし国 いなでかも 良くこそ
成せりとせめヤ と 告りたまエば 大穴牟
遅の命 告りたまわく 或ハ 成れる所あり
或ハ 成らさる所あり と 告りたまイき
故 少名毘古那の命 告りたまわく 然に
あれども 汝神 これの国に 汝大神在さば
速くに 国成り完エに 吾ハ 今ゆ 外津
世に罷らに由ハ 御祖の大御神の 蒔かした
まイし 外津世の他し千萬の島国の諸国を
国固め完エて 帰りなに と 告りたまイて
島中の島に 到りまして 実れる玉粟茎に
上りまして 弾かゑて 玉粟の葉実を 船術
なして 外津世の国に 渡り到らしましき
故 ここを 粟島といウ】
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7,17
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ここで、大国主の命は、深く嘆いて言った。

「まだ国造りが終わらない。今のところ、完成した国は十にも満たず、七つしかない。私一人でどうして国造りを成し遂げられるだろうか。」

そう悲しみながら、大穴牟遅の命は、昼は八日間、夜も八夜にわたり、何も手につかず、気も晴れずに苦しんでいた。

そんな時、突然、沖の海の中に光が現れ、海原を照らしながら、二柱の神がやって来た。そのうちの一柱の神は、頭に銀の冠をかぶり、長い後髪を垂らしていた。身には白い大きな袖の衣をまとい、白い袴を履き、白い衽(おくみ)を羽織り、千草を編んだ足板を履き、白い倭文(しず)の緒を踏んでいた。

もう一柱の神は、頭に金の冠をかぶり、髷を結い、耳のあたりに後髪を整えていた。身には赤い長い袖の衣をまとい、赤い袴を履き、赤い衽を羽織り、藺草(いぐさ)で織った足板を履き、赤い掛け緒を踏んでいた。

二柱の神は、それぞれ右手に玉鈴と拆鈴(さくすず)を持ち、左手には於賀玉の小枝を持ち、さらに頭椎(かぶつち)の素反りの太刀を腰に佩いていた。そして、波の上に立ち、ゆっくりゆっくりと穏やかに、揺らぐようにこちらへ近づいてきた。

二柱の神が目の前に立つと、大穴牟遅の命は問うた。

「お前たちは誰だ? 何をしに来たのか?」

すると、その二柱の神は答えた。

「もしお前が私たちを祭るならば、私たちはお前と共に力を尽くし、豊道之原の国々を造り固めよう。」

これを聞いて、大国主の命は問うた。

「お前たちは何者なのか?」

二柱の神は答えた。

「我々は、お前の幸魂(さちみたま)と奇魂(くしみたま)である。」

大国主の命は思った。

「この神々は、私の奇魂・幸魂なのか。それならば納得できる。」

そこで、すぐに理解し、次のように言った。

「この世を求め、さらに次の世へと続く道を見極めよう。」

そして、現しき青人草(人間)はどのように生きているのかを問うた。

二柱の神は答えた。

「人間は哀れな存在で、何をするにも心が定まらず、言葉を発しても真心がない。そのため、天津神(あまつかみ)は彼らに穏やかに接することができず、人々は自らの力を弱め、苦しんでいる。」

これを聞いて、大国主の命は「ああ、そうか」と言い、八度手を打ち鳴らし、玉篶(たませ)を振って、次のように告げた。

「お前は、秋津の青垣の東の山の上に住め。私は神衣(かむみそ)をまとい、杵築の宮に住もう。」

そう言って、国を造り固める道を定めた。
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7,18
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ここで、阿遅須伎高日子根の命の軍営に、各地の国の長たちが集まり、訴えを申し上げた。

「我々、現世の人々を助けるために必要な陸の獣や、牧場の馬や牛が衰え、いずれ絶えてしまうかもしれません。その時、我々の男たちはその獣の皮を剥ぎ、敷物として使い、その肉を食べて、豊作の補助としたいと考えております。」

これを聞いて、阿遅鋤高日子根の命は、御祖である大穴牟遅の命の前に出て報告した。

「国々の民が、このように訴えております。」

すると、大穴牟遅の命は「よかろう」と承諾した。

しかし、その決定を受けた大年の大神は、御年の命と若年の命に告げた。

「皇の御子が治めるこの国の朝夕の食物が、非常に汚らしく醜いものとなってしまった。」

これを聞いた二柱の神は、顔を真っ赤にして怒り、こう言った。

「これは、大国主の命の考えによるものだ。現世の人々に毛の生えた獣の肉を食べさせ、それを作物の糧とするなど、非常に汚らわしいことだ。そのため、穀物は弱々しくなってしまうのだ。」

そう言って、田畑に唾を吐いた。

すると、大年の命は怒りの炎を燃やし、荒々しく声を上げた。

「大国主の命よ、お前は何と穢らわしいことをしたのだ。天津神が朝夕に召し上がる食物を作る大御田族に、獣の肉を食べさせるなど、許されることではない。だから、お前にはもう一粒たりとも穀物を与えはしない。」

そう言って、大年の命は茅の穂を蹴り飛ばした。

すると、その穂は蝗(いなご)となり、田畑に群れを成して飛び込み、雲のように覆い尽くし、一面を食い荒らしてしまった。

結果として、水田や畑の作物はすべて枯れ果て、人々の生活は困窮し、羽虫が異常に増えていった。

大国主の命は、それを見て不思議に思い、阿遅須伎高日子根の命と積羽八重言代主の命に命じた。

「天津木之俣の命を片巫(かたみこ)とし、天津膳御井の命を肱巫(ひじみこ)として、占いを行い、天津神に太祝詞を奉げ、大御言(神の言葉)をいただいてくるのだ。」

そこで、二柱の神は出雲の熊野山に向かい、五百本の真っ直ぐな樫の木の枝を切り取り、桜の皮を焼き、占いを行った。

また、男の樫の枝の葉を並べて散らし、和楽の男四人、和楽の女四人が歌い踊り、火によって葉を焼き、その煙で太占(ふとまに)の儀式を行い、心を澄ませて天津神に祈りを捧げた。

すると、占いの結果が示された。

「これは、天津神の怒りである。その理由は、大御田族に獣の肉を食べさせた罪である。その怒りを鎮めるには、大年の神に詫びを入れなければならない。」

そう占いの結果が示されたのだった。
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7,19
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ここで、大国主の命は深く驚き、これは自分の罪を贖わねばならないと考え、自ら千座の置戸(神々への供え物を乗せる台)を並べ、蚕布(絹)、麻布、綿布を百張、山野で採れるさまざまな草菜、甘菜、辛菜、沖の藻菜、浜辺の藻菜、そして広い鰭を持つ魚、狭い鰭を持つ魚、さらに白い馬、白い牛、白い鶏、白い猿、白い犬など、さまざまな生き物を用意して供えた。そして、伊那佐の小汀(浜辺)において、身の潔めを行うことにした。

まず、潮が満ちる前に七回、潮が引いた後に七回、計十四回身を清めた。そして、髪を狭櫛(細かい櫛)で梳き整え、油を幾重にも塗り、太くしっかりとした髷(まげ)を高く結い上げ、麻布で作ったしっかりとした細冠をかぶった。その垂れ緒には紫色の布を長く垂らし、右手の袖には、八尺の勾玉と黄色く大きな菊の花を縫い付け、左手の袖には、同じく菊の勾玉と白い菊の花を縫い付けた。さらに、香藺(かぐあい)で作った朱色の掛け緒がついた木履を履き、大太刀、小太刀、前太刀を身に着け、手には楮布(こうぞの布)で作った幣(ぬさ)を掲げた。

また、この場には、天津木之俣の命、天津柏葉御井の命、阿遅須伎高日子根の命、積羽八重言代主の命、天津高棹の命、天津国高の命、国津幸守の命、庭高津日の命、奥津日子の命、奥津比売の命、天津阿須波の命、天津波比岐の命、大物主櫛甕玉の命、大国御魂の命、加夜奈留美の命、天之大分の命、国之辞代之男の命、御穂須々美の命、山代日子の命、若経都主の命、香山戸の命、羽山戸の命、大山咋の命、若山咋の命、若沙那売の命、弥豆麻岐の命、夏之売の命、秋毘売の命、久久年の命、葛根の命、大土御祖の命など、多くの神々と、家族や一族の八百千もの頭(かしら)たちが共に集まり、神々を鎮めるための大祓(おおはらえ)の祝詞を唱え、みなが一斉に手を打ち鳴らし、鈴を振り、清めの祈りを捧げた。

さらに、八十人の少女たちが髪を花で結い、美しく飾った。前髪には赤や白の菊の花を結び、髪飾りには玉を刺し、顔には摘んできた草の白粉を水で練って塗り、手足にも同じ白粉を塗った。また、眉の上には烏羽玉(黒い玉)で模様を描き、服は木綿をまとい、下には白木綿を着て、その上から赤く染めた衣を羽織り、朱色に染めた袴を履き、足には白木綿を巻き、しっかりと足袋を結んだ。そして、右手には玉篶(たまじの)、左手には榊の小枝に楮布を裂いて垂らし、神楽を舞って神憑りの儀式を行った。

また、拆鳴主の命、合木鳴主の命、管音持の命、吹緒持の命、大柱琴の命、小柱琴の命、天之合莵鼓の命たちが、音楽の神々として、和楽の男たちとともに、八百千の人々を集め、手拍子を打ち、鳴り物を奏でた。用意された楽器は、槽(ふね)八十、鈴八十、拆鈴八十、合莵鼓八十、横笛八十、縦笛八十、打笛八十、金竹笛八十、瓊琴(たまごと)八十、檜琴八十、短琴八十、小鼓八十、太鼓八十、鈴簓(すずささら)、打簓八十、打ち木割れ八十と、多種多様な楽器が奏でられ、その音色は「あう音」「えわ音」「いを音」と、三つの音が響き合い、和楽の調べが整えられた。

こうして、千千万万の音が鳴り響き、それらが調和して美しく響き渡った。その音色は、とても神々しく、さらに荘厳で、清らかに澄み渡った。その音楽に合わせて舞う少女たちの袖が、風に乗って優雅に揺れ、その香りが漂い、耳を引きつけ、目を奪うほどに美しかった。

この響きは天津御空(あまつみそら)にも届き、八百万の神々も、それに合わせて揺れ動き、手を打ち鳴らし、

「ああ、なんと清らかだ。ああ、なんと面白い。ああ、なんと楽しきことよ。」

と、神々も歌い舞ったのであった。

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7,20
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ここで、阿遅須岐高日子根の命と積羽八重言代主の命の二柱の神は、天に昇り、天津御穂国津御穂幸照大年御祖の命に謁見した。この天津御穂国津御穂幸照大年御祖の命は、天においては年幸星御祖の命とも呼ばれ、御年の命、若年の命の三柱の大神とともにおられた。

二柱の神は、これらの大神の前にひれ伏して畏まり、罪を清めるための祷(いの)りの大祝詞(おおのりとり)を宣言し、罪を祓い清めるための大祓の祝詞を奏上した。そして、神々への祝詞を慎み深く捧げた。

すると、大神はこれを聞き、告げられた。

「大国主の命は、自ら進んで千座の置戸(神々への供え物を並べる台)を担ぎ、己の罪を贖うために、千萬の供え物を用意し、神々を称えるために、和楽の音色や舞を整えた。二柱の神はここに天に昇り、これを詳しく報告した。地上では千人の人々を集め、罪を祓うための大祝詞を唱え、和楽の舞を奏でた。これらは、確かに立派に行われた。」

このため、大神は「私の心も喜ばしいし、天津神たちもまた、心安らかである」と告げられた。そして、天上の神々もこのことを祝福し、遂に天津罪(天に関わる罪)も国津罪(地上における罪)もすべて赦されることとなった。

こうして、大神は改めて告げられた。
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7,21
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田畑を耕すための毛の生えた家畜は、大御田族(田を守る人々)にとって助けとなる大切な存在である。だからこそ、大切に扱うべきである。しかし、もしそれらが死んでしまったならば、その皮は完全に剥ぎ取って、七つの川の流れでさらし、馬や牛の道具として用いることとする。

また、この毛の生えた家畜の肉は、非常に穢れたものとされるため、その骨と肉は深く土に埋め、人間を葬るように丁寧に扱うこと。田畑に生える草にまとわりつく虫は、私の心魂(神の気)である。だから今日から、草を生で食べることはさせてはならない。そのために、虫を追い払う方法を現人(人々)に伝えよ。

すなわち、麻の木や天の押草(特定の植物)を用いて押し払い、烏扇(黒い羽の扇)であおぎ、また、溝の入り口には、一つ生りの於賀玉の木の実(特別な木の実)や、男性の象徴を形取ったものをしっかりと作り供えること。そして、豊年を願う歌を作って歌わせ、太鼓を打ち、法螺貝を吹き、笛を吹いて、畦道ごとに巡りながら虫を追い払い、大野へと追い出せ。そして、四方の方向から、柴の木につく椒(山椒)、呉桃の実、苦参の根を叩いて、水に混ぜて撒き散らせ。このようにすれば、田畑の草も元通りになり、豊作となるだろう。

こうして、二柱の神は天から降り、人々にこの方法を伝えた。そこで、国を守る神々やその仲間たちは、これを広め、国中に伝えていった。そして、国々の大御田族(田を守る人々)は、この教えの通りに実践し、田畑の管理に従事した。その結果、田畑は草に覆われることなく、八握の厳しい実りとなり、豊作がもたらされた。

上津文 七の綴り 完結。

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8,1
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上津文 八の綴り

ここに、大年の命の御子である久久紀若室葛根の命は、産巣日の命の御娘である封貝比売の命を妻に迎えた。その時、葛根の命が持っていた黄金の弓矢が失われてしまった。

この時、封貝比売の命は身ごもり、子を産んだ。その御子の名は猿田彦の命であり、またの名を大土之御祖の命、佐太の大神、大土の命ともいう。

その時、久久紀若室葛根の命は封貝比売に言った。 「この子は私の子ではない。失った弓矢を持ってくる子こそ、私の真の子であろう。」 そう言い放った。

これを聞いた封貝比売の命は悲しみ、泣きながらその御子に語りかけた。 「あなたは川の瀬ごとに身を清め、失われた弓矢を探し出しなさい。」 そう祈りながら願い続けた。

すると、その時、角で作られた弓矢が川の流れに乗って浮かび上がってきた。しかし、生まれたばかりの御子はまだ二百日にも満たない幼子であった。それでもその弓矢を見つけると、 「これは私の弓矢ではない。」 と言い捨てて、投げ捨ててしまった。

そこで、母である封貝比売の命は再び祈り続けた。すると、黄金の弓矢が川の瀬に浮かび、流れ着いた。

この時、生まれた御子はその弓矢を拾い上げて、 「これは私の弓矢だ。母上、悲しまないでください。」 と言って、その弓矢を手にし、さらにこう告げた。 「ここは暗く閉ざされた巌(いわお)のような場所ではないか。」 そう言いながら、弓を引きしぼり、その巌を射通した。

すると、その巌はまばゆい光を放ち、照り輝いた。

そのため、その地を加賀と呼ぶようになった。
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8,2
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先に、国照大御神は天へ昇り、天照大御神に申し上げた。

「豊葦原の千年にも及ぶ長い時を経る瑞穂の国は、もはや私の子孫が治めるべき国ではありません。私の子孫が国を築き、国を安定させ、平和にしたならば、それは天照日之皇ら命の御子が代々治める国となるのです。ですから、皇ら之御子を天から降ろして、この地に宮柱をしっかりと建て、現しき青人草(人々)が安心して暮らせるように導き、天津日之御子が代々統治することとなれば、私は大神門の山に隠れ、安らかに過ごすことにしましょう。」

こう申し上げた。

すると、高御産巣日の命と神産巣日の命は共に手を打ち鳴らし、 「これは良いことである。ああ、清らかである。ああ、めでたいことである。ああ、畏れ多いことである。」 とおっしゃり、八百万の神々を集めて、このことを伝えた。

そこで天照大御神は御子の命に、 「天の下へ降りて統治しなさい。」 と命じられた。

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8,3
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ここで、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳の命は申し上げた。

「まず、豊道之原を試しに見てまいりましょう。」

そう言って、天の浮橋に立ち、天の下を見下ろしたところ、まだ穏やかにはなっておらず、非常に騒がしく乱れていた。

「なんと、酷く乱れた、荒れた国であろうか。とても支配するには適さない、醜い国ではないか。」

そう告げて、天に戻られた。

そこで、高御産巣日の命は大御神の御言葉を受け、再び、天之安之河の河原に八百万の神々を集めて言われた。

「天の下には、手に負えぬほど荒ぶる者たちが多くいる。光り輝く神々や、岩の根に潜むもの、草の根に隠れたもの、昼には雲や霧を降らせ、夜には炎を上げて災いをもたらす者、矢のように疾く走り、暴れ回って人々を害する者たちがいる。この者たちを言葉で説得し、鎮めることのできる神は、いったい誰であろうか。誰がふさわしいのか。」
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8,4
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ここで、思金の命が八百万の神々に尋ねたところ、皆が申し上げた。

「天之菩比の命は、特に強く、勇敢な神です。ぜひこの神を遣わしてください。」

そう言うので、天之菩比の命に命じて地上へ送り出した。

そこで、天之菩比の命は八十人の従者を率いて天から降り、八束水臣津野見の命や天之冬衣の命たちの考えを尋ねたが、彼らは皆、従うと申し上げた。

そこで、これらの神々とともに大穴牟遅の命に国の統治を委ね、天と地を駆け巡り、蜂のように騒ぎ立てる荒ぶる者たちを鎮めた。

しかし、その御子である武三熊野の命が、天から降りて三年が経っても何の報告もなかったため、再び天から地に降り、国を平定した。

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8,5
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ここで、高御産巣日の命は、天之菩比の命と武三熊野の命の二柱の神に告げた。

「瑞穂の国(日本)は、おおよそ荒ぶる者たちを追い払って平定できたように見える。しかし、まだ悪しき神々が残っている。彼らを追い払うために、何か良い考えがあるか。」

すると、二柱の神は答えた。

「天津国玉の命こそが、強く優れた勇者でございます。彼を遣わすのがよいでしょう。」

その時、高御産巣日の命は天津国玉の命を呼び出し、こう告げた。

「汝は中津国(地上)に降りて、国を治めることができるか。」

すると、天津国玉の命は申し上げた。

「ありがたくも恐れ多いことでございます。ご命令にはお仕えいたします。しかし、私は長らく脚の病に悩まされております。それでも、ご命令が畏れ多いものである以上、私の子を遣わせることにいたします。まだ年は十にも満たぬ幼い子ですが、この者をどうかお使いください。」

これを聞いた八百万の神々は、「それが良いでしょう」と口々に答えた。

そこで、高御産巣日の命は天の加久弓(強力な神の弓)と天の加久矢(神の矢)を授け、こう告げた。

「この弓矢は神の力を宿すものである。汝がもし忠誠を尽くさねば、この弓矢は汝を討つであろう。決して怠ることのないように。」

こうして、天若日子(天津国玉の子)は地上へ降ろされた。しかし、彼は忠誠を尽くすことなく、大国主の命の娘である下照比売を娶り、彼女を妻としてしまった。そして、地上の荒ぶる者たちを追い払うこともおろそかにし、八年もの間、天に報告をしなかった。
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8,6
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そこで、高御産巣日の命は、思金の命にこう告げた。

「天若日子が長い間、何の報告もよこさぬのは、もはや忠誠心がない証拠であろう。ならば、追放すべきか。」

すると、思金の命は答えた。

「天若日子は、国津神の娘を妻にしてしまい、忠誠を失ったのでございます。もし天に戻る使者を送れば、必ずや彼にとって災いとなりましょう。その時に追放なさればよろしいでしょう。」

そこで、高御産巣日の命は、名鳴雄雉子を使者として送り出した。しかし、この雉子は、玉粟田や豆田にとどまって帰らなかった。そこで、次に名鳴女雉子を送った。

この雉子は、天若日子の屋敷の門に立つ湯津楓の木の枝先に止まり、天津神の言葉を鳴き伝えた。これを聞いた天若日子の妻、天之佐具女は、夫にこう言った。

「あなたの門の木に、妙な鳥が鳴いていますよ。」

天若日子はこれを聞くと、天津神から授けられた天之櫨弓(あかしの弓)と天之羽々矢(はばや)を取り、その雉子を射殺した。

矢は雉子の胸を貫き、そのまま逆さに天へと飛び去った。やがて天に届いた矢を受け取った高御産巣日の命は、こう言った。

「この矢は、天若日子が使者を射殺した証だ。だが、もともとこれは、私が彼に与えた千本の矢の一つであった。それをこうして使うとは、忠誠心がない証拠である。許すべき道はない。」

そう言うと、その矢を再び手に取り、地上へと突き返した。その矢は、天若日子が胡床(腰掛け)に座って昼寝をしていた時に、彼の胸を貫き、その場で命を落とした。

この出来事が起こったのは、天若日子が新嘗(収穫祭)を祝った後に、昼寝をしていた時であった。
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8,7
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そこで、天若日子の妻である下照比売の命の泣き声は、風に乗って天まで届いた。すると、天津国魂の命は、この事態を自分の罪であると悟り、「このように忠誠を欠いてしまうとは思いも寄らなかった。天津神に仕える身でありながら、これは大きな罪である」と嘆いた。

そこで、天津神に対して自らの罪を清めるため、贖罪の品として自分の手の爪、足の爪、口の歯を一本ずつ生きたまま抜き、それを供えた。

その時、国玉の命の妹が小屋の中でこの話を聞き、天若日子が亡くなったことを知った。そして、その妻である高依比売の命は、涙を流しながら「我が夫、天之国玉の命よ、どうしてこのようなことになってしまったのか」と問いかけた。

すると、天之国玉の命は答えた。「我が子、天若日子は、なんと嘆かわしいことだ。祖先の教えに従わず、天津大神たちの怒りを買い、ついに神々によって追放されてしまった。だからこそ、我が多くの子どもたちよ、決して真心を失わずに生きなさい」と言い聞かせた。

そこで、高依比売の命は、疾風(はやて)を起こして、天若日子の亡骸を天へと吹き上げ、喪屋を建てて殯(もがり)を行った。そして、さまざまな鳥たちに役割を与えた。

河雁(かわがん)を 岐佐理持ち(きさりもち) とし(喪の儀式を執り行う役)
鷺(さぎ)を 掃持ち(はきもち) とし(掃除をする役)
雀(すずめ)を 碓女(うすめ) とし(米をつく役)
鷦鷯(みそさざい)を 哭女(なきめ) とし(喪の場で泣く役)
鵄(とび)を 綿作り とし(死者の衣を作る役)
翆(かわせみ)を 御食人(みけびと) とし(死者の供物を用意する役)
烏(からす)を 宍人(ししびと) とし(肉を捧げる役)
こうして、鳥たちにそれぞれの役割を与え、昼は八日間、夜は七夜の間、天若日子の死を偲び続けた。
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8,8
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この時、阿遅須岐高日子根の命は天に昇り、天若日子の喪を弔っていた。その時、天若日子の妻である高依比売の命と、幼い子供たち四人が彼のもとへ駆け寄り、「これは私の子なのか? 私の夫なのか? それとも血縁の者なのか? まだ死んでいないのか?」と叫びながら、手足にすがりつき、喜び、惑い、揺さぶった。

この誤解が起きたのは、阿遅須岐高日子根の命が天若日子と非常によく似た容姿をしていたからである。

そこで、阿遅須岐高日子根の命はひどく悔しがり、顔を真っ赤にして、「私は天若日子と親しい友人だからこそ弔いに来たのに、なぜ私を死人扱いするのか? こんなにも穢れたことがあるだろうか? こんなにも汚らわしいことがあるだろうか?」と憤った。そして、その穢れを払うために、身につけていた十握の大真量の剣を抜き、喪屋を斬り払い、さらに足で蹴り飛ばした。その喪屋が落ちて山となったのが、淡海の喪山である。

阿遅須岐高日子根の命は、その顔かたちがひときわ美しく、二つの山、二つの谷を照らし渡るほど輝いていた。そして、その面の赤みが飛ぶように消えていった時、妹である下照姫の命は、彼の名を世に伝えようと思い、歌を詠んだ。

「天にある大棚機の乙女が紡ぐ玉の御統(みすまる)、その御統に開いた玉のように、美しい二つの谷を渡る阿遅鋤高日子根の神よ。」

この歌を詠む間に、高日子根の命は天から地上へ降り、遥かに去ってしまった。そこで、下照姫の命はもう一度、歌を詠んだ。

「天離る遠き国の乙女よ
瀬戸石川の片渕、片渕に
網を張り渡し
美しいものよ、美しく寄り来ておくれ
石川の片渕よ。」

この二つの歌は「夷曲(ひなうた)」と呼ばれるものである。
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8,9
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この時、高御産巣日の命は、多くの神々を集めて、「豊道之原の中津国に遣わす神は誰がよいか」と尋ねた。

すると、天之思金の命、天之児屋の命、天之太玉の命が揃って答えた。「それは、石を砕き根を裂く神の御子である岩筒之男の命、岩筒之女の命の御子、経津主の命こそが、最も賢明な神であり、最適です」と申し上げた。

そこで、高御産巣日の命と神産巣日の命は、経津主の命を召して告げた。

「お前は豊道之原の中津国に天降りて、大国主の命にこう告げよ。『天昇して返答せよ』と。」

こうして、経津主の命は出雲の国に天降り、大国主の命に問いかけた。

「この豊道之原の中津国は、どのような国なのか?」
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8,10
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大国主の命は答えた。

「我が大いなる御祖である国照大神は、私に教えを授けてくださいました。『お前が忠誠の心をもって国を造り、国を平らかに整え終えたならば、皇の御子に国を譲り、顕れたる事を顕し、現し業を現し、神の教えを伝えよ。そして、安らかな宮に安らかに身を隠し、皇の御子の八百千代、限りなき未来まで、この国を守り、幸いをもたらす神となれ。また、日継ぎの御子、大いなる御子、臣、連、足尼、刀祢らの神々の八百代の末までも、守護神となれ。さらに、すべての人々がこの世を去った後は、星の神となって天津大御神の御前に仕えよ。悪しき者の心魂は追い払え』と。その御言葉に従い、私は仕えます。」

そして続けた。

「皇がこの国を統治し、千代に続く天津の御巣を築き、底津磐根に宮柱を太く立て、高天原に氷木を高くそびえさせて国を治めるならば、私は百の隅々、八十の隈手に隠れてお仕えします。我が子は多くおりますが、大御祖の御言葉に逆らう神はおりません。ですから、ここに私の宮に手向けの祭りを行ってください。」

そこで、阿遅須岐高日子根の命、天津木之俣の命、天津膳御井の命、山代日子の命、若経津主の命、八尋矛長依日子の命、薦枕白主の命、天之生玉の命、天之三降の命、八十柱の神々が集まり、答えを祝福した。

しかし、この時、積羽八重事代主の命は、鳥を追い、海の魚をとる遊びに興じ、三津の山、三津の崎にいた。また、建御名方の命は、越の国の禍つ神を鎮め、追い払うために旅立っていた。彼らはまだ戻っていなかったが、大国主の命は「私の心に違うことはない」と言った。

そこで、経津主の命は、稲背脛の命を召し、諸船に乗せて三津の崎へ向かわせた。
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8,11
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ここで、積羽八重事代主の命は、小舟に乗って海で魚を釣っていた。その時、稲背脛の命が積羽八重事代主の命に向かってこう言った。

「これは天津大神の使いの神がここまでお越しになったのです。あなたは今、どのようにお考えでしょうか。」

これを聞いた事代主の命は恥じ入り、顔を赤らめて答えた。

「私は父の命に誓って、一言一句も違うことはしない。このように天津神の使いが、汚れたこの場にまでわざわざ訪れて、丁寧に申し伝えてくださることを、ありがたくも面映ゆく思う。だから、私の心と魂をあなたに示しましょう。」

そう言うと、海の中にある船に乗り、天の逆手を八重の青柴垣のように打ち鳴らし、足を座に垂らし、舟の舳先の片側を削いで足を踏みしめ、その船を勢いよく蹴り出し、潮の八百路の波間に沈み、姿を消してしまった。

これを見た経津主の命は非常に驚き、すぐに天之鳥船の命に命じて、この出来事を天津神に報告させるために天へ帰らせた。

この報告を受けた高御産巣日の命と神産巣日の命は事の次第を知り、天之伊豆能売の命に命じて地上に降らせ、八重の潮路の彼方に沈んだ積羽八重事代主の命の遺体を引き上げ、息を吹き返させた。

すると、事代主の命は厳かに蘇り、まっすぐに御祖の御殿へと戻った。

こうして、経津主の命は天へ帰り、この一連の出来事を報告した。
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8,12
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ここで、大国主の命は、建御名方の命がまだ越の国の平定を終えて戻ってこないので、阿遅須岐高日子根の命、積羽八重事代主の命、天之木之俣の命、天津膳御井の命、山代日子の命、若経津主の命、八尋矛長依日子の命、薦枕白主の命、天之活玉の命、天之三降の命、そして百八十柱の御子たちを率いて天へ昇った。

ここに、天照大御神、高御産巣日の命、神産巣日の命の御前に出て、畏れ敬って申し上げた。

「私の大御祖である国照大神の御教えの通り、豊道之原の千秋の瑞穂の国は、かつては大いに騒がしく乱れていました。しかし、大御祖の命の導きにより、代々の彦舅の御祖が国を造り、鎮め、平和にし、皇之日の御子に国を譲るようにと御代々の父神たちが命じてきました。その御意を畏れ敬い、私は申し上げます。皇之御子が天からお降りになりましたならば、私の子どもたち、親族、家族のすべてを天津御子の御手代としてお仕えさせます」と。

また、ここで国照大神、八島士奴美の命、布波能母遅久奴須奴の命、深渕水夜礼花の命、八束臣豆奴の命、天之冬衣の命たちも共に天へ昇り、天津神たちの前で神々しく祝詞を奏上し、祝福を捧げた。
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8,13
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ここで、高御産巣日の命と神産巣日の命は、天疎日御像姫の命(別名:天照大御神)と、天開国開天津日高建速須佐之男の命(別名:国照大神)に神託を行った。

また、これまでの神々の系譜に基づき、以下の神々を挙げ、神々の役割と名を定めた。

高天豊道明萬根子大津根子伊邪那岐の命
眞燿幻稜威之狭威玄神立伊邪那美の命
眞夜柯干厳之明玉月弓之男の命(別名:夜見照大神)
天渡国渡十百座成科津産巣日の命(高天原での名:風精星御祖の神)
天津座高津座置清御魂瑞之火産巣日の命(高天原での名:火精星御祖の神)
天避豊道辺神御魂弥都波産巣日の命(高天原での名:水精星御祖の神)
天津降萬眞栄威美威降埴産巣日の命(高天原での名:土精星御祖の神)
天御魂国御魂穿神常座金山産巣日の命(高天原での名:常星御祖の命)
神御魂別国津清御魂直毘産巣日の命(高天原での名:彦星御祖の神)
厳之幸守眞心常辺速秋津産巣日の命(高天原での名:清星御祖の神)
天足国足潮津清見底土産巣日の命(高天原での名:底星御祖の神)
天足国足潮津清見赤土御祖の命(高天原での名:赤星御祖の神)
天足国足潮津清見岩土御祖の命(高天原での名:岩星御祖の神)
天之大土国之大土大御守山津見御祖の命(高天原での名:形代星御祖の神)
天津御穂国津御穂幸照大年御祖の命(高天原での名:年幸星御祖の命)
こうして、神々の役割と神託の言葉を定めた。そして、天の高殿である大八棟の宮の周囲に、思金の命、天之児屋の命、天之太玉の命をはじめ、八百万の神々を集めて神議を行った。

そして、高御産巣日の命と神産巣日の命は、天津日継ぎの御子である正勝吾勝勝速日天之忍穂耳の命に告げた。

「豊道之原の中津国は、すでに国が平定され、完成した。故に、そなたに託した通り、この国を統治せよ」と命じた。
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8,14
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それで、皇日之大御子(天忍穂耳命)は、こう宣言された。「私は地上に降りる準備をしていた間に、御子が生まれた。その名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇邇芸命(あめにきしくににきしあまつひたかひこほのににぎのみこと)である。この御子を地上に降らせるべきである」と仰せになった。

この御子は、高御産巣日の命の娘である萬幡豊秋津姫の命と、玉依豊栄姫の命の間に生まれた神である。

ここで天津大神たちは集まり、協議の上、神々の定めとして決定し、はっきりと告げた。「天津日継の御子である天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇邇芸命よ、豊葦原の千秋の長五百秋の瑞穂の国を、安定した豊かな国として治めなさい」と命じた。
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8,15
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ここで、高御産巣日の命と神産巣日の命は、国照大神、八島士奴美の命、布波能母遅久奴須奴の命、深渕水夜礼花の命、八束水臣津野の命、天之冬衣の命たちに、祝詞として寿ぎの言葉を授け、こう宣言された。

「汝ら神々は、忠誠心のある尊い神々である。ゆえに、天の座に留まり、夜の食国(黄泉の国)の祭祀を司る神となれ。また、その御子たちは天照大御神の御前に仕えよ。

さらに、大国主の命は、隠された神事の祭司となり、その御子たちは皆、祭祀を司る神々として、人々の神へと帰る道を開き、隠された神事の教えを伝える者となれ。

忠誠の心は神事に帰し、星の神として高天原に座し、天津大神に仕えよ。禍々しい心は追い払い、天と地を治める神として称えよ。

また、八百万の国の神々も、それぞれ神々の言葉を伝える神長として定められ、現世のことも隠れたことも、すべてを導き、幸福をもたらす存在となれ」と。
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8,16
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「さらに、お前の新しい住まいは、出雲の入り海が浅瀬になっている。だから、そこに海の砂と山の土を使ってしっかりと土地を築き固め、その上に、千年続く天の日隅の宮を建てなさい。そこは、現世の出来事も隠された神事も守る宮として、広く大きく建てるのだ。

宮の大きさは、縦五十の邑(むら)、横五十町。柱の高さは三丈半、垂木は一尺角に削り、棟木は五丈の丸太を用いる。敷板は幅一丈、長さが尺足りないものとし、千尋の栲縄(たくなわ)を百回結び、さらに八十回結んで端を垂らしなさい。宮の外壁には高い垣を設けず、門には立派な柱を建て、御殿の棟は十三棟造るように。

また、養蚕や製糸、燃料用の施設として、蚕屋、川屋、繭屋、灰屋、篠屋など二十の建物を整えよ。さらに、お前が海で遊ぶために、高い椅子を八丈、鳥船を八十隻用意し、山で遊ぶために、草履と足板を八十足、また徒歩のための駒の餌を八十机分整え、すべてを慎み深く作りなさい。

隠れた神事を司る祭りは、天の祭祀にならい、和楽を奏でる女性百人、男性百人を用意し、祭祀を執り行う神官三百人、さらに賓客として迎える三百人を配して、天照大御神、高御産巣日の命、神産巣日の命、天之穂日の命に申し上げるようにしなさい。

お前は、豊葦原の中津国の八雲立つ出雲の国に降り、大国主の命を鎮め、八百の赤土で築いた宮の主となり、この大神を丁重に祀るのだ」と宣言し、百八十枚の白い楯を添え、天の栄弓百張、天の栄矢千五百本を持たせて、使命を託した。

ここで、二柱の大神、大国主の命の御子である阿遅須岐高日子根の命、積羽八重事代主の命、天之木之俣の命、天津膳御井の命、山代日子の命、若経津主の命、八尋矛長依日子の命、薦枕白主の命、天之活玉の命、天之三降の命、そしてその他の多くの御子たちを召して、こう告げられた。

『お前たち弟たちは、皇御孫の命(天孫)の手足となり、現世において仕えなさい。そして、神の世界へと去るときは、御祖の命の手足となり、神事に仕えなさい』」と命じた。
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8,17
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また ここに 二柱の大神 直に 諸々の
神たちを 神集エに 集エたまイて 豊道之
原の中津国の 北の越の国ハ 未た 穏びな
らず 故【いづれの神を 遣わして善けに
と 告りたまイき 故 思金の命 御答エま
をしけらく 天之安之河の河上の 天の岩屋
に在す神 伊都之尾羽張の命 これ 善けに
また[其の神の子 甕速日の命の子 樋速
日の命の子 建御雷之男の命]これ 遣わす
べし 然故ハ 其の天之尾羽張の命ハ 天之
安之河の水を 逆さまに 堰き上げて 道を
塞き居れば 他神ハ 得往かじ こハ 天之
迦久の命を遣わして 問ウべし と まをす
故 天之迦久の命ハ 出往きて 天之尾羽
張の命に問ウ時に 答ゑけらく 畏こし 仕
エまつらに 然れど この道ハ 吾が曾孫
建御雷の命を遣わすべし と まをしき】故
建御雷の命 またの御名ハ 豊布都の命と
まをす
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8,18
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時に【建御雷之男の命ハ 八十伴之緒を率
て 越の国の斎の河原に降りて 十握剣を抜
きて 波の秀の上に 逆さに差し立てて 其
の剣の先に足組み 伴之緒に 鼓を烏滸打ち
に 打たせ 高音を散らかしき】故【建御名
方の命 千引岩を 手之末に持上げて いイ
けらく 誰そヤ 吾が 平ばイなす処に来て
忍び忍びに 此く物言 然ハ 力競べせな
と言て 彼の 千引岩を差し翳して】汝
此を 受けてにヤ 受け得ずば 貴なエ と
いイき 故 建御雷の命 告りたまわく
畏こし 汝ハ 手力 常人ゆ 少し勝れりヤ
己が力 有りの随に 吾に当たれよ 吾が
力 目見エなさに と いイき 故 眼辺に
建御名方の命 苛らげて 汝ハ 賢しき奴
かな と言て 持たる千引岩を 思イの随に
投げ棄てしかば 建御雷之男の命 その岩
を 双手和しに 受け張りて 遠津海の瀬合
に 投げ放ちたまイき 故 島と成る 建神
の成しませる島なる故 蛸島と言 ここに
二柱の神 御手御手に 挑み 強請りて 建
御名方の命を 建御雷之男の命 仰寝せに
足下なす時に 建御名方の命 項をねくさし
て畏こみ恐れ 汝ハ 何処より 参イ来る神
ぞヤ 恐らくば 御名を明かしたまエ 吾ハ
天津大神の使主人の神 建御雷之男の命な
り 故 建御名方の命 まをしけらく 吾を
な 殺したまイそ まをすべきあり 故
建御雷之男の命ハ 建御名方の命の項を緩し
足下なすを解きて 如何にまをすヤ と
問イたまイき
ここに 建御名方の命 まをしけらく 吾ハ
これの国津神 大穴牟遅の命の御子なり
ここにあるハ 越の白岳の大野に ちばやぶ
る 荒ぶる頭 名ハ 大谷熊と言 禍なす状
ば 昼ハ 端山処の大室を作りて 潜み 禍
らイ寝をし寐に 五百人を率きて 夜ハ 蛍
なすに すがらに 東雲に亙り 濁酒清酒を
時じくに食らイ 海魚ハ さらに 毛物
這ウ虫の肉に 戯れ 越の国道の 面榮の女
を唆こし 奴が須佐田ハ野荒れなし 常に
蚕布を衣なし ちばヤぶり 荒びなし 国内
の作物を奪りなす 然を争ウハ 殺し 其を
よさ事なすハ 同じ並みなす また 五百
六百の禍らイ 尽々に並べなす こにより
て 平ばわにと 御祖の宣り言の随に 参イ
来て 神逐らイに 払イ平けたりしい間に
汝 参イ来つるからに ちばやぶる頭そと侍
りぬ 故 吾ハ 汚き心ならじ 故 赦した
まイねとまをす【ここに 建御雷之男の命
宜べ 畏こし 天津神に 返り言に仕エまつ
らにとて 常陸国の 香島山の頂に上りまし
て 御身に鎧イたまエる 黒金の御衣を そ
の頂の岩洞の中に入れ置きて 八百伴之緒を
率て 天昇したまイ 返りまをしたまイき】
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8,19
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このとき、建御雷の命は国を巡りながら、反抗する者たちを追い払い、従わない者たちを斬り倒し、抵抗する首長たちのうち、従う者には穏やかに和解をすすめ、国を平定していった。

その際、遠津海の国(東国)の富士山に、従わない星の首長がいた。その名は香香背星之男の長(かがせほしのおのちょう)という。この首長を平定するために、建御雷の命は倭文男(しずお)の長を副官として同行させ、さらに建葉槌の命に命じて出発させ、香香背星之男の長と和解し、共に報告に戻ってきた。
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8,20
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その後、建御名方の命は狭依科(しなの)の国の諏訪山に到着し、水足の湖(諏訪湖)で大きな川魚を捕らえ、それを神への供物として捧げた。そして、神託を受けるために祈りを捧げ、手に持っていた八尋矛(長い矛)をその川のほとりに突き立てると、その矛の先に白鷹となって舞い上がり、そのまま天へと昇っていった。
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8,21
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ここに 高御産巣日の命 大国主の命に
告りたまイつらく 汝が忠誠し心 愛づるか
も 故 吾が御子 三穂津姫の命を 汝が妻
に 婚せに と 告りたまイき 今ゆ 天降
りて 御孫の命の 天の下知ろしめさに 千
足る天の御巣なせ と 告りたまイき ここ
に 大国主の命 御子たちを率て 天降りま
しき ここに 天津御子の瑞の御殿に 仕エ
まつらにと 内日刺す宮所を定めにとて 八
十伴之緒に 東の極み 南の極み 西の極み
北の極みに 乞イ求きらしき ここに 西
の使主人 国之魂別の命 返り言まをす 筑
紫の日向の国の 高千穂の櫛触の岳ハ 内日
刺すかも 朝日の輝ぐ 夕日の落ちぬ 高岳
の眞中顕わに 外垣に岩を立て並み 秀懸け
たる奇し山並べ 殿根の土の城負イて 清ら
けく 清に 明き 弥々に 吉き宮所にある
かも 八百の臣の神 殿所の継峰経あり ま
た 天津御子遊びます 天の大須佐田 国の
大須佐田 また 臣 連 八百萬神須佐田ハ
国の植月あり また 国の碵田あり また
これの山の頂と 麓と 腰とに 黄金 白
銀 多なし 瓊石 立て並みき 故 ここぞ
良き 天の新巣の大宮所にこそあれ と
まをす これの筑紫ハ 日の神の生れませる
清々しき国なり と まをす ここに 大
国主の命 八百の御子たち 八百の伴之緒を
率て 見そなわすに 朝日の直刺す 夕日の
照らす 雄々しき国なり 故 ここを 宮所
と定めましき こにゆ 大国主の命を 称エ
まつりて 大地主の神とまをす ここに 高
御産巣日の命 神産巣日の命 更に 神たち
を定めて 告りたまわく 大山津見の命の御
子たちを率て 大峡 小峡の木を伐り 野草
を刈らし 手置帆負の命ハ 山の根工なし
彦狭知の命ハ 家工なし 天之目一箇の命ハ
金工なし 金山毘古の命ハ 黄金 白銀の
吹かイの首となり 八柱の御子たちハ 金
座となり 櫛明玉の命ハ 玉磨りとなり 大
山津見の命の御庭にハ 樵男二百五十人を
御手代となし 手置帆負の命の御庭にハ量
工の男緒 百五十人を 御手代となし 彦狭
知の命の御庭にハ 工男緒 百五十人を 御
手代となし 鹿屋野比古の命の御庭にハ 草
刈りの男緒百人を 御手代となし 天之目一
箇の命の御庭にハ 金切りの男緒百五十人を
御手代となし 金山毘古の命の御庭にハ 吹
かイ男緒三百五十人を御手代となし 天之日
鷲の命の御庭にハ 糸女 織女緒百人を 御
手代となし 櫛明玉の命の御庭にハ 磨り男
緒百人を御手代となし ここに これの神た
ち ともに 天の円指 天の角指 天の直指
天の折指に 区分を裁り並めて 大木の萬
太料を量り また 小さ木ハ 藪伐り分け
眞手に量りなす 黄金 白銀の四指に おど
ろかして 櫛触岳の 岳の頂 岳の中腹 岳
の尾 岳の峡 岳の谷の闇 熊襲の山岳 阿
蘇の海辺の端山 直入の御岳 臼杵の海辺も
然々に 櫛触岳の頂 及び 中腹ぬに 八尋
の大宮を 太敷き立て 高天之原に 弥尺の
木を取り掛け 氷木高知らせ 十八棟に支エ
て 棟毎に 蘿草を植エ並べ 海原の波畝な
さし 大御門ハ 右のゆ 一里を隔りに 白
尾花の堅木を植ゑ並め 小御門ハ 八所して
おのもおのもにも 白尾花の堅木を 植エ
並め 宮の裏代 十八の宮毎に 柏湯の濯ぎ
殿なし また 放らしの厠をなし 新の御贄
の殿に 十二水樋を掛け 清まりなす 御門
の戸前毎に 流れ出る水を 土穿ちに流さし
め 末に 大御門辺に放ちて 川魚を蒔き
殖ゑ足らし また 大君 臣たちの御殿を
大宮の便め 五百萬に仕エ これの大御殿
大室屋の所に おのも毎に 御門を作らしめ
その門毎の辺に 眞赭笹を植エ並め また
群室 伴之緒室 家族室 交イたしなさし
め その室毎に 氷木 堅魚木を敷き 尋毎
の座置に立て並め【高天之原に 尾の花の
ゆくらゆくらに 風寄りの海原の 沫立つ穂
波の 沫こ沫こに 木立ち原の 宅巣宅巣に
間良く手並め合エり】ここに 大穴牟遅の
命 五百箇の秀倉を作らせ 作り 千萬斛の
豊種津実を 俵なし 秀倉に蔵しき また
蚕布 麻布 栲布 綿布を 千萬丈を織らし
めて 室蔵しなし また 繭子糸以て 黄金
白銀の糸 撚り以ち 種々の倭文を 織り
貫かせて 紫 赤 火丹 白の色々に 摺り
色を澁き 現し色の御衣の御栲となし 青
黒 緑 黄 土 萌 藍色 種々に 飾り色
の御衣の御栲となし また 楮の漉き布を
御幣とし 大室 小室 床の間 眞高のたウ
たウに置き蔵し また 一群ゆ 十群毎に
八百千の神宝を 置き照らし また 大御田
族緒 千萬人を招きて 豊之種津物を作らし
め また 大宮所の遠方此方辺に 六の珍琴
を置き 鳴ら緒毎の縒れ縒れにぞ 爪掻きに
ける 故 あら音の 舌作りハ 賑び賑びに
久方の天の辺ハ 栄び栄びに いと 豊け
くこそ 聞こゆれ
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8,22
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このとき、天津日継ぎの御子である正勝吾勝勝速日天之忍穂耳の命は、高御産巣日の命の娘である萬幡豊秋津比売の命と結ばれ、その御子である玉依豊栄姫の命を娶り、生まれた日継ぎの御子が天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇邇芸の命であった。

天照大御神と高御産巣日の命は、この御子に向かい、「天津高御座にお鎮まりになり、豊道之原の瑞穂の国を汝が治める国とするように」と告げられた。そして、思金の命、天之児屋の命、天之太玉の命、伊斯許理度売の命、玉之祖の命、天之忍日の命、天之表春の命、天之下春の命、活津日子根の命、天之火照の命、天之香山の命、宇摩志眞知の命、都留伎比古の命、青幡佐草日子の命、国之押別の命、磐坂日子の命、衝杵等乎留の命、八野之若比売の命、天之宇受売の命、豊遠加比売の命、天之邑日女の命、八束穂垂の命、香山戸の命、大山咋の命、若山咋の命、羽山戸の命、若沙那売の命、久久年日子の命、久久紀若室葛根の命、天之弥豆麻岐の命、稲依日子の命、稲依日女の命、耜魂の命、斎主の命、佐佐津比古の命、佐佐津比売の命、世開主の命、天津枳値可美の命、八尋鉾長依日子の命、綾門日女の命、天之活玉の命、天之三降の命、天之別日の命、さらに多くの神々、八十伴の長たち、百三十の大伴の頭たちが従い、天孫降臨の準備を整えた。

ここに、天照大御神は右手に剣を持ち、左手に鏡を捧げて、言祝ぎしながら告げられた。

「大八洲豊道之原の千秋の千萬葉の瑞穂の国は、我が御子が代々にわたって治めるべき国である。皇の珍しき御孫の命よ、天降りて天津高御座に鎮まり、安らかな国を守り、天津日継の瑞穂を育み、天津御食を豊かにし、萬千秋の長五百萬秋に至るまで、穏やかに統治しなさい。この鏡は我が御霊の象徴とするものであり、我が前に仕えるように、一殿、一床に安置して、慎み敬って祀るのだ。天地が永遠に続くように、汝もまたこの国を護り続けよ」と。

これによって、大御神の御像代として八咫鏡が定められ、さらに天之叢雲の太刀とともに、天津日継の御璽(しるし)とされた。また、国を平定するために招かれた八尺の勾玉と国平け日矛が副えられ、天之常世之思金の命、天之櫛眞智児屋の命、天之神魂太玉の命が、大山津見の命、金山毘古の命と共に、天津星の神々に心を寄せて祈りを捧げた。

さらに、天津手力之男の命、稚産巣日の命、甕速日の命、建御雷の命、経津主の命、天之懸の命、国之懸の命たちは、八十伴の長たちを率いて、天津日之御孫の命の護衛として仕え、高天原の斎庭において、天孫降臨を支えることとなった。

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8,23
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また、天之思金の命、天之児屋の命、天之太玉の命たちに向かって、高御産巣日の命はこう告げられた。

「汝ら三柱の神は、同じ宮の中に仕えて、足尼(※天皇に仕える神官)となり、天の祭りや国の祭りを、高天原の教えに従って取り仕切りなさい。そして、皇孫の命のための須佐田(※祭祀用の田)、臣たちのための須佐田を整え、現世の人々が耕す田畑を平らかにし、安らかな国として完成させるのだ。悪しき神が現れることなく、悪しき人間が生まれることもなく、御子たち、臣たち、遠く続く子孫たちが、乱れることなく、誠実に仕えるならば、八百万の天津神たちも共に、代々にわたって守護してくださるだろう」と。

ここで、神魯岐の命、神魯美の命が、この高天原で初めて言葉を発し、天津祝詞の大祝詞の言葉を宣り、天津神の家系、国津神の家系を称え、祀るように定めた。そして、天津磐境を作り、天津神籬(※神を祀るための施設)を立て、天津御子が天の下の国を穏やかに、楽しんで治められるように、神々を斎き祀るように命じた。

それゆえに、天津神籬を用いて、豊道之原の中津国に降りて、斎き祀ることを定め、様々な神々の長を率いて、それぞれの役割を果たすようにしなさい。そして、その働きは、天の御業(神々の意志)に従って行うように」と告げ、それに従って、多くの神々を伴わせ、仕えさせたのだった。

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8,24
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ここで、天津神たちは天津御子を「眞床追衾(まどこおふすま)」に包み、神籠(かむこ)にお乗せ申し上げた。こうして、天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇々芸の命は、「天の磐座を離れ、天の磐戸を開き、地上へと降りよう」として、座を立ち、お出ましになった。

その時、天之忍日の命は、供の者たちを整え、それぞれの背中に天の石靫(いしゆぎ)を背負わせ、腕には強固な高鞆(たかとも)を装着し、手には天の羽々弓(はばゆみ)を持たせ、天の羽々矢を靫に差し、八目の鳴鏑矢を手に挟み、頭椎の太刀を腰に佩き、大久米部の者二十余人を率いて御前に立ち並んだ。また、天之牟良雲の命は太玉串(ふとたまぐし)を持ち、天之忍雲根の命は天津祝詞(あまつのりと)を奉じた。

さらに、天之都留岐日子の命は、八十の伴の神々の中から八十本の矛を持たせ、磐坂日子の命は天の霊幡(ひれ)、国の霊幡を八重に担ぎ上げ、掲げ持たせて従った。

ここで、大国主の命は、御孫の命の天降りの道を迎えるために、黄金と白銀を清らかに磨き上げた五百本の真木の柱を組み合わせ、厳かに磨かれた勾玉を冠に飾り、八百本の秀木で輝く輿を造った。その輿は、火丹色(あかにえ)の衣で美しく包まれ、藤の花の鎖を幾重にも巻き付けた。そして、五百人の供の者たちは、八丈の幡を掲げ、強靭な焼矛を千々に振りかざした。

さらに、阿遅須伎高日子根の命と積羽八重事代主の命を「道迎え司」とし、建御名方の命と若経津主の命を「道饗(みちあえ)の人」とし、山代日子の命、八尋鉾長依日子の命、薦枕白主の命を「道別けの者」とした。また、下照比売の命と高照比売の命を「道遊び人」とし、天之活玉の命と天之三降の命を「近津臣(ちかつおみ)の人」とし、楽器を奏でる音鳴らしの役目を与えた。そして、木乃俣の命と御井の命を「殿司(とのもり)」とし、天の浮橋の根本のあたりにて、天津御子を迎える準備を整えた。
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8,25
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ここで、天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇々芸の命が、地上へと天降ろうとされた時、御前を清める神が戻ってきて報告した。「天の八千俣の道の分かれ道に、怪しげな神がひとり立っています。その姿は、上は高天原まで照り輝き、下は中津国まで照らし渡っています。鼻の長さは七寸、背の高さは七尺余り、目は梅の実のように丸く、大きく光っています。」

その神は、腰に太い袴を着け、右手には木の矛を持ち、左手には楮(こうぞ)の布で作られた御幣を持ち、それに五十鈴をつけて身に帯びていた。そこで、御伴の長がその名を尋ねたが、その神はじっと見つめるばかりで答えなかったと報告した。
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8,26
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これを聞いた天照大御神、高御産巣日の命、神産巣日の命は、「それは、大年の神の子である久久紀若室葛根の命の子、猿田毘古の命に違いない」と告げられた。そして、「天之宇受売の命は、女性ではあるが、向かい合う神には負けない力を持つ神である。だから、汝が行って、その神に問いただし、導いてもらうようにせよ。そして、『汝は何者か、この道に立っている理由は何か』と問いかけてこい」と命じられた。

そこで、天之宇受売の命はすぐに向かい、八衢(やちまた:道の分かれ目)に立っている神に向かい、「我が皇御孫の命が天降られる道を、そなたは何者であり、なぜそこに立ち塞がっているのか」と問いかけた。

すると、その神は答えた。「我は国津神(地上の神)、大年の命の真孫、猿田毘古の命である。ここに立っている理由は、天津大神の御孫の命が天降られると聞いたので、お迎えし、大道を案内するためである。」

天之宇受売の命はさらに問いかけた。「汝が先に立って進むのか、私が先に立って進むのか。」 それに対し、猿田毘古の命は答えた。「私が先に立ち、御前を祓い清めながら進みます。汝はどこへ導こうとするのか。」 そして、猿田毘古の命はこう続けた。「私は、大国主の命が定めた地、西の高千穂の櫛触岳へと御孫の命を迎えに行く。そのために道を別ける神となり、道を祓い清め、平らかにするのだ。」

このやりとりを終えた天之宇受売の命は帰還し、その報告を申し上げた。
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8,27
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ここで、皇御孫の命は天の岩座を離れ、天の岩戸を引き開き、天の八重に重なる棚雲を押し分け、天の八衢(やちまた:道の分かれ目)を、厳かに道を分けながら進まれた。そして、天の浮橋の上で、しっかりと立ち、地上を見渡された。

大穴牟遅の命(大国主神)は、この天降りを迎え奉り、皇御孫の命を八百の秀木で作られた輝く輿にお乗せし、直ちに一日一夜、盛大に祝い喜んだ。そして翌朝、天の八百の神々や国の八百の神々が参列し、笠を広げ、布をゆるやかに垂らしながら、高千穂の二つの峰にそびえる神聖な瑞々しい新宮へと皇御孫の命をお連れした。

この天降りの出来事によって、豊かな葦原の国の人々は皆、心を通わせ、和睦し合った。これが由来となり、この月を「睦月(むつき)」と呼び、この日を「始まりの日」と呼ぶようになった。その理由は、天照大御神が東の六つの宮殿から朝の光とともに姿を現されたからであり、それゆえに「睦日(むつびの日)」とも言うのである。

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9,1
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上津文 九の綴り
ここに、天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇々芸の命が、高千穂の二つの峰にそびえる新宮に天降り、顕(あらわ)なる世の営みを治め、天の祭り、国の祭りを執り行い、祝詞を唱えられた。

このとき、常世の八つの心を持つ思金の命、天之児屋櫛眞智の命、天之太玉神玉の命たちは、天津大神の言葉に従い、一つの高い峰に宮を建て、そこに共に座し、天の業を学びながら仕えた。

また、伊斯許理度之男の命、伊斯許理度之売の命、玉之祖日子の命、玉之祖日女の命、天之忍日日子の命たちは、御殿の東の大殿に入られた。

大山津見の命、大山比売の命、金山毘古の命、金山毘売の命、和久産巣日の命、和久産巣日比売垣の命たちは、御殿の北の大殿に入られた。

天之手力男の命、天之忍雲根の命、天之忍日の命、天之牟良雲の命、天之都留伎比古の命、天之嗣桙の命、天之鈴桙の命、天之御雲の命たちは、御殿の西の大室に入られた。

阿遅鋤高日子根の命、積羽八重事代主の命、天之木之俣の命、天之御井の命、三穂須々美の命、八尋鉾の命、若経津主の命、八尋鉾長依日子の命、薦枕白主の命、天之活玉の命、天之三降の命たちは、御殿の南の大室に入られた。

また、八百の臣(おみ)の神々は、外山や野の大きな宮に入られた。そして、御伴の神々や家族の人々は、さまざまな御殿に分かれて住み、谷々の果てまでにわたり、神々の住まう場所として整えられた。
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9,2
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ここで、思金の命、天之児屋の命、天之太玉の命が共に相談し、歳の決まりごと、月の決まりごと、日の決まりごと、四つの季節とその区分について定めた。

まず、皇孫の命が天降りされた年を「大御歳(おおみとし)」と定め、すべての人が天降りする月を「始めの月」と定め、すべての人が天降りする日を「始めの日」と定めた。そこで、「始めの月」を「むつび月(睦月)」と呼ぶことになった。

次に、各月の名称を次のように定めた。

二月を「けさり(如月)」
三月を「いやよ(弥生)」
四月を「うべこ(卯月)」
五月を「さなゑ(皐月)」
六月を「みなつ(水無月)」
七月を「ふくみ(文月)」
八月を「はやれ(葉月)」
九月を「なよな(長月)」
十月を「かなめ(神無月)」
十一月を「しふる(霜月)」
十二月を「しはつ(師走)」
そして、この十二の月を、それぞれ三十日間と定め、月の三十日を「三旬」とし、最初の十日を「始めの十日」、次の十日を「中の十日」、最後の十日を「終わりの十日」とした。また、月読の神が満ちる日を「月円日」と定め、最後の十日を「月籠り」、新しい月の始まりを「月立て」と定めた。

一年の長さを三百六十日とし、その上で、年の終わりと始まりの境に「しはつゆ(師走の結び)」と「むつびの央(三日と四日)」を置き、年の始まりを明確にした。

さらに、四つの季節を次のように定めた。

「むつび月、けさり月、いやよ月」を「木の芽が芽吹く季節」
「うべこ月、さなゑ月、みなつ月」を「国が暑くなる季節」
「ふくみ月、はやれ月、なよな月」を「穀物が熟す季節」
「かなめ月、しふる月、しはつ月」を「木の根が育つ季節」
こうして、四つの季節を定め、年の循環を整えた。
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9,3
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天照大御神は、その尊い御足で天の大神の御座から天へ昇り出て、高御産巣日の命に問いかけられた。すると、高御産巣日の命は答えて言われた。

「この高天原は天照大御神が統治するところである。したがって、高天原と豊葦原のどちらも、きちんと定めなければならない」と言われた。そして、「すべての国々を照らし導く、尊く霊妙なる御子の立たれる方向を東とし、そこへ入られる方角を西とする。また、高天原の真ん中を通る道を避け、御星の神々に向かう道を進まれるので、それを『日央(ひおう)』とし、その向かいの背方を南とする」と定めた。

さらに、天之御中主の命は、高天原の中心の高い空に常に鎮座し、「大御星の神」と称えられることになった。その南には、高御産巣日の命自身が常に座し、「産巣日星の神」と呼ばれることになった。また、神産巣日の命は北に常座し、「御産巣星の神」と称えられることになった。

宇麻志阿斯訶備比古遅の命は、南の夏の位置に座して、「宇麻志星の神」と称えられることになった。天之底立の命は、真ん中の東に座して、「天津星の神」と称えられることになった。国之底立の命は、真ん中の西に座して、「国津星の神」と称えられることになった。

豊雲野の命は、東の宮殿の前に座して、「豊雲星の神」と称えられることになった。葉木国野の命は、西の宮殿のそばに座して、「葉久々星の神」と称えられることになった。

このようにして、天と地の秩序が整えられ、すべての国々に神々が配され、人々が安心して暮らせる世が築かれた。

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9,4
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また、四方にはそれぞれ神が存在し、それぞれの宮殿は全部で十八ずつある。そこで、これを基に修めなさいと告げられた。こうして、三柱の神が天から降り、天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇々芸の命が豊葦原の中津国に降り立った時、天照大御神が六番目の宮殿からお出ましになった。それゆえ、この月を「睦月(むつびの月)」と呼び、また、その宮に入られた日を「始めの日」とし、次の日を「明津日(あけつひ)」と名付けた。これは、諸神が祝福をする日として名付けられたものである。

次の日は「厳し日(いつくしび)」と呼び、これもまた同じように祝福の意味を持つ。さらに、その次の日は「天津日(あまつひ)」と呼ばれ、これは御親である天津神を祝う日である。次の日は「国津日(くにつひ)」と呼ばれ、これは国津神を祝う日である。その次の日は「八百万日(やおよろずのひ)」と呼ばれ、八百万の神々を祝う日となった。さらに、その次の日は「精高日(くわしたかび)」と呼ばれ、覇精高の神を祝う日とされた。次の日は「現人日(あらひとび)」と呼ばれ、現世に生きる人々を祝う日となった。その後は、九日目、十日目と順番に続く。

天照大御神が六番目の宮殿からお出ましになるため、日中は七時半から、夜は十時半からと定められた。また、その中間の五日間は、昼は八時、夜は十時とした。

次の月である「けさり月」には、七番目の宮殿からお出ましになり、昼は八時半、夜は九時半と定められた。中間の五日間は、昼は九時、夜は九時とした。「いやよ月」には、九番目の宮殿からお出ましになり、昼は九時半、夜は九時半で、中間の五日間は昼十時、夜八時となった。「うべこ月」には、十一番目の宮殿からお出ましになり、昼は十時半、夜は七時半とされ、中間の五日間は昼十一時、夜七時となった。

「さなゑ月」には、十三番目の宮殿からお出ましになり、中間の五日間の後に、十二番目の宮殿へ移られた。そのため、昼は十一時半、夜は六時半と定められ、中間の五日間は昼十二時、夜六時となった。「みなつ月」には、十二番目の宮殿の後にお出ましになり、昼は十一時半、夜は六時半とし、中間の五日間は昼十一時、夜七時とした。

「ふくみ月」には、十番目の宮殿の後にお出ましになり、昼は十時半、夜は七時半で、中間の五日間は昼十時、夜八時とされた。「はやれ月」には、八番目の宮殿の後にお出ましになり、昼は九時半、夜は八時半で、中間の五日間は昼九時、夜九時となった。「なよな月」には、六番目の宮殿の後にお出ましになり、昼は八時半、夜は九時半で、中間の五日間は昼八時、夜十時と定められた。

「かなめ月」には、四番目の宮殿の後にお出ましになり、昼は七時半、夜は十時半とし、中間の五日間は昼七時、夜十一時となった。「しふる月」には、二番目の宮殿の後にお出ましになり、中間の五日間の後、一番目の宮殿に移られた。そのため、昼は六時半、夜は十一時半となり、中間の五日間は昼六時、夜十二時とされた。

「しはつ月」には、四番目の宮殿の前にお出ましになり、昼は六時半、夜は十一時半とし、中間の五日間は昼七時、夜十一時とされた。

これによって、一年間の季節と期間が定められたのである。
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9,5
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一日の時間の区分は、昼の時間を三つに分け、それぞれを九段階に分ける。そして、夜の時間も三つに分け、それぞれを九段階に分ける。よって、一日一夜の時間は、以下のように区分される。

朝の時間には、
・朝開きの時(夜明けの時間)
・朝な時(朝の始まり)
・朝じ時(朝が完全に開けた時間)

昼の時間には、
・日前時(日が昇る直前の時間)
・真昼時(太陽が最も高くなる時間)
・日後時(昼の終わりに向かう時間)

夕方の時間には、
・夕げ時(夕方の始まり)
・夕な時(夕日が沈む頃)
・夕暮れ時(完全に日が沈む時間)

宵の時間には、
・黄昏時(薄暗くなり始める時間)
・宵方時(夜の始まり)
・小夜時(宵の中頃の時間)

真夜中の時間には、
・夜さ時(深夜の初め)
・真夜時(夜の最も暗い時間)
・夜後時(夜明け前の時間)

暁の時間には、
・寝る時(最後の眠りの時間)
・目覚め時(夜明け前に目が覚める時間)
・東雲時(空が白み始める時間)

このように、一日と一夜の時間は細かく区分され、それぞれの時間に名称が付けられている。

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9,6
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故 夜見照大御神ハ 天照大御神に 日に
異に 一時を後方なして 高天之原を出る
故 けさり はやれに 七 八の御殿に
遊出まして 夜見照大神ハ 一時隔りて 後
方に入る また 火精星御祖の神ハ高天之原
の北の眞上に 常座まして 御子の神たちハ
その在座の宮の殿所を 二十重に巡り 宮
異なす星の神ハ[むつ魂星 きさ魂星 いや
魂星 うた魂星 さな魂星 みな魂星 ふく
魂星 はや魂星 なか魂星 かむ魂星 しひ
魂星 しつ魂星]これの神たちハ 現世の守
りなして 御殿に入らず これの神の御子の
星たちも 真上の殿所を巡り 火守りなす
風精星御祖の神ハ 天照大御神の御前 一時
八 九の殿中らゆ 遊出ます 故 夜ハ
眼見エず 四の季も 其なす 故 風星の神
ハ 黄昏に 四殿に出りまして 巡らす 風
女星ハ 黄昏中ら出る 風男星ハ 宵方に
六の殿ゆ出る 気霧星ハ 眞夜に八殿 ゆ出
る あかゆ星ハ 小夜に九殿ゆ 出る あか
ゐ星ハ ぬるに 十殿ゆ出る 露風星ハ
夜後に 十一殿ゆ出る め霜星ハ 目覚めに
十二殿ゆ出る い雪星ハ 東雲に六殿ゆ出
る 吹雪星ハ 夜さに 二の殿ゆ出る 大雨
星ハ 宵辺に 七殿ゆ出る 大息守星ハ 夕
なに 六殿ゆ出る これの星の神ハ 風治ゐ
の星の神なり また 水精星御祖の神ハ 日
の毎に 天照大御神のこゆウの南を 翔け巡
り 御一日に 一巡り 一夜に 一巡りなす
故 天照大御神の御乳守る星の神なり
また 御子の神たちハ あれぬ星ハ 朝開
きに 二殿ゆ出り 日一巡 夜一巡なす あ
れほ星ハ 朝なに 三殿に出り 日一巡 夜
一巡なす いどみ星ハ 朝じに 四殿に出り
日一巡 夜一巡なす うるき星ハ 日前に
五殿に出り 日一巡 夜一巡なす とぢ星
ハ 日前に 一殿に出り 日一巡 夜一巡な
す うほヤ星ハ 朝じに 二殿に出り 日一
巡 夜一巡なす 八百星ハ 朝なに 三殿に
出り 日一巡 夜一巡なす うみ星ハ 朝開
きに 四殿に出り 日一巡 夜一巡なす と
み星ハ 東雲に 五殿に出り 日一巡 夜一
巡なす 彦星ハ 目覚めに 六殿に出り 日
一巡 夜一巡なす これの星の神たちハ 真
水治ゐなす星の神なり また 土精星御祖の
神ハ 天照大御神の 七殿に遊出ます時に
続きて 七殿に出り治ゐて 遅く巡り 秋の
七殿に また 天照大御神の遊出ますに 続
きて出る 故 一年に 二巡なす また 御
子の星の神たちハ す星ハ 真昼に 六の殿
に 天照大御神の 徐に出らしたまウ時に出
りて 遅く治ゐて 一年に元なす やみ星ハ
然々に 八の殿に出り 寛に 治ゐて 一
年半らに元なす とみ星ハ 然々に九殿に
出り 寛に治ゐて 二年に元なす つゐ星ハ
然々に 十殿に出り 寛に治ゐて 三年に
元なす なこ星ハ 然々に 十一殿に出り
寛に治ゐて 四年に元なす なか星ハ 然々
に 十二殿に出り 寛に治ゐて 五年に元な
す あれ星ハ 然々に 十一 十二の合いに
出り 寛に治ゐて 六年に元なす つま星ハ
然々に 十一 十の合ゐに出り 寛に た
ゆたに 治ゐて 七年に元なす みつぼ星ハ
然々にとうり 九の合ゐに出り ゆたに
たゆたに 治ゐて 八年に元なす たたら星
ハ 然々に 九 八の合ゐに出り 大ゆたに
たゆたに 治ゐて 十年を元なす とろ星
ハ 然々に 八の殿に出り 大ゆた 大たゆ
たに 治ゐて 十八年を元なす かき星ハ
然々に 九の殿に出り おおゆた おおたゆ
たに へばゐて 三十六年に元なす たかを
星ハ 前 かき星の神と並べなす とい星ハ
前 とろ星の神と並べなす 故 八百萬の
星の神も こを以て修せ また 現人の星の
神とならハ これの元津に修せ また 上津
高天原 中津高之原 下津高天之原[故 御
祖星の神たちハ]中津にあり 次々の星の神
たちハ 皆 下津にあり 然れど 上 中津
にも在す星ハ 皆 それそれの御子の星の神
なり また 萬国までに 日に異を 守りな
し 任きなす星の神たちハ 皆 下津にあり
天照大御神ハ 上津高天原に治ゐます 夜
見照大御神ハ 下津高天之原に治ゐます ま
た 上津の大星の神たちも 皆に皆に 治ゐ
て 高天之原を知らせなす また 中津の星
の神たち 皆に皆に 治ゐて 豊道之原 ま
た 外津の萬国を守り知らせて 高天之原の
言問ゐ 天津御手振りば これの豊道之原に
訓り伝てて 八百萬の神たち 共に これ
の中津国ハ 吾が悦むか国なれとウて 食国
と定めたまイき】
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9,7
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それゆえ、天照大御神の教えのとおりに、草木や山、海のすべてについて、現に生きる青人草(人々)が食べてよいものは、一年の間に多くの子を生むものだけを食べるようにし、子をあまり生まないものは食べてはならない。また、毒を持つ獣や這う虫などは、これらに類するものとして食べてはならない。

この教えをもとに、天津の教えを修めること。これはすなわち国津の教えでもある。したがって、天津星の神々が怒ると、高天原にその怒りが響き渡り、神々の魂が乱れる。国津神が怒れば、大地が揺れ震える。

とむ星御祖の神が怒れば、その怒りは国に穢れた火を放ち、
たせ星御祖の神が怒れば、その怒りは国に穢れた風を放ち、
いみ星御祖の神が怒れば、その怒りは国に穢れた水を放ち、
よち星御祖の神が怒れば、その怒りは国に穢れた津虫(害虫)を放つ。

それゆえ、このことを基にして、高天原の運び(秩序)を整え、また国の運び(統治)を正しく修めることが大切である。さらに、天津の教えや神の掟は、阿遅須伎高日子根の命と積羽八重言代主の命に伝えられ、彼らによって神の教えが訓え伝えられてきた。それゆえ、その末裔こそが、この教えをよく知る者である。
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9,8
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ここに、はやれ月の月が満ちた八日目から、空が暗くなり、昼も夜も区別がつかなくなり、青人草(人々)は道に迷い、進むべき方向がわからなくなった。さらに、あらゆる色が見分けにくくなり、混乱していた。

そこで、三柱の神は樫の木を用いて占いを行い、こう告げた。

「これは禍(わざわい)をもたらす者の仕業である。」

そこで、八百束の稲穂を刈り取り、それを四方に打ち払って投げると、空は晴れ渡り、明るくなった。こうして、この地を「高千穂(たかちほ)」と名付けた。

すると、禍をもたらす者が現れた。その名は「大鉗(おおばさみ)」と「小鉗(こばさみ)」という土蜘蛛であり、山峡の奥深くに潜み、荒々しく息を荒げていた。

三柱の大神はそれを見て、こう告げた。

「皇孫(すめみま)の命が治めるこの国に、なぜこのような邪悪な者がいるのか。」

そう言うと、彼らを捕らえ、神の力によって追放した。

ここで、三柱の神は、神聖な斎庭(ゆにわ)において瑞穂(みずほ)を捧げ、五百本の樫の木の枝を桜の木で焼いて、占いを行った。そして、悠紀(ゆき)の国と主基(すき)の国を斎(い)み定め、各国に長老を定め、豊かな稲穂を国々に満たした。

さらに、造酒(みき)を作る者や、酒波(さかなみ)、灰焼き、鎌を作る者たちを定め、奥津日子の命の御子である天之門主の命、庭高津日の命の御子である天之柏国懸の命、阿須波の命の御子である天之波主の命、波比伎の命の御子である天之並立足彦の命を、大贄(おおにえ)の斎庭に迎え入れ、神聖にして厳かに仕えさせた。

また、大山咋の命の御子である天之酒依醸人の命が、大神に捧げる神酒(みき)を造り、それを天津御食(あまつみけ)の長御食(ながみけ)として、遠津御食(とおつみけ)にも捧げ、慎み深く清らかに仕えた。そして、その酒を「汁」とし、「穎(のぎ)」とし、赤く熟した稲穂のように神に捧げ、祝福の言葉を述べ、神々を讃える言葉を定めた。

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9,9
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ここに 皇孫の命 諸々の大臣の神たちに
告りたまイつらく 猿田毘古の神ハ 如何
になる と 告りたまイき
故 天之児屋の命 まをしけらく これの
神まをす 天之宇受売の命ハ 専ら 吾を
顕わせる神になもある 故 吾に賜イてにヤ
と 請わる と まをす 故 皇孫の命
告りたまイつらく 猿田毘古の命ハ 吾が御
前に立ちて 道引きなせる神にありけり 請
わしの随に 御妾に任して 饒しき また
皇命 猿田毘古の命に告りたまイつらく 汝
吾を道引くが如 現しき青人草の国ゆ国ゆ
に通わに時の 道引きなし 川 海を道引き
なして 萬の便りの良さ事を 知らせ と
告りたまイき 故 ここに 猿田毘古の命
天之宇受売の命 大御言畏みて 日向の襲岳
の頂上に昇りまして 八十の現し人に 告ら
したまわく 榊 小賀玉 桂の木ハ 秀れて
清煤の木なれば 得伐らて 天津神に奉り
また 直木ハ家の柱木となれば 得伐らず
て 諸家の神に奉り【素木 粗木 斎木 諸
々の木々群なす 木立を伐りて 七尺となし
て 山土の朱埴を 七尺穿て 九の樽に 彫
り貫ぎ これ木を押し立てに 間無くになし
埴以て この上を 八重畳に殊塗り 大窓
小窓を作り 上の小窓を掻い繰りに その
上毎に 木を取り 西風の吹か振らをきらわ
し 小の窓上に 木鑚一束に 清鑚りの火を
鑚りて 窓上ゆ 投げ入れに 打ち入り 間
暫し程に 火熱りて 入火萎ゑして 荒火足
りなす 三か日ありて 埴以て 火塞きなす
[みつまかびにかむずらす つちまかびにか
むずらす]故の燿り炭となも成る】此く為す
所 八十六所なりき 故 玄り炭五百籠 こ
を 先づ 馬と牛とに背負ゐて 大宮に奉り
き ここに天津御子 甚に御喜びまして 直
ちに 百方に告らしたまイき ここに 猿田
毘古の命 天之宇受売の命ハ 東の国に渡ら
に と 告りまして 歩ませる時に 川谷過
ければ いと 現人の便悪かりき 故 道引
き石を 眞中切りに割りて 水門の浮橋を作
りき また 直入の国に 出ます時に 雨降
りて 小止みせず 十余り三か日に至るに
山水多しく 現人の通び道断ちて 便めず
故 猿田毘古の命 東の菅生山に登りて 見
そなわすに 岩重ねの山なす 故 頂に登り
まして 彼の巌山を 猛びて 蹴ゑ散げます
に これの山 飛び散りて 落ちし所を 千
引といウ また 大分の国の竹沢の山に出ま
し 筋方の速見に出ますに 由布水の深江谷
あり 故 現人に仰せて 大木を伐り倒して
これの谷に 丸木木を橋となす 故 そこ
を 猿の渡りといウ ここハ 木立多なる合
らかも と 告りましき 故 阿比良といウ
ここに 仮殿建てて在しし所を 神楽女と
いウ ここにまた 猿田毘古の命 天之宇受
売の命 共に 熊襲の国に出まして 浮橋を
渡しし所を 川辺といウ【空国頓丘より 国
求き通らしし所を 満家野といウ 阿多の笠
沙の碕に至りまして 長屋竹島に登りまして
国処を御巡りて 見ましける時に 国津神
事勝国勝長狭の命 またの御名ハ 塩椎の
翁の命 こハ 伊邪那岐の命 伊邪那美の命
の御子にぞありける】
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9,10
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故 猿田毘古の命 長狭の命に問わしけら
く これの国に 奸る頭あるべし 汝 知り
てにヤ と 問わすに よく知れり そが名
ハすがるといウ 天津御子に参イ来ぬ頭なり
襲之崎の小都萬に居る頭なり 汝 往きて
逐イませ と いウ 故 猿田毘古の命
まをしけらく 吾ハ 襲之崎の小都萬の国に
往きて 禍る頭を逐イて 速日別ゆ 白日別
に至り 穴門辺ゆ 国求ぎて往かに と ま
をしき 故 事勝国勝長狭の命 告りけらく
汝 国求ぎて 大道を 厳の道別きに 道
別き往きなば 吾ハ 島の島々を求ぎて 海
潮を味塩になさに と 神語らイなしましき
ここに 猿田毘古の命 天之宇受売の命ハ
崎小都萬の国なる 奸る頭すがるに 出向
き立たして 告りたまわく 汝ハ 天津御子
の臣なり 奴も然なり 今 参来ぬこそ 悪
じにあれ 故 吾が厳の竹矢を 汝に取らす
とウて 眞樫弓に 厳羽矢を掛けて 引き
擬ウに 果贏泣きて 暫し待たせたまエ ま
をす事あり とウて 隠せる大張の弓に 鏑
矢を嵌めたるを持ち 相言なせるに 隠りつ
る禍ら男 八人して 笹並内ゆ 猿田毘古の
命を 目懸けなし 八筋の矢を 放ち掛けた
る時に 猿田毘古の命 手速くに 八筋の矢
を 一握に取りなして 奴ハ 憎き 荒ぶる
頭なり 故 得助けじ 禍らイも 助けじ
と 告りたまイて その八筋の矢を 逆さま
に取りなし 突き返したまイしかば 彼の禍
頭 並べに 禍らイ共 尽々に その返し矢
に貫かエて亡せき 故 残れる禍らイども
畏みて座上げまをしき
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9,11
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ここに 猿田毘古の命 天之宇受売の命 速
日の国に出まして 道別きます時に その背
平 太く逞しき男の如なす女 深渕の上に
八重の高梁を敷き並み 足座なしき その大
神の来ませるを見て 到り迎エて まをしけ
らく 吾ハ 国津神 天之国懸の命の娘 名
ハ懸差姫とまをす 大神 国求きの道別きま
さば 吾ハ 御伴に仕ゑて 岩切り人となら
に と まをす 故 天之宇受売の命 告り
たまわく 汝ハ 女にしあれども いと強き
長なり 吾が伴垣とせむ 手力 幾らなす
と 告りましき ここに 彼の懸差姫 引き
方の巌を手割りき また 汝ハ 機作りに
仕エまつらヤ と 告りますに 宜とまをし
き 白日の上妻所に出ます時に 待てる女の
麻の色の明くして 太く優しき衣の下裳を
長垂らして 猿田毘古の命 天之宇受売の
命 懸差姫の命の 至りけるを侘びて 門な
る太松を横垂りに 引き倒して 其に 大神
を置きて 告りけらく 国々に 道別きます
ゆ 出ましの道知りの神となりて 御伴に仕
エまつらに と まをす 故 天之宇受売の
命 告りたまわく 汝 手力 いと 強し
木棉縫イに仕ゑまつらにヤ と まをすに
諾 と まをす ここに 猿田毘古の命 三
人の姫神を率て 穴門の国に渡り そこより
国廻まし 道別きましき 故 三柱の姫神
たちを 豊甕姫とも 申し また 御神楽姫
ともまをし また 八重積猿女の神ともまを
す
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9,12
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ここに 八心思金の命 天之児屋の命
天之太玉の命 国廻まして 国の祭りを任イ
たまわにとて 国々の翁と媼とを集エて 天
の眞狭琴を取り 木棉御幣に 黄金の五十鈴
を賄ゐ 眞榊に取り付け 青御幣に 白銀の
拆鈴を取り付け 檜の扇に 貴玉を取り添ゑ
持たして 翁媼に告りたまわく 現しき青人
草の家ハ 千足る倉置きて 豊種津物 八塚
足らしに 屋満しに屋工み また 道具工ま
し 大御田族 其が道畏み 天の下 安く穏
びに 禍津の奸る頭あらば 宮所に訴わしめ
て 神の禮代に 仕ゑなさしめたまイき
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9,13
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ここに 陸の国に至ります時に 国の翁ま
をす 阿尺の野に 大猿子 小猿子とて 兄
弟の現人あり 奴が生まるるの時 その母の
枕辺に 猿来て歌ウ 故 これの子の名を
大猿子といイ また弟を生む時に また 猿
来て歌ウ 彼の子の名を 小猿子となも名付
ける と まをす 手力強くで よく 木立
を抜く 故 小夜岳に大岩あり こを手取り
て 抜くに 水捲くり出て 川となる こを
猿川と言とまをす 故 三柱の命 愛でた
まイて 大力猿の命といウ御名を賜イき

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9,14
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【ここに 三柱の神 天之押雲の命に告り
たまわく 天津御子に立て奉る 御食津の水
ハ[現し国の狭水ハ 荒らまくりて適わず
故 天津水の祝ぎ水を 乞イて来ね]と 告
りたまイき ここに 天之押雲の命ハ 二上
りの岳より 天昇しまして 神漏岐の命 神
漏美の命 然々に まをしましき ここに
二柱の大御神 天の五百千篶の 千立の玉串
を依さしたまイて 告りたまイつらく これ
の玉串を差立てて 夕日より 朝日の豊栄昇
ります また 朝日の豊栄昇りゆ 夕日の降
ちぬ 及く及くに 天津祝詞太祝詞を宣り待
ち居れ 然なさば 朝 夕べに 厳し岩中ゆ
清みの足らし水 出来に そハ 天之眞名
井の水なり こを以て 天津水と受けしめ
朝の御食 夕べの御食に 此を聞こしめせ
と 言依さしたまイき】

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9,15
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ここに 事勝国勝長狭の命 天津御子の
朝夕べの御食津 幸の菜物の味わゑに 海津
潮を味塩になさに と まをして 穴門内海
の辺津島に出まして 告りたまわく ここハ
潮満つ 潮干るの内海 いと 清けく 潔
き潮の騒なす 潮見の良き 味塩の立ち凝れ
る所にぞありける 故 海族人に告りて【潮
の満ち来る中ら 潮の騒なす潮を汲ませ 砂
子 諸砂子の上に 放ち撒かし 乾き撒かし
に 八重敷き放ちて 砂子塩成すを 掻イ寄
せに寄せ足らし その上に 潮 注ぎに注ぎ
垂らし 朝日の直射す 夕日の隠りに 凝ら
し上げ 凝壺に受け満たし 潮漏らしてに
漏らして 水成し取りて 平地を空穿き そ
がの上に 横木を渡し 素木を横倒しに 倒
し 礫石を撒き散らし 埴以て塗らし固めに
なし 垂り木枝を多に掻き入れ 火を鑚り
塗り埴の中に 潮水を捲くり込みて 弥焚き
に厳し立て 潮水凝りる時に 引上げ 籠受
けなさして 成れる物ハ 味塩なり】故 滓
素水を刮げて 雪如味塩 菜食ゐと定めまし
き
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9,16
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ここに また 事勝国勝長狭の命ハ 大原
野の国に到りまして 白豆彦の命 白豆姫の
命に 大豆を作らし 稲彦の命 稲姫の命に
種津稲を作らし 麦彦の命 麦姫の命に
麦を作らし これの実を 天の斎かし火を鑚
らし立て 熟き蒸しに 狭柔凝し 国津土竈
に 百足る八節薦を敷き 内撒きに散らさし
て 一日 二夜蒸して 糀立ちなるを 豆炊
きの中に 打ち嵌めて 八重蒸しの室洞に
またに 糀立ちぬ 楊木を臼とし 樫木を杵
とし 弥叩きに 砕き和して 潮水にまぶし
味塩に和らイ 百か日を過ぎて成るものハ
未醤にぞありける また そを圧して そ
の上に浮かめる水を汲みて成るものハ 蒸し
醤にこそあれ
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9,17
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ここに 積羽八重言代主の命ハ 海鰭萬彦
の命 天之鳥姫の命 二柱の神に告りて 海
辺の御崎に 小船を幾ら造りて 麻の皮を全
抜き 狭糸に紡がせさし 高計りに 樫梁に
巻き 大目 小目に目差し引かりに 網結き
ならして 大袋料なし 小袋料なして 海魚
込みとし 栲縄を千尋に綯わせ こに 一尺
の目張りを 編み結きて 引き手とし 欅の
皮を引き綱とし 綱毎に 空木を結イつけ
そに 引き手結びに取りなし 下辺に 銅の
錘を着け その引き手の眞中に 大袋料 小
袋料を結イ固めて その袋料の上に 空木結
イなし また 下辺に 銅の錘を着けて 海
魚取りの網 垂り囲として 海族人を小船に
打たせ おのもおのもの船に 彼の垂り垣を
載せ持て 海魚の網上の端縁を 乗り込まさ
しめて 御縄 共に 海に投げ入れ 速く速
くに船馳せして 経廻りて 中らゆ 海魚の
もじるを 船廻ぶに こ廻ぶして 八十人に
綱引き引かせて 重垂の袋料に 海魚 込
み委蛇ウを引き揚げて 大海魚小海魚多々に
引き揚げ取らして天の眞魚咋に奉る 故 こ
を 国撒きたまイき

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9,18
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ここに 大山咋の命の御子 若山咋の命の
御子 豊山咋の命 香山戸の命の御子 若香
山戸の命 羽山戸の命の御子 志芸若室押の
命 三柱の神たち 白飯を糀となし 白飯五
斛 糀一斗 天の眞名井の水を 一斛以て
弥盛り置きになし 白飯五斛五斗 糀三斗
天の眞清水一斛 酵し立てに酵し また
その上に 弥盛り 酵し立てて 幾日経て
泡立なすものハ 凝り濁酒なり こを 櫂振
りに 振り熟すものハ濁酒なり こを 木棉
以て 搾り濾すものハ清酒なり こを 弥に
清みて 絹醸ますものハ神酒なり
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9,19
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ここに、正鹿山津見の命は、天津御子の命が末永く健やかであるようにと願い、久波木(くはぎ)、久枯木(ひさかれぎ)、宇古木(うこのき)、左支木(さしき)、蒲葵木(びろうじゅ)などの瑞々しく香り高い若葉を採り、釜を平らにして空焚きし、それらの瑞葉を焦がし乾かした。そして、火鑚り臼を使って細かい粉にし、天からの清らかな水を加えて沸かし、それを木葉粉湯(このはこなゆ)として調えた。これを朝の御食の儀式の際に、また夕べの御食の儀式の際に、飲み物の供え物として天津御子に捧げた。

ここに、伊斯許理度売の命は、百千の木々に咲く花の花弁や、百千の草々に咲く花の花弁を摘み集め、それらを天津御子に奉った。それは、御禊ぎ(みそぎ)の湯を召し上がる際に、この花弁を湯に入れて沸かし、蒸し、白湯と赤湯として冷まして用いるものであった。その湯を使って御禊ぎをなされば、肌は滑らかになり、ますます栄え、御身は豊かに健康であり、肌は清められ、身も清浄となり、神々しい輝きを増す。この湯こそが天の真栄湯(まさかゆ)であるので、ぜひこの湯で御禊ぎください、と称え申し上げた。

ここにまた、天津忍日の命は、松の瑞々しい針葉、杉の瑞々しく密生した葉、檜の瑞々しく生い茂った葉を、小さく刻み、さらに細かく叩き、すり潰して薬として天津御子に捧げた。それは、湯を沸かし、御禊ぎの湯として加えれば、五十年を過ぎても御身の姿が衰えることなく、肌が乾燥することもなく、手足が緩むこともなく、目がかすむこともなく、歯が抜けることもなく、全身が健やかに保たれるというものであった。これこそ、御身を鍛え強くするものである。ゆえに、これを千の花とともに御禊ぎの湯としてお使いください、と申し上げた。

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9,20
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ここに、少名牟遅の命の御子である医道之臣の命、またの御名を大久米の命といい、大穴牟遅の命の御子である若経津主の命、またの御名を医人守の命という、この二柱の神が共に相談し、現しき青人草(すべての人々)の病を治し、御祖の神々が助けてくださるように、引き継いで病を治すための薬の道を八十種類に分け、すべての人々に病が生じないようにし、末永く健康であるようにと考えた。

そして、病の種類や症状が変わるたびに、それに応じた薬を用いるように、道を分けて教え、以下の病に対処するための方法を定めた。

熱病(高熱が出る病)、洟垂れ(鼻水が出る病)、くさみ(くしゃみ)、大熱(激しい発熱)、疫熱(流行病による発熱)、手熱(手が熱を持つ病)、寒気(寒さを感じる病)、身萎え(体が衰弱する病)、熱気(熱がこもる病)、腫物(腫れもの)、冷え(冷えによる病)、言葉が出なくなる病、吐き気、頻繁な下痢、尿が出ない病、気を失う病、飲食による胃の病、腹痛、腹が膨れる病、疲労が激しくなる病、咳、喉の渇き、水分が取れない病、胸が苦しくなる病、よだれが出る病、息苦しさ、目が回る病、視界が暗くなる病、精神が乱れる病、腹が張る病、正体不明の病、胸が沈む病、便秘、尿が溜まる病、骨の痛み、腰痛、目の病、耳の痛み、口の痛み、喉の痛み、背中の痛み、手足の痛み、眠れない病、過度の眠気、昼間の異常な眠気、血便、血尿、疱瘡(天然痘)、輪疱瘡(環状の疱瘡)、まさ疱瘡(普通の疱瘡)、腹疱瘡(腹にできる疱瘡)、膿が溜まる病、手にできる疱瘡、背中にできる疱瘡、内臓にできる疱瘡、胸にできる疱瘡、全身にできる疱瘡、男性器の疱瘡、女性器の疱瘡など、あらゆる病について、神の訓えによって治療方法を明らかにし、神の術によって心を込めて治す道を定めた。

そして、天津御子(天の神の子孫)、日受けの御子たち(神の血を受け継ぐ者たち)、卿(高位の者)、臣(家臣)をはじめとして、すべての現しき青人草(すべての人々)が病に苦しまないように、薬による治療を行うことを決めたと申し上げた。
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9,21
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ここに、八心思金の命、天之児屋の命、天之太玉の命、この三柱の神たちが笠紗の御崎に出向いたときに、とても美しい少女に出会った。

そこで、「この美しい娘は誰の娘なのか」と尋ねたところ、その少女は答えて、「私は大山津見の命の娘で、名を木之花佐久夜毘売の命といいます。またの名を神吾田津比売の命と申します」と言った。

さらに、「あなたには姉妹がいるのか」と尋ねると、「私には姉がおります。名を石長比売の命と申します」と答えた。

そこで三柱の神は、「天津日之御孫の命に仕える気はあるか」と尋ねたところ、少女は「私は自分で決めることはできません。父母の相談が必要です」と答えた。

三柱の神は「ああ、なるほど」と納得し、天津日之御孫の命(天邇岐志国邇岐志天津日高日子火之邇々芸の命)に報告して、「大山津見の命の娘は非常に美しい方です。御孫の命の妃としてお迎えになってはいかがでしょうか」と申し上げた。

すると、三柱の神はすぐに大山津見の命の宮殿に向かい、この話を伝え、正式に申し込みを行った。

このとき、大山津見の命は大変喜び、「恐れ多いことですが、ありがたくお受けいたします」と、喜びのあまり快く承諾した。

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9,22
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ここに【御依さしの随に 太占の占業に
仕エまつりて 公卿たち 臣たち 伴之緒た
ち 女子迎い仕エまつりて 食配りの道別に
膳の座 濁酒 清酒の座 粉走持ちの座
菜焼き 菜炊きの座 和作り 小作りの 大
贄の斎庭以ち 斎まわりに 斎知り 厳知り
清まわりに 仕エまつらしき】ここに 大
山津見の命ハ いたく喜びまして その 木
之花佐久夜毘売の命を 湯津爪櫛に取りなし
八尺の勾玉 手捲き 八重雲の襲を纏わし
御袴に 火丹色の眞眩し 美し奇しの【衣
色御帯とし】蚕布の粗目布を 紫なし 御冠
ハ 黄金の木花 連なし 御面に 香草実取
り着け 御眉 八拳煤の 眞煤を 月形に画
きつけ 御髪毛に 小賀玉の実の鈍を摺らし
御衣ハ 千足る蚕布の截り断ち垂らし 太
袖の長衣の 斎イ足し垂れハ 八十重に着並
らして 窓閉じの 方四輿に 二羽の眞鶴を
立たして 女子迎を寿ぎ 足摺に 眞鉄の椀
を押し並め 白木棉巻き纒イてき また 汝
姉の娘 石長比売の命も 同じ状に装イ 御
仕ゑまつらすなれども これの姫子ハ 顔
姿 いと 醜けれと 奉る由ハ 天津日継ぎ
の御子の御命 永久に在さに と 御祝ぎを
呼ばイて奉る と まをしき ここに 天邇
岐志国邇岐志天津日高日子火之邇々芸の命
けさり月の その月円か日の 五か日に 黄
金の御冠に 御迎エに 松火の衽 黄の衽を
背羽とし 御袴ハ 八靡の綾倭文を厳敷き
御帯を八重垂らし 八重の眞菅の畳 斎まわ
り 清まりて 天津高座に 在座たまイき
ここに 天之児屋の命 天之思金の命 天之
太玉の命 各も各もに 天津日の御子の 御
祝ぎの神足らしに 白銀の冠 御裳 八重敷
き 火の衽 黄の衽の清衣を着さし 御袴千
草の画きの 截らし垂りの帯を 五垂に垂ら
し 並座にまします 故 大山津見の命 高
淤迦美の命 若雷の命 太の黄の冠 八出し
の衽掛の衽 御袴着さしに並座ましき 故
木之花佐久夜毘売の命 石長比売の命 瓊丹
の眞玉輿を もゆらに 交イ入れ 並座まし
き ここに 天之櫛耳の命 御食の八十伴の
男と女とに 告り言ちて 白飯の八百玉 米
を搗かさしめき 故 こを餅といウ 天之表
春の命 天之下春の命 酒手の伴の男と女と
に 八百の濁酒樽 清酒樽に仕ゑまつらしめ
おのもおのも 百足らし 千足らしと 神
祝さき 祝さきに 仕ゑまつらしめき ここ
に 積羽八重言代主の命 大峽 小峡の正木
を 八十束ね 束ねて 百八十人 宮内に
火燧り燧りに 高天之原に焚き散らして 殿
根の地の裾に 真昼如明篝の火群 顕けき
ここに 八十ましの衽なす 御物緒たち 手
に手に 小礫石を持ち 一 二 三
四 五 六 七 八 九 十 百 千 萬
こともちろ ほけ ほけ とウ とウ よ
ろび よろび と 天地を 響ましに 投げ
散らし 撒き散らしましき

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9,23
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天之櫛耳の命 並み添に 吾娥津姫の命
天之忍雲の命 並み添に 稲依日女の命 大
物主の命 並み添に 千依比売の命 天津御
子の御前津辺 妃御子の御前津辺 持ち斎ま
わり 清まわりに 取り揺らかして 眞膳に
酒坏 平瓮を 三重盛り重し 眞魚を 弥
盛り 山の味菜 野の味菜を 弥盛りゆらが
し据えき 故 矢之波々伎姫の命 溝咋比売
の命 若沙那売春姫の命 夏比売の命 秋毘
売の命 冬衣玉姫の命 また 足尼 天之神
立の命 天之表春の命 天之下春の命 大国
玉の命 阿遅志貴高日子根の命 積羽八重言
代主の命 加夜奈留美の命 御穂須々美の命
たち 足尼の姫神と共に 天の稲実置き 国
の豊種津置きを持ち また 菘持ち 蒸し和
を甘料秀瓦に 繁積みに盛り 前津物とし
鰭の狭物 弥盛りて 先津物にし 弥々の太
箸を横手繰り 天津御子の御妃姫の親神 吾
兄の神 三柱の弟神 御食しね と まをし
き 故 天之児屋の命 眞膳の酒坏平瓮を取
ります時に 天之宇受売の命 溝咋比売の命
木長杯 瓠杯に仕ゑて 天之児屋の命の持
たる平瓮に 濁酒と清酒とを 女男結びに
神結びなす 故 天津御子 御妃 八十度に
誠実めかしき時に 膳に饗エまつる 直ち
に 左の前津物 固粥秀瓦 右の前津物 甘
料秀瓦 右の先津物 七平瓮 左の先津物
斎秀瓦 眞中津物 葛菜平瓮 真木の太箸
横手に打ち置き 大御器を 小御器に取りな
し また 膳に 真中前津に 汁秀瓦 眞中
散ららぎ秀瓦 中津 前津 まから秀瓦
瓊鐸平瓮 右の先津に 金平瓮 右の前津に
入籠秀瓦 左の先津 茅渟魚秀瓦 左の前
津に 魚綴じの八重平瓮 またの膳に 香料
秀瓦 見透けの平瓮 弥濃イの火赫御器 甘
食平瓮と碗秀瓦 削ぎ秀瓦に 煮付物平瓮
奥津平瓦 種々に設げ供ゑて また 鰭の広
海魚 鰭の狭海魚 沖津藻菜 辺津藻菜 水
床採り菜 陸菜 多々求きて 眞膳に堆盛り
並めしまつりき これの供ゑ津物を 濁酒料
清酒料の菜食イなして 伴平瓦 小玉秀瓦
八十並みに奉りき 長杯吉葛に 清まわり
に 御酒なし注ぎ 瓠杯 吉葛杯召し 酒ハ
瓦坏注ぎなす また 吉葛の長杯に 眞白の
酒注ぎとし 吉葛坏に清み酒注ぎとなし 瓠
杯に赤き酒注ぎとなし 瓦坏に黒き酒注ぎと
なし 手取り杯に黄色の酒注ぎとなし また
天の稲実置き 国の豊種津置き 天の眞鰭
置き 国の眞鰭置き 天の卵種置き 国の卵
種置き 天の穂盛置き 国の穂盛置き 天の
眞魚厳身置き 国の眞魚厳身置き 鰭物置き
藻菜物置き 山野味菜置き これの豊御座
の机を 種々に 味菜の豊年祝かイと奉る

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9,24
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ここに 天津日之御孫の命 御歌イたまわ
く
【はれおしとべかひつきにややわかゑらく
ろうづときこそたせてこらさね】
大山津見の命 歌ゐけらく
【やろづそハのぞちせよみことイにゑにし
へさゐきわなぞやへてあイすましき】
高淤迦美命
【わをりかけさとみぬにうけあなころよし
にとしせながまくさがみいこみき】
若雷の命
【こぶたろヤやエやせほかウいれたれるヤ
にハこびやせたとふかたうろに】
天之児屋の命
【とウけさくいまがのかヤにわきやすにひ
あとウかかぐひらくしまこよ】
思金の命
【あな畏こ はひよヤとなめいもしみづい
たらしひせせぞたこでひをらに】
天之布刀玉の命
【神楽なす いうぬみつぢしなしきてぞた
てしこつかハあやろよながへに】
ここに 足尼たち 姫たち 八十伴之緒た
ち 共に歓らぎて 和楽なして 鼓拍ち 笛
吹き 鈴揺らし 琴奏でて 歌節に 手拍ら
しを 揃エて 並べて 歌イけらく
この御子ハ 高千穂宮に 神ながら 阿
比良屋宮に 神ながら 豊宝宮に 神ながら
阿蘇道宮に 神ながら 臼杵宮に 神な
がら 日継の此の子 御世継ぎに 木之花姫
を御妃と 千秋百秋 百千萬に いつべらく
えまほぎめらし 其が吉しに 萬こだだよや
ちさよ 各も各もよ 腰太のはしきほぐら
しなり 神朗ら 朗ら愛で 弥楽し こヤ楽
し 天晴れ御世
と歌イて 眞榊の上津枝に 厳の生勾玉を
掛け 瑞松の中津枝に 五百長の節玉を 貫
き掛け 桂の下枝に 揺り吊りの勾玉を掛け
また 榊の上津枝に 八咫鏡を掛け 中津
枝に 黄金鏡を掛け 下枝に 白銀鏡を掛け
小賀玉の上津枝に 白木棉を掛け 中津枝
に 火丹木棉を掛け 下枝に黄木棉を掛け
桂の上津枝に 火丹垂を掛け 中津枝に 白
垂を掛け 下枝に 赤垂を掛けて 御幣なし
て 笛吹き 鼓拍ち 眞鈴を揺らし 拆く鈴
を打ち 八色琴を奏すり 張竹を鳴らし 手
吹きを吹かし 手琴を彈かせて歓きき ここ
に 天之宇受売の命 玉依毘売の命 許登能
麻遅媛の命 溝咋比売の命 表春姫の命 高
照媛の命 下光姫の命 吾娥津姫の命 稲依
日女の命 国之春姫の命 国之夏姫の命 国
之秋毘売の命 国之冬姫の命たち 面に水玉
を塗らし 御眉に煤水を落とさし 薄火丹面
に 和幣 白衣の上に 眞黒ほのかに 女の
衽を取り掛け 紫色の袴の長料を引き込み
太袖の衣を 蚕布の白紐に手繦かして 右の
掌面に五十鈴を取らし 左の掌面に 檜の木
枝の堅枝を 玉串なして 菅麻を 八重料に
束ね垂らして 青和幣 白和幣に奉り持たし
て 厳らに歌わし 鳴らしのまにまに 足踏
み 轟ろこし 項上下四方に転ばし【豊よ豊
よに明かり立ち】 神懸り如業招き 歓き
き ここに 天津神ハ 天より降り国津神ハ
国より昇して 女子迎祝ぎに 昼ハ八か日
夜ハ七か夜 歓き遊び 豊道之原の国内国
内も 一並めに 祝き楽しに歓ぎなす
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9,25
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【これの時に 大山津見の命 甚く喜びて
祝き吉しの宣詞言称ゑけらく 吾が娘 二
人並べて献る故由ハ 木之花佐久夜毘売を奉
りて 大御許に仕エ掲がば い雪にも け押
されなくに 木の花の栄ゆるが如 在さに
また 石長比売を奉りて 大御許に仕エ掲が
ば 大御命ハ 雨降り 風吹けども 常永に
岩の如に 堅磐に常磐に 道々長く 弥千
経まさに と 誓ひまつる と 称エまをし
き 故 三柱の神 誂エまをしけらく 木之
花佐久夜毘売の命ハ 眉目美き上臈になもあ
りき 故 御妃と召上げ また 石長比売の
命ハ 面勝たぬ上臈になもありき 故 向妻
と召上げましき】

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9,26
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そのとき、木之花佐久夜毘売の命は言いました。

「私はすでに妊娠しており、今まさに出産の時を迎えています。しかし、天津御子の御子を簡単に産むことなどできません。どのようにしてお産みすればよいのでしょうか?」

これを聞いた天津御子は、嘲笑いながら言いました。

「お前はたった一夜で身ごもったと言うが、それでは私の子ではあるまい。きっと他の神の子なのだろう。」

この言葉を聞いた木之花佐久夜毘売の命は大変恥じ入り、こう言い返しました。

「私は天津御子の御子であることを誓います。もしも私が国津神の子を身ごもったのならば、無事に産まれることはないでしょう。」

そう言うと、すぐに戸のない八重の産屋を作り、その中に入って、粘土で戸口を塗り固めて塞ぎました。そして、出産の時になると、その産屋に火を放ち、中で出産に臨みました。

その火が燃え上がる中で生まれた御子の名は、火須勢理の命、またの名を天照国押日子背持の命といいます。

次に、炎が静まり、火の熱が収まる頃に生まれた御子の名は、火遠理の命、またの名を天邇岐志国邇岐志天津日高日子火火出見の命といいます。

こうして二柱の火の御子の神が生まれました。

さらに、木之花佐久夜毘売の命の腹に宿っていたもう一人の御子が生まれ、その名を宇麻志麻治部の命、またの名を宇摩志麻治見の命といいます。

木之花佐久夜毘売の命は、この誓いを証明するために試練を乗り越えました。その結果、天津御子との間に疑いはなくなりましたが、二人の仲はすれ違ったままとなりました。

そこで天津御子は、歌を詠みました。

「沖の藻は岸辺に寄るけれど、私たちの狭い寝床には一緒に眠ることも叶わぬのか。浜辺の鳥よ、どう思うか。」

この歌を聞いた木之花佐久夜毘売の命は、大いに恥じ入り、顔を火に照らしながら、こう歌い返しました。

「沖の藻は岸辺に寄るけれど、あなたのそばで憩うこともできず、ただ浜辺の寄木のように漂うばかりです。」
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9,27
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ここに、大国主の命は、天津日継の御子が天の下を治め、限りなく栄え、幸いにあることを願い、こう述べました。

「私が知り得たすべての顕わな事柄は、天津日継の御子が治めるべきものである。だからこそ、天の祭り、国の祭りを司り、天津大神たちの言葉に従い、私は隠された事柄を守り伝えよう。そして、天津御子が治める祭祀の場を守り、天津日継の御代が果てることなく、天地と共に永遠に栄えるように祈ろう。

また、現しき青人草(人々)が清く正しく暮らせるように導き、それぞれの幸魂を奥津城(墓所)にて安らかに栄えさせ、奇魂を高天原のあらゆる国々に光り輝かせるようにしよう。

天照らす日の大御神である、撞賢木厳之大御魂天疎日像日女の命の大御前において、星の神として奉り祀り、これを祝おう。

また、禍津(まがつ)心魂――すなわち、悪しき心は、断ち切り、蹴り払い、遠くへ追い捨てるのだ。」
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9,28
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神漏伎の命、神漏美の命、この二柱の大神は、天之穂日の命に命じて言いました。

「天から降りて、出雲の杵築に大きな宮を飾り造り、大穴牟遅の神を斎き祀れ。」

こうして、天之穂日の命は、多くの神々を集めて、出雲の地へ天降り、宮を建てる場所を探しました。そして、大きな峡谷や小さな峡谷から真っ直ぐ伸びた木々を伐り出し、

柱は太く高く、板は広く厚く、殿の屋根を支える岩は重く太く堅く作りました。宮の木材の接合部には、穴を開け、木の臍や釘を差し込んでしっかりと組み立て、屋根の萱は、一束ごとにしっかりと結び、強く締めました。そして、長い栲縄(たくなわ)を幾重にも巻き、さらに茨の小枝を絡ませて固定しました。

宮の高い屋根には千木(ちぎ)を掲げ、その戸は二丈(約6メートル)、戸板は一丈(約3メートル)の広い真っ直ぐな板を使い、釘でしっかりと固定しました。

門を作るために、真っ直ぐな木を組み合わせ、釘を打ち込み、しっかりと組み上げました。大きな戸や扉も作り、それぞれに黄金と白銀の飾りを並べ打ちました。

さらに、野陸の国にある伊奈山の中央に湧き出る「湯津玉」と、天之香語山の命が神聖に奉る「新玉」を柱の根元に結びつけました。また、樫の板を敷き並べ、その上に木綿の布を垂らして装飾し、戸口の外側には木綿の襖を引いて取り付けました。

御座の側には、清らかな楯と斎(いわ)いの楯を置き、花瓶には菊の花や二十日草を美しく生け、さらに萬年青(おもと)や八千草の清らかな花を並べました。

神々を迎えるために、榊(さかき)、小賀玉(おがたま)、桂(かつら)の木を垣根のそばに植え並べました。

また、神遊び(神楽)に用いる道具として、五十鈴(いすず)、鳴る鈴、美しい玉、神聖な琴、八重琴、大鼓、小鼓、手で弾く琴、色琴、大音鼓、小音鼓、大笛、小笛、立奏する笛、浜笛、竹製の法螺貝、大鳴囂(おおなきどよめき)、小鳴囂(こなきどよめき)、神聖な鵜の羽根、斎(いわ)いの鵜の羽根、鳰(にお)など、さまざまな神具を用意しました。

そして、日向の北にそびえる「鏡の岳」において、天之懸の命、国之懸の命が八十の随行者たちを率い、大穴牟遅の命を迎えまつりました。

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9,29
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ここで、天津日之御子の命が命じて、迦具土の命の御子である火之燿昇の命の御子、天津屋作の命、屋船の命の御子、天津御合の命が、黄金で結び固めた八苫の太御輿を用意しました。そして、大神子・小神子を八十人、和楽女子八十人、和楽男子八十人を選び、輿を担ぐ者や支える者、火を灯す者、さらに八百人の供人を伴わせ、盛大な装いを整えました。

こうして、大穴牟遅の命が出雲の国に隠れようとしたとき、天津屋作の命と天津御合の命が、黄金で結び固めた八苫の太御輿を立て、神子たちや和楽の男女たちを率いて、鏡岳へと向かいました。そこで、大穴牟遅の大神を御輿にお乗せし、二柱の神が道饗(みちあえ)の供え物として、たくさんの幡を垂れ、多くの幡を掲げ、木綿の布を捧げ、多くの供物を整えました。豊かな種々の食べ物、山や川の幸、豊富な魚や野菜を用意し、さらに楮布の神聖な幣を三重に垂らし、すべての供え物を十分に整えました。

大神子、小神子、和楽の男たち、和楽の女たちは、道饗の儀式を行い、大鼓や小鼓を打ち鳴らし、笛を吹き、鈴を鳴らし、千座の神々の道を祝う儀式を執り行いました。そして、一行は豊国を出発し、穴門へ向かい、豊浦の国に滞在しました。その期間は、ふくみ月(旧暦の11月)の七日から、月の終わりの四日までのことでした。

その際、穴門の長老たちが珍しい食べ物を用意して供えました。それは、小麦を粉にして海水でこね、広い板の上で軋(きし)ませながら伸ばし、八つの鉈で切り分け、未醤(熟成前の醤油)を使わずに水だけで茹で、煮え立たせたものでした。これを「きしほぎ」と名付けました。

こうして、大穴牟遅の命は、はやれ月(旧暦の2月)の十五日に、ついに出雲の宮へと帰り、そこで神としての姿に戻られました。この宮は、多くの神々が心を込めて築いたものであり、大穴牟遅の命は感慨深くこう述べました。

「八百の神々が努力して築いたこの宮は、誠に素晴らしいものだ。」

こうして、この場所は「杵築(きづき)」と名付けられました。

また、かむなめ月(旧暦の12月)の八日、大穴牟遅の命は、自ら瑞々しい八尺の神聖な玉を抱き、永遠に隠れた神としての役割を果たし、吉祥をもたらす神となりました。そして、現しき青人草(人々)の病を癒すために、薬の道を定め、災いを引き起こす悪しき者たちの行いを鎮める方法を決めました。これは、国照大神が授けた神訓であり、厳かな言葉をもってその道を定め、天地が共に揺るぎないものとして神々の務めを果たされました。

この時、八百万の神々が一堂に集まり、神の御厨(みくりや)を建て並べ、濁酒(にごりざけ)と清酒(すみざけ)を醸し、大海の魚、小さな魚、野の大きな菜、野の小さな菜、奥津藻菜(沖の海藻)、辺津藻菜(浅瀬の海藻)、未醤(熟成前の醤油)や醤油で調理した菜、焼いた菜などを神々に供えました。そして、神々への供物をもって、節和楽(楽器による音楽)、歌和楽(歌による祝福)、鳴り和楽(鈴などを使った音楽)、吹き和楽(笛の演奏)を行い、百五十日間にわたって盛大に祝祭を執り行い、歓び、遊び、戯れました。

上津文(かみつふみ)の第九章、完結。

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10,1
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上津文 十の綴り
ここに 綿津見の宮主 底津綿津見の命
中津綿津見の命 上津綿津見の命 海津諸海
魚を 多々なして 杵築の宮所に 御幣如
大穴牟遅の命に 用充てましき これの時に
綿津見の神 祝き言告らしけらく 美し命
知らせの顕わに以て 天津日之御子に依ざ
せて 隠り就かせ 参を出る 諾 然あり
故 斎ゐ祝ぎまつる 故 天津御孫の命の
弥 継々に 眞栄守りと称エ 朝 夕べの天
の祭り 国の祭り 幸あふ御守りなし 諸神
たちの裔の継々 現しき青人草の継々を守り
なし 慈しみを 千萬に息吹き放たし 全る
人草の幸わゐを知らし 隠り事を設えて 星
神立たし 高天之原に 返り言の迎斎き称エ
の 受持ち分けませば 吾も 御跡辺に 斎
きまつらに 故 吾が産みの子の継々 永久
に 大神に 斎きまつりて 神事の大道に仕
ゑまつらに 故 綿津隠りの神言の頭 清み
神の 宇賀椎形代頭を 年の毎に かなめ
の月の月円日に 大神の御手代に奉り 斎か
せにとまをす 故 宇賀椎の宮入なす時に
御神子に 清まりの御幣を負ばせて 待ち迎
かせまさば 吾ハ 海原を翔りて 大宮内に
侍ゐて 千々萬道を知るべて 天津御子の弥
御子の 御日の御裔に 事示めまつらに ま
た これの宮を斎きまつる日の御裔の 天之
穂日の命の 産の子の継々を守り 日子御子
の聟かに家と称エに と まをしたまイき
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10,2
-------------
ここにまた 志那都比古の命 志那都比売の
命 火之燿毘古の命 火之玄比売の命 弥都
波能男の命 弥都波能売の命 波邇夜須毘古
の命 波邇夜須毘売の命 杵築の宮に天降り
まして 大穴牟遅の命に告りたまイつらく
汝 此く美し心なめば 吾ハ 汝を守りて
天翔り 国駆りて 千萬の国を祝がむ また
豊道之原の中津国を 幸わゐなさに 現し
事 吾が心に 霊侘らば 吾が高天之原ゆ
荒び知らさしめに 狭事 禍事ハ逐わに 故
彼を知るべなせと告りたまイき
-------------
10,3
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ここにまた 神直岐の命 神直美の命 金
山比古の命 金山比売の命 速秋津比古の命
速秋津比売の命 底筒之男の命 底巣比売
の命 中筒之男の命 赤巣比売の命 上筒之
男の命 石巣比売の命 大山津見の命 大山
比売の命 大年産巣日の命 大宮比売の命た
ち 天降りまして 大穴牟遅の命に告りたま
イつらく
いと麗し 汝神 此く懇ろに在さば 吾ハ
高天之原の東 西 南 北のさふたらの中ら
毎に 在座なして 汝の田 悠紀足らに 故
現しき青人草の神事執らしに 朝 夕べの
節々毎に 心伝てなし 隠りの神言 現しの
隠り言【高天之原の御綱 豊道之原の御綱】
【ととウこりのちウこり】賀言 悪言を 萬
撒きの神撒きに 千道訓ろなさに と 告り
たまイき
-------------
10,4
-------------
ここに 天津神 国津神たちハ かなめ月
の月立てに 疾風を放ち 地震響しめて 天
の班駒に跨げ また天の特牛に足組み こ馳
け 八重雲の八重帆に翔り 各も各もに天降
りて 杵築の宮所に 参イ越しましき ここ
に 天之穂日の命 天之夷鳥の命 高山の末
低山の末に登らして 諸神たちを 眼迎エ
まつる時に 眞木の室を建て 眞木の皮を雨
避となし 照る日に掲げまししかば 諸々の
神たた 佐世の木末の木末を その室に差し
立てたまイき 故 木末の室と言て 今に至
るまて 出雲の神祭りに これの式あるハ
これの本なり ここに 天津日子根の命 天
之目一箇の命 天照国照日子明玉の命 角凝
魂の命 天之手力男の命 天之櫛耳の命 天
之神立の命 天之言解男の命 国之言解女の
命 久那斗之男の命 久那斗之女の命 剣根
の命 天之櫛明玉の命 天之御桙の命 手置
帆負の命 彦狭知の命 八尋鉾長依日子の命
薦枕志都沼値の命 天之活玉の命 天之御
守の命 武乳速日の命 興台産巣日の命 天
之表春の命 天之下春の命 天之忍雲根の命
櫛八玉の命 大日子の命 都留伎比古の命
国押別の命 磐坂日子の命 衝杵透日子の
命 高津日の命 阿須波の命 波比伎の命
香山戸の命 大山咋の命 御年の命 奥津日
子の命 奥津日女の命 大炊叺の命 天之奇
樋速日の命 速玉之男の命 八衢比古の命
八衢比売の命 道之長道の命 天津道之長乳
歯の命 煩累之大人の命 飽咋之大人の命
天之奥疎の命 天之辺疎の命 奥津那芸佐毘
古の命 奥津甲斐弁羅の命 辺津甲斐弁羅の
命 速秋津日子の命 速秋津比売の命 速佐
須良彦の命 速佐須良比売の命 空沫那芸の
命 空沫那美の命 海立頬那芸の命 海立頬
那美の命 天之水分の命 国之水分の命 天
之久比奢母智の命 国之久比奢母智の命 足
名椎の命 手名椎の命 かゐど泣沢之男の命
かゐど泣沢之女の命 伊都之尾羽張の命
稜威之雄走の命 湯津石拆の命 湯津根拆の
命 湯津石筒之男の命 湯津石筒之女の命
天津甕速日の命 国津甕知日の命 千生和久
産巣日の命 千生和久産巣日多々良比売の命
天津大雷の命 国津大雷の命 賀茂大雷の
命 別大雷の命 高淤迦美の命 遠迦津久々
能智の命 遠迦津久々能手の命 神原之鹿屋
野比古の命 神原之鹿屋野比売の命 天之狭
土の命 国之狭土の命 天之狭霧の命 国之
狭霧の命 天之闇戸の命 国之闇戸の命 大
戸摩比古の命 大戸摩比売の命 高水上の命
棚機彦の命 棚機姫の命たち 八百萬の神
たち 共に天降りまさして 大穴牟遅の命の
【君忠誠に 祖確に】神言に仕エまつれる事
の功しを 愛じけく 知ろして 神集エに
集エまして 杵築の宮に 栂の木の 弥 継
ぎ継ぎに 高色まして 功選イを 神知らし
に 神議り 愛くしみの道別にまします 神
論げの 論げつなしたまエる 太御稜威の玉
敷きたまエる 神訓りの告り言なしたまイき

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10,5
-------------
ここに 火之邇々芸の命 天之児屋の命
天之太玉の命 八心思金の命に告りたまイつ
らく これの豊道之原の 千秋の瑞穂の国の
青人草の言問ゐハ 大御祖の大神 これの
豊道之原に 振り撒かしたまイましつれど
未たに 噪ぎてありけり 故 高天之原の神
の言問イを 天の下に触らして 麗し言に成
さまく欲り と 告りたまイき
-------------
10,6
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それで、ここに三柱の神が相談して決めました。天之事解男の命、天之事解女の命の御子である、顕言霊の命の御子たち、顕言配於伎の命、顕言配於美の命、言霊彦の命、言霊姫の命、萬言解彦の命、萬言解姫の命、許登麻遅等乎留男の命、許登麻遅等乎留女の命、これら八柱の神に命じて、国々や島々を巡り、高天原の神々の言葉を人々に伝え、美しい言葉で正しく導きなさいと告げました。

そこで、秋津根別、草木根別、淡海根別、大宜都姫、建依彦、飯依愛媛、現言配於伎の命、現言配於美の命、これら二柱の神は、それぞれの国々で神の言葉を説き伝えたため、「於伎於美の触らし言」として、言葉を正しく分かち合う者と称されるようになりました。

また、伊勢津日女、狭依科、遠津海別、无邪津海別、野陸彦、常陸姫、陸奥、萬言解彦の命、萬言解姫の命、これら二柱の神も、それぞれの国々で神の言葉を広めていきました。

さらに、越根別、丹波別、吉備津根別、天之忍許呂、両児別、穴門別、出雲別、豊日別、奇日別、言霊彦の命、言霊姫の命、これら二柱の神も、各国に言葉を伝えました。

そして、白日別、速日別、建日別、天比登都柱、狭手依、天之忍許呂、許登麻遅等乎留の命、許登麻遅等乎留比売の命、これら二柱の神も、各地で神の教えを説いて広めていきました。
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10,7
-------------
ここに、八心天之思金の命が言いました。

「高天原の言葉は、非常に滑らかで清らかに響いている。だからこそ、私の天の言葉を人々に伝えるには、それぞれの心に自然と湧き出る神々の天の教えを受け継いでいく必要がある。それゆえに、この言葉の霊(言霊)のつながりを明確にしよう。」

そう言って、すぐに口の形を絵に描き、五つの基本の音を分けました。

口から自然と鳴り出る音は「ア」とし、
唇を引く音は「イ」とし、
唇を押し出す音は「ウ」とし、
口を開く音は「ヱ」とし、
口を丸くする音は「ヲ」としました。

(ここに口の形を示す図がありました。)

これは「口」であり、そこに物を加えて五つの基本音を作りました。

(古い形の文字「アイウヱヲ」の図がありました。)

このようにして、五つの音を定めました。

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10,8
-------------
このとき、国照大御神の御子である大屋毘古の命は、この五つの言葉の霊のつながりを分け、それを神の言葉として十の組にし、さらに五十の組み合わせを作り、その形を描き、千や万の言葉の違いを定めました。

そのため、この大神は「五十猛の命(いそたけるのみこと)」と呼ばれるようになりました。
または、「五十言猛の命(いそことたけるのみこと)」、
または、「五十音猛の命(いそおとたけるのみこと)」、
または、「五十連の命(いそつらののみこと)」とも言われます。

(以下に象形文字のような絵があった。)

これは、形のあるものは形として描き、形のないものは仮に形を作って描いたものでした。
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10,9
-------------
ここに、大国白鐸の命は、この五十の組み合わせを使って、さまざまな言葉を書き綴り、天津御子に称え奉りました。そのため、この大国白鐸の命は、こうして言葉の代わりとなるものを作り、天津御子に仕えたことから、「積羽八重言代主の命(つむはやえことしろぬしのみこと)」という名を授かりました。

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10,10
-------------
この御子は、大国主の命の御子である。

そこで【大神は、神屋楯比売の命を妻として迎え、御子をもうけたとき、白い鈴が屋の棟に天から落ちてきた。そこで、その御子を「白鐸の命」と名付けた。また、言葉を記録し、語り伝える役割を果たしたことから、祝福を受けて、その名を授かった。

この神は、八島牟遅の命の娘である鳥耳姫の命を妻とし、生まれた御子の名は「鳥鳴海の命」といった。

この神は、日名照額田毘道男伊許知邇の命を妻とし、生まれた御子の名は「国忍富の命」といった。

この神は、葦那陀迦の命(またの名を八河兄姫の命)を妻とし、生まれた御子の名は「速甕之多気佐波夜遅奴美の命」、またの名を「甕多良斯我気の命」といった。

この神は、天之甕主の命の娘である前玉櫛比売の命を妻とし、生まれた御子の名は「甕主日子の命」、またの名を「天之言代二見手の命」といった。

この神は、淤迦美形生の命の娘である比那良志毘売の命を妻とし、生まれた御子の名は「多比理岐志麻流美頬の命」といった。

この神は、比比羅木乃其花麻豆美の命の娘である活玉前玉比売の命を妻とし、生まれた御子の名は「海路原美呂浪那の命」といった。

この神は、敷山主の命の娘である青沼馬押比売の命を妻とし、生まれた御子の名は「忍御鳥鳴海の命」といった。

この神は、若布都主の命の娘である若昼中姫の命を妻とし、生まれた御子の名は「天日腹大科度美の命」といった。

この神は、天之狭霧毘道男の命の娘である遠待姫の命を妻とし、生まれた御子の名は「遠津山岬多良斯の命」といった。】

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10,11
-------------
これの神 天之日鷲高圓の命の御娘 中足
新室姫の命に御婚イまして 生みませる御子
の御名ハ 国津兄田太の命 またの御名ハ
二見文字理主の命 その弟 国津弟田太の命
またの御名ハ 子多二見麻呂の命 これの
二柱の神を二見の神とまをす 今 渡会に斎
く神 これなり ここに 積羽八重言代主の
命 五十猛の命の編みたまエる 五十連音の
画書き以ちて 書ける言代を 天津御子の命
に 祝き捧げまつりき 故 ここに 天津御
子の命 御畏みて 告りたまイつらく これ
の神訓りの言代ハ いと清らに 捩りつるか
も と 告りたまイき 故 これの画書きを
文字といウ また【過きにし言の葉を 再
度 ここに 見つるかも】と 告りたまイき
故 こを 再見といウ 天津御子の命の
大御言の遺るを以て 今 文字といイ 文と
いウハ 省き言なり ここに 八百萬の神た
ち そを目見したまイて 御手を 弥に拍た
して したり 美し と 褒めたまイき 故
文の降りを 垂りといウ【これの 再見の
文字を 弥搗きの楢皮に 綴りありしを 道
之長乳歯の命 沙羅木を噛み 狭綿なし 狭
糸に紡がせて 弥々に 繋かして 家の御田
に提げ置きましましき 故 こを田に提くと
なも言なる】今 高千穂の岩屋に斎きまつる
日の御像の前津辺の御短冊り これなり

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10,12
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ここに 八心思金の命 天之児屋の命 天
之太玉の命 三柱の神たち 高天之原を 御
議りまさにと 天昇しましき ここに 神漏
伎の命 神漏美の命 告りたまイつらく 天
照大御神の知り分けまします八百千萬の国の
国々 島の島々ぬ 照り輝かしたまイて 夜
見照大御神も 此れ並めに 御照り透らしま
す 大御言ハ 口連ハ直々に 奇しみの太く
かも高くかも ころにさゑえられえぬ 千萬
国の本津国と 天の八十玉串に 楮木棉の垂
らしを着け 神祝さきに 祝さきて 然に然
にと告りたまイき
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10,13
-------------
ここに 思金の命 児屋の命 太玉の命
天降りまして また 然てに験かに 国の国
々 島の島々に 神訓りまさにとウて 御歳
の月と日と星と時とを定め また 雨の誘イ
雲の誘イ 暑さ 寒さの誘イ 尽々に取り
別けまして 歳並みを 四に分かつ 故 め
はる さなつ みあき ねふゆ と定め ま
た 三十か日に定め 十二の月と定めたまイ
き また 閏日を 年に四か日を置き 三年
経て 五か日を置く【むゆつひ月 けさりく
月 いやよろし月 うべかし月 さかしなゑ
月 みつなつ月 ほふくみ月 はやれみ月
たなよなみ月 かむなめ月 としふる月 と
しはつる月】これの月の左の側 三十か日の
月籠れる 下の十か日に 日々置きて 一年
に 三 四か日を 年の替ゑ置く 月の残り
て 始めて 西に現れますの日を 月立ての
日と定めまして こを 月立ての十か日と定
め また 月円かなる日を 月円の十か日と
定め また 月の籠れる日を 月籠りの十か
日と定め また 昼 夜の時と 時とを定め
たまイき
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10,14
-------------
故 昼中に三時 朝 昼て 夕べ 夜中に
三時 夜べ 眞夜 暁 これの時内に また
三時を置かしたまイき 故 朝時に 朝開き
時 朝な時 朝後時 昼て時に 日前時 眞
昼時 日後時 夕べ時に 夕向け時 夕な時
夕暮れ時 宵時に 黄昏時 宵べ時 小宵
時 眞夜時に 夜さ時 眞夜時 夜後時 暁
時に 寝る時 眼覚め時 東雲時 と 定め
また 天照皇大御神 高天之原の東の 五
と六との御殿に 御立たしたまゑるに 御孫
の命の天降りなしたまイます時を以て 月の
始め 日の始めに定めて 天の理 地の理の
本津に立て 千萬道の訓りを 親からなる理
と あな畏こ 故 月の理の神津称の訓り

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10,15
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むゆつひの月ハ 日の大神 左の側に 五
の御殿を御立たし 右の側に 六の御殿を御
立たし 夜見の大神ハ これの むゆつの月
に 十の御殿に御立たし 右の側の九の御殿
に御立たす 故【昼ハ九時 夜ハ十時】左の
側 十五か日 右の側 十五か日 けさりな
の月 日の大神 七御殿に御立たし 右の側
の八の御殿に御立たす 夜見の大神 左の側
の八の殿に御立たし 右の側の七の御殿に御
立たす 故 昼ハ九時 夜ハ九時 左の側
十五か日 右の側 十五か日 いやよろしの
月ハ 日の大神 左の側 九の殿に御立たし
右の側 十つの殿に御立たす 夜見の大神
左の側 六の殿に御立たし 右の側 五の
殿に御立たす 昼ハ十時 夜ハ八時 左の側
十五か日 右の側 十五か日 うべかしの
月ハ 日の大神 左の側 十一の殿に御立た
し 右の側 十二の殿に御立たす 夜見の大
神 左の側 四の殿に御立たし 右の側 三
の殿に御立たす 昼ハ十一時 夜ハ七時 左
の側 十五か日 右の側 十五か日 さかし
なゑの月ハ 日の大神 左の側 十三の殿に
御立たし 右の側 十二の殿に御立たす 夜
見の大神 左の側 一の殿に御立たし 右の
側 二の殿に御立たす 昼ハ十二時 夜ハ六
時 左の側 十六か日 右の側 十五か日
みつなつの月ハ 日の大神 左の側 十一の
殿に御立たし 右の側 十つの殿に御立たす
これの月後に閏日をなす 夜見照大神 左
の側 二の殿に御立たし 右の側 三の殿に
御立たす 昼ハ十一時 夜ハ七時 左の側
十五か日 右の側 十五か日 ほふくみの月
日の大神 左の側 九の殿に御立たし 八
の殿に御立たす 夜見照大神 左の側 四の
殿に御立たし 右の側 五の殿に御立たす
昼ハ十時 夜ハ八時 左の側 十六か日 右
の側 十五か日 はやれみの月 日の大神
七の殿に御立たし 右の側 六の殿に御立た
す 夜見照大神 左の側 六の殿に御立たし
右の側 七の殿に御立たす 昼ハ九時 夜
ハ九時 左の側 十五か日 右の側 十五か
日 たなよなみの月 日の大神 左の側 五
の殿に御立たし 右の側 四の殿に御立たす
夜見照大神 左の側 八の殿に御立たし
右の側 九の殿に御立たす 昼ハ七時 夜ハ
十一時 左の側 十六か日 右の側 十五か
日 かむなめの月 日の大御神 左の側 三
の殿に御立たし 右の側 二の殿に御立たす
夜見照大神 左の側 十つの殿に御立たし
右の側 十一の殿に御立たす 昼ハ七時
夜ハ十一時 左の側 十五か日 右の側 十
五か日 としふるの月 日の大御神 左の側
一の殿に御立たし 右の側 二の殿に御立
たす 夜見照大神 左の側 十二の殿に御立
たし 右の側 十三の殿に御立たす 昼ハ六
時 夜ハ十二時 左の側 十六か日 右の側
十五か日 としはつるの月 日の大神 左
の側 三の殿に御立たし 右の側 四の殿に
御立たす 夜見照大神 左の側 十二の殿に
御立たし 右の側 十一の殿に御立たす こ
れの月後に閏日をなす 昼ハ七時 夜ハ十一
時 左の側 十五か日 右の側 十五か日

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10,16
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また 潮の訓りハ 大綿津見の命の持ち分
けませる 海の処の訓りませるからに 夜見
照大神の共なす 故 月の立てる日ハ 月日
の初め日なり 日々に一時 遅れ立たし こ
ゆ 月日の月立て日ハ 三日ハ朝開きに御出
る 夕べに御入る 五日ハ 朝後に御出る
小宵に御入る 七日ハ 日前に御出る 夜さ
に御入る 九日ハ 真昼に御出る 夜後に御
入る 月円の日ハ 一日ハ 日後に御出る
寐るに御入る 三日ハ 日向けに御出る 東
雲に御入る 五日ハ 夕方に 御出る 朝開
きに御入る 六日ハ 黄昏に御出る 東雲に
御入る 八日ハ 夕べに御出る 朝なに御入
る 十日ハ 小夜に御出る 昼前に御入る
月籠りの日ハ 二日ハ 夜さに御出る 昼前
に御入る 四日ハ 夜後に御出る 真昼に御
入る 六日ハ 寐るに御出る 昼後に御入る
八日ハ 東雲に御出る 夕向けに御入る
十日ハ 朝開きに御出る 夕べに御入る

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10,17
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また 御年の月の毎に 御巡り 知り分け
まします星の祖の神たちを 天津訓りの 神
訓り以ち知るに【此く 道に 栄さに設げ足
り 然り然らしに 眞頻くして】議りなす
故 一続きの 眞の上に知らる 故 その神
の御名ハ 大事忍乎伎の命 大事忍袁美の命
これの二柱の命は むつ魂星の神と称エて
天に翔りて 現しき青人草に幸わウ星の神
なり 石土毘古の命 石土毘売の命 これの
二柱の命も けく魂星の神と称エて 然々
大戸日別の命 大戸日姫の命 これの二柱の
命も いや魂星の神と称エて 然々 天之吹
男の命 天之吹女の命 これの二柱の命も
うた魂星の神と称エて 然々 大屋毘古の命
大屋毘売の命 これの二柱の命も さな魂
星の神と称エて 然々 風木津別之忍男の命
風木津別之忍女の命 これの二柱の命も
みな魂星の神と称エて 然々 磐津稚男の命
磐津稚女の命 これの二柱の命も ふく魂
星の神と称エて 然々 天津豊田の命 天津
豊田姫の命 これの二柱の命も はや魂星の
神と称エて 然々 大加士彦の命 大加士姫
の命 これの二柱の命も なか魂星の神と称
エて 然々【大加士彦の命 大加士姫の命】
これの二柱の命も かむ魂星の神と称エて
然々 故 これの二十柱の命ハ 天の星の大
神と 月の毎 日の毎に 此く道に 栄さに
然り然らしに 眞頻くして 事執りしなす
に 月ハ 皇孫の命の 天降る始め年のむつ
びハ むつ魂星の神ハ 日の大御神の御出る
に 同じ座なして御出るからに これの月守
りの神とまをす 故 月の毎の始めを守る神
とまをす けさりハ けく魂星の神ハ 日の
大御神の御出るに 同じ座なして 御出るか
らに これの月守りの神とまをす 故 月の
毎の始め日を守る神なり いやよハ いや魂
星の神ハ 日の大御神の御出るに 同じ座な
して 御出るからに これの月守りの神とま
をす 故 月の毎の始め日を守る神なり う
かれハ うか魂星の神ハ 日の大御神の御出
るに 同じ座なして 御出るからに これの
月守りの神とまをす 故 月の毎の始め日を
守る神なり さなエハ さな魂星の神ハ 日
の大御神の御出るに 同じ座なして 御出る
からに これの月守りの神とまをす 故 月
の毎の始め日を守る神なり みなつハ みな
魂星の神ハ 日の大御神の御出るに 同じ座
なして 御出るからに これの月守りの神と
まをす 故 月の毎の始め日を守る神なり
ふくみハ ふく魂星の神ハ 日の大御神の御
出るに 同じ座なして 御出るからに これ
の月守りの神とまをす 故 月の毎の始め日
を守る神なり はやれハ はや魂星の神ハ
日の大御神の御出るに 同じ座なして 御出
るからに これの月守りの神とまをす 故
月の毎の始め日を守る神なり よながハ な
か魂星の神ハ 日の大御神の御出るに 同じ
座なして 御出るからに これの月守りの神
とまをす 故 月の毎の始め日を守る神なり
かむなめハ かむ魂星の神ハ 日の大御神
の御出るに 同じ座なして 御出るからに
これの月守りの神とまをす 故 月の毎の始
め日を守る神なり
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10,18
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故 ここに 改め告りて 天渡国渡襲百座
志那都産巣日の命 妹 志那都比売の命 こ
れの二柱の神ハ 高天之原の西に 常世に保
イまして 神離けに在す たせ星御祖の神と
まをす これの星の神 御子の星の神の御名
ハ 息風星の神 息風女星の神 息海霧男
星の神 息気霧星の神 息赤斎星の神 息赤
忌星の神 息露星の神 息女霜星の神 息雪
星の神 息吹雪星の神 大息雨星の神 大息
守星の神 これの星の神たちハ むつびの始
めに 日の大御神の御出るに並びて いやよ
ろしの末に 日の神に 五こり 八時 先
立てて御入る 故 こを以て 春としもいウ
天津座高津座置清美魂瑞之火産巣日の命
妹 火之夜芸速女の命 これの二柱の神 高
天之原の北に 常世に在座なして とむ星御
祖の神とまをす これの星の神の御子の星の
神の御名ハ むつ火星の神 きさ火星の神
いや火星の神 うた火星の神 さ火星の神
み火星の神 ふく火星の神 はや火星の神
なか火星の神 か火星の神 し火星の神 し
つ火星 の神これの星の神たちハ 北の始め
に 日の大御神の御出るに並びて みなつの
末に 日の神に 五こり 八時 先立てて御
入る 故 こを以て 夏としもいウ 天津降
萬正哉威美活太刀埴産巣日の命 妹 波邇夜
須毘売の命 これの二柱の神 高天之原の東
に 常世に保イまして 神離けに在す よち
星御祖の神とまをす これの星の神の御子の
星の神の御名ハ す土星の神 やみ土星の神
なこ土星の神 とみ土星の神 つゐ土星の
神 なか土星の神 あれ土星の神 つまき土
星の神 みつぼ土星の神 たたら土星の神
とろ土星の神 かき土星の神 たたを土星の
神 とい土星の神 これの星の神たちハ ふ
くみの始めに 日の大御神の御出るに並びて
なよなの末に 日の神に 五こり 六時
先立てて御入る 故 こを以て 秋としもい
ウ 天清留豊道辺神御魂彌都波産巣日の命
妹 彌都波能売の命 これの二柱の神 高天
之原の南に 常世に保イまして 神離けに在
す いみ星御祖の神とまをす これの星の神
の御子の星の神の御名ハ ぬ水星の神 あれ
ほ水星の神 いとみ水星の神 うるき水星の
神 とみ水星の神 彦水星の神 八百水星の
神 うみ水星の神 とぢ水星の神 うほや星
の神 これの星の神たちハ かなめの始めに
日の大御神の御出るに並びて しはつの末
に 日の神に 五こり 六時 先立てて御入
る 故 こを以て 冬としもいウ 故 高天
之原の一年ハ 豊道之原の百年なす 故 現
人の己が齢も こを一と廻るなり これの神
訓り道を以て修せ

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10,19
-------------
この星の神の巡り如 計り また 三十一
星の巡り 五年ゆ 五巡り遅し 十年をみた
す また 七十二星の巡りハ 五年ゆ 二年
早く 三年に巡り また 十六の巡りハ 五
年に八巡りなす また とむ星御祖の神の親
族の星の神ハ 高天之原の北の在座の 御殿
の所の巡りの外辺を 巡れる星の神たち 大
星の神 三十九 小星の神 四十九 外の所
の星の神 千三百の大星の神ハ 日に異に
日の神の御前辺に立ち 小星の五百千の神ハ
三時 後辺になす 片隅の五百の星の神
並べなす間 大星 小星の暖気の星の神 五
百十八星の神ハ 息星の神に並べなす 故
央らなす また 暑気の星の神ハ 三百三十
三の星の神ハ 火星の神に並べなす 故 暑
さなす また 涼気の星の神 五百十八星の
神ハ 土星の神に並べなす 故 央らなす
また 寒気の星の神 星の神に 三百三十三
の星の神ハ 水星の神に並べなす 故 寒さ
なす 故 息星 火星 土星 水星の巡りハ
目之界以て 修せ 許籠もりに 調め取り
て修す間 大 小に計りなせ 故 息星の諸
星 六の殿に移らば 暖かなす 火星の諸星
六の殿に移らば 暑□なす 土星の 六殿
に移らば 小寒なす 水星の 六殿に移らば
寒さなす 故 星の神 一年の巡り以て
神岳に計り 神訓りの水縄に はか計り 目
当てを頓に立たして 高むの神岳に修して
今日ハ冷えし 明日ハ雨 何時ハ地震 何時
ハ 雷 何時ハ水 何時ハ火 何時ハ日蝕く
何時ハ月蝕く 何時ハ苗取り 何時ハ収め
の種々 萬の高天之原 豊道之原 訓り訓り
の道修せ
-------------
10,20
-------------
ここに 大屋毘古の命の編みたまエる 形
仮名の文字以て 大穴牟遅の命の御子 建恵
美子の命ハ これの高天之原 豊道之原の御
書か料の訓り伝てを 詳らに 書き明かし
また 天之活玉の命の 天津御子に仕エまつ
る 在座を 定めましし事を 詳らに 書き
明かして 種々の事を 言代なして 再見手
なして 天津御子に奉る ここに 天津御子
打ち見 甚く 御喜びたまイて 直ちに褒
めたまイて 大屋毘古の命に 五十建曽の命
といウ御名を賜ゐ 天之活玉の命に 御倉板
挙之神の命といウ御名を賜ゐ 建恵美子の命
に 積羽八重言代主の命といウ御名を賜イき

-------------
10,21
-------------
故 御倉板挙之神の命 出極みたまエる
保ゐの座置ハ 高津大神立 高津神立 明津
神立 清津神立 斎津神立 並神立 こハ
天津皇大御神に 斎き奉る神にあり 顕わに
に仕エまつる 保イ座成しハ 大申 小申
大臣 小臣 薬知 内祢 外津祢 守祢 家
津子 伴子 秀手子 建 国主子 郷子 遣
子 使主人 戸自子 邑子 こハ 豊道之原
の顕わにを知る上なり 故 神事にそがそが
に屯れき
-------------
10,22
-------------
高津神立 天津彦根の命 明津神立 天之
目一箇の命 高津神立 手置帆負の命 明津
神立 彦狭知の命 四柱の神 指計りの業に
仕エまつりき 故 長さ 短さの指し業ハ
高天之原の御説き以て 法となし 天の稲
穂実 一ゆ起きり 元津計となし 稲穂実
一を 指の一元と定め 一元の十を 一寸と
定め 一寸の十を 一尺と定め 一尺の十を
一丈と定め こを 妹指とし また 兄指
ハ 稲穂実 縦になして 然々に 兄指を定
め これの道具を 作りなもと 青楊を切り
弥割りに割りて 鉋手に梳でて 稲穂実を
描き 一元ゆ十を画きて 一寸になし 寸を
十を画きて 一尺となしき 故 兄指も然
々に こを 四かに 型なして 測り修せ

-------------
10,23
-------------
枡粒立て計ハ 稲穂実 百を以て 一しか
と定め 千を以て 一かとと定め 萬を以て
一槽と定め 十萬を以て 一ひかと定め
百萬を以て 一小斛と定め また 杓兄粒計
ハ 稲穂実 四百を以て 一勺と定め 四千
を以て 一合と定め 四萬を以て 一升と定
め 四十萬を以て 一斗と定め 四百萬を以
て 一斛と定め 故 これの道具を作りてに
と 妹の型らしの数 その法を以て 小峡の
眞木を伐らしめて 縦割きに 断ち割きて
眞板となさしめ 小切り木以て 法訓りに当
てて 角指計り 此をなす 故 此を枡とい
イ また 兄計を杓といウ

-------------
10,24
-------------
また 軽さ 重さの計り訓りをなす 稲穂
実を以て 一元を一抓と定め 十元を一分と
定め 百元を一匁と定め 千元を一資と定め
十萬元を一貫と定め 兄重さ 軽さの計り
四元を一両と定め 四十元を一ふと定め
四百元を一りウと定め 四千元を一てこと定
め 四萬元を一えきと定め 四十萬元を一く
むと定め これの道具を作りてにと 柾山の
五百箇の眞男樫を伐り 貫き木となさし ま
た 松木を 門代の如に 切り嵌め 眞中に
栲縄に提げ垂らし 前後に 負ふ籠なし
緒 提げ垂らし 【阿蘇の埃岳の高千穂】の
実の稲穂実数の 重 軽を異らしてそを以て
標取らして その重 軽の物を 片畚に積
みて 片畚に 稲穂実を載げて 計りなさし
む 故 これの道具の形の氷木 家の氷木
鰹木に適ゑり こを以て これの道具を 千
木といイ 懸緒といウ 故 四柱の神を 合
わせ祀りて 御計魂之祖の神とまをす

-------------
10,25
-------------
ここに 天津御子 天津神 諸々の御言告
りを以て 天之豊宇気彦の命 天之豊宇気姫
の命に 告りたまイつらく 故 二柱の神
久々能智の命 鹿屋野比売の命に告りて 御
子の神たちに 言依さしたまイき 故 天之
稲依日子の命 天之稲依日女の命 大結彦の
命 大結姫の命 御田別足彦の命 御田別足
姫の命 明玉稲彦の命 明玉稲姫の命 津守
菰代彦の命 津守菰代姫の命 玉知之男の命
玉知之女の命【玉知之男の命 玉知之女の
命】天足之男の命 天足之女の命 種実守男
の命 種実守女の命 豆代彦の命 豆代姫の
命 豆照彦の命 豆照姫の命 豆汲彦の命
豆汲姫の命 御田道稚男の命 御田道稚女の
命 篠依之男の命 篠依之女の命 また 久
々能智の命 鹿屋野比売の命の御子の神 八
重玉之男の命 八重玉之女の命 実具大振の
命 実具大萌の命 葉長大振の命 葉長大萌
の命 神連ゐたまイて 各も各もに 知り別
けの道を定めましき 故 稲依日子の命 稲
依日女の命 これの神ハ 眞稲作り知り別け
の神となし 明玉稲彦の命 明玉稲姫の命
これの神ハ 栄稲作り知り別けの神となし
大結彦の命 大結姫の命 これの神ハ 稗作
り知り別けの神となし 御田別足彦の命 御
田別足姫の命 これの神ハ 菰実作り知り別
けの神となし 篠依之男の命 篠依之女の命
これの神ハ 笹実作り知り別けの神となし
これの十柱の神ハ 五の種津物を 知り別
けまして 水以て 生ゐ立てなす 故 こを
水成津物となす 津守菰代彦の命 津守菰
代姫の命 これの神ハ 麦作り知り別けの神
となし 玉知之男の命 玉知之女の命 これ
の神ハ 玉粟作り知り別けの神となし 天足
之男の命 天足之女の命 これの神ハ 玉篶
作り知り別けの神となし 種実守男の命 種
実守女の命 これの神ハ 黍作り知り別けの
神となし 豆代彦の命 豆代姫の命 豆照彦
の命 豆照姫の命 豆汲彦の命 豆汲姫の命
これの六柱の神ハ 諸大豆作り知り別けの
神となし 御田道稚男の命 御田道稚女の命
これの神ハ 菰穂伎作り知り別けの神とな
し 八弥玉之男の命 八弥玉之女の命 これ
の神ハ 諸玉菜作り知り別けの神となし 実
具大振の命 実具大萌の命 これの神ハ 太
根菜作り知り別けの神となし 葉長大振の命
葉長大萌の命 これの神ハ 諸葉菜作り知
り別けの神となし 此く 知り別けます神た
ちに 言依さしたまイき ここに 久々能智
之男の命 久々能智之女の命 鹿屋野日子の
命 鹿屋野日女の命ハ 千萬の木立 千萬堅
木 千萬草に その実 結ばせてにとして
天の御食清水を乞イ受け 養イ育てて 大掘
串を押し掛け 汝 物いわぬ神なり 然れど
心有りなば 吾が告り言に仕エて 青人草
の朝な 夕なの楽しみの 御食幸の為に 千
々の実を結びなせと 告りたまイき こにゆ
尽々 千々実 多々成りき

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故 これの味わゆるに 木々茎ハ毒なり
薬なすハ 十四の味わゐをなす 故 辛気
かわ気 甘気 あウ気 酢気 小酢気 比々
気 ひぶ気 苦気 にび気 渋気 しじ気
えぐ気 ゑが気 これの 十四味わウる木実
草実ハ 現人の八十栄ゆの道具に 食らウ
べき物なす 然れど 多に な食イそ 臓満
ちすれば良らず 少に食らエば薬なす

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ここにまた 四柱の神 御名ハ 久々能智
之男の命 久々能智之女の命 鹿屋野日子の
命 鹿屋野日女の命 八十の堅葉 常葉の木
の葉を取り また 木の花の眞赫なす花を取
り また 草花の眞赫なす花を取り また
木の実 香の実を取り 小山なすを 八脚の
間切りの広机に載せて 天津御子に奉りて
告りけらく これの物ハ 月立て日に 二日
月円か日に 二日 月籠もり日に 二日
これの物を 欅木の火燧臼に 八搗きに 搗
き足らし 其が汁を眞汁なし そが眞汁を
眞名井水に和し 七沸らし 中らに煮きしめ
て 湯冷めして 七乾きに湯浴みてハ 御生
命 幾百を重ねて 御身健立て 清勝ち 幾
代か若やかなさに 必ずしもに 皺なすを得
たまわず 故 天津御子 大御喜びまし そ
の道に勤励ぎ こを豊道之原の青人草に 及
き知らしめて 現人身栄エに 仕エまつらに
とて 直ちに 正鹿山津見の命 於縢山津見
の命 奥山津見の命 闇山津見の命 志芸山
津見の命 羽山津見の命 戸山津見の命 こ
れの八柱の神に 御言仰せて 道別けに 道
別きなせ と 告りたまイき
上津文 十綴りの完エ