自らの作り出した手法があった。
具体的に何かは思い出せないが、それは非常に効果が高く、身の回りで起こる出来事をうまく対処することができた。
一見してクールであると思われてしまうような手法である。
しかし利用したあとの自らの反応を間違うと、激しく意味のない手法となる。
実際、今までも使用してきて、その手法自体の効果は良いものであったが、その後の反応がよくなかった。
それをわかっていたのに、長らく改められずにいたのだ。
その反応とは、具体的には他人への不審であったり、他人への怒りであったりするのだ。
他人とは見ず知らずの他人であったり、または、家族のような身内の場合もある。
眼前にその具体例が示された。
妻が現れた。
そして、見ず知らずの赤の他人、ふてぶてしいおばさん、意地悪なじいさんも現れた。
彼らが不快な例を示す。
不快ではあるが、その不快さの原因は、ただただ自分の反応なのである。
不思議なことに、目が覚めて1時間ほど現実と夢がごちゃ混ぜ状態が続く。
そして、この手法の素晴らしさを感じ、この手法を今後も使う必要があると感じる。
しかし、同時に手法を生かし切れていないことの後悔が猛烈に襲う。
後悔の念、そして反省である。
徐々に目が覚めていくが、悪夢なのか、良夢なのか、判断できない。
ただ、理由もなく反省している自分がいた。
目の前の不快な現象について感情を乱されずクールにふるまうのは正しいのだが、後から思い出して不快になったりするのが良くないのではないだろうか?
あとから夢を思い出しつつ書いてて、そう思った次第。苦笑